4.黒い帳簿
その日から、アーネストたちは屋敷で使用人として働きながら、密かにダレンの監視を始めた。
一方、クリステアは何事もなかったかのように日々を過ごしていた。朝はダレンと食卓を囲み、昼は執務室で帳簿を確認し、夜には穏やかな会話を交わす。疑っていると悟られれば、その瞬間に証拠は消されてしまう。
法廷で一度命を落としかけたクリステアだからこそ、その恐ろしさが分かっていた。
四日後の朝、アーネストが執務室を訪れた。
「ご報告があります」
「何か分かったのですか」
「昨夜、ご主人が金庫を開けるところを確認しました。番号も把握しています」
クリステアは立ち上がった。
「では、今日ですね」
「ええ。ご主人が商会へ向かったあとで確認しましょう」
ほどなくしてダレンはいつものように屋敷を出た。馬車が門を抜けるのを見届けると、クリステアはアーネストと部下を伴って書斎へ向かった。部下が廊下を見張る中、アーネストが金庫の前にしゃがみ込む。
番号を合わせると、小さな金属音が響いた。
「開きました」
重い扉がゆっくりと開く。中には封筒や書類が整然と並べられていた。クリステアは一番手前の封筒を開く。中に入っていたのは借用証書だった。借入額は、金貨五万枚。思わず息をのむ。伯爵家でも簡単には用意できない大金だった。返済期限は半年後。利息も異常なほど高い。さらに督促状が何通も重ねられていた。最後の一枚には、短い一文だけが記されている。
『約束どおり協力すれば、借金は帳消しとする』
「貸主をご存じですか」
クリステアが尋ねると、アーネストは表情を曇らせた。
「表向きは金融商ですが、情報局では以前から監視しています」
「何の疑いで」
「隣国の工作員へ資金を流している疑いです」
借金だけでも十分な衝撃だった。だが、それはまだ始まりに過ぎなかった。続いて見つかった送金記録には、エミリア・ローデンの名が何度も記されていた。家賃、衣服代、装飾品、生活費。ダレンは多額の借金を抱えながら、愛人には惜しみなく金を使っていた。
一方でクリステアには、商会の経営が苦しいからと節約を求め続けていた。すべて嘘だった。
さらに金庫の奥から、封蝋の押された書簡が現れた。アーネストは内容を確認すると、ゆっくりと息を吐く。
「伯爵家の穀物備蓄量、軍への納入予定、王都周辺の警備配置……」
クリステアの背筋に冷たいものが走った。どれも伯爵家だからこそ知り得る情報だった。
「間違いありません」
アーネストは静かに言った。
「国家反逆です」
部屋が静まり返る。
よく見ると、金庫の一番奥に、一冊の黒い帳面が残っていた。革張りの表紙。金属製の留め具。その姿を見た瞬間、全身から血の気が引いた。
「……まさか」
震える手で帳面を取り出し、ゆっくりと頁を開く。そこには、小麦、魔鉱石、薬草。隣国との架空取引が、クリステア自身の筆跡で記されていた。だが、まだ完成していない。半分ほど書かれたところで終わり、その先には白紙の頁が何枚も残されていた。
クリステアは息を止めた。法廷で見た帳簿は、この白紙がすべて埋め尽くされていた。あの未来では、この帳簿が決定的な証拠となり、自分は国家反逆者として裁かれたのだ。
父と兄へ話したあとも、心のどこかでは、あれが悪夢だった可能性を捨てきれずにいた。しかし、もう疑う余地はない。未来は確かに存在していた。クリステアは帳面を閉じ、静かに尋ねた。
「これだけあれば、ダレンを捕らえられますか」
「ご主人一人を裁くには十分です」
アーネストは頷いた。
「ですが、今は捕らえません」
「背後にいる者ですか」
「ええ」
アーネストは書類を一枚ずつ元の場所へ戻していく。そして黒い帳簿も。金庫の扉が閉まる音が、静かな書斎に響いた。
「今夜、ご主人は動くでしょう」
クリステアは黙って頷いた。
ここで終わらせてはならない。ダレンを操る者まで暴いてこそ、この悲劇は終わるのだから。




