⑥ 計画性の問題
地毛登録届の様式案は、教務から三度、戻ってきた。
一度目は、備考欄の枠線が上の枠と〇・五ミリずれているという理由だった。二度目は項目の並びで、上から二番目と三番目を入れ替えてほしいと言われた。理由は、他の様式がそうなっているから、である。三度目は、用紙の下端の余白だった。
「中身は、どうですか」
「中身は、体裁が通ってから」
順番が決まっているらしかった。るかは席に戻って、余白を直した。
放課後の生徒会室は、職員室よりよほど片付いていた。月影るかはドアを開けた一秒でそれを認め、二秒目に自分の机の上の書類の山を思い出し、三秒目に、何も思い出さなかったことにした。
「失礼します。コスプレ部顧問の月影です。部費増額の申請書をお持ちしま——」
「あ、それアタシが出すんで。先生は荷物持ちです」
「荷物持ちって言った? いま先生のこと荷物持ちって言った?」
のんは、るかの手から書類をひょいと抜き取り、まっすぐ会長席へ進んだ。窓からの西日で金髪がちかちか光る。歩き方まであざとい。あざとさに歩き方という部門があることを、るかはこの春に初めて知った。
会長席の鳳ゆずきは、読んでいた書類を最後まで目で追ってから顔を上げた。順番が几帳面である。
「コスプレ部。先月もスチーマーとかいう備品の申請が出ていたはずだけど」
「あれはウィッグ用です。今回は衣装代です。まったくの別件です」
「内訳のこの行は何。『布、いろいろ』」
「布は……いろいろ、あるので」
「いろいろで予算が下りる組織があったら教えて」
(ないです)とるかは内心だけで答えた。教師として口を挟むべき局面を探したが、見つかる前に交渉が進んだ。
「却下。内訳を書き直すこと。それと前年度の会計報告が添付されていない」
「えーっ。センパイ、うちが学園祭で表彰されたら、生徒会の実績にもなるんですよ?」
「実績のために会計を曖昧にする組織から潰れるのよ」
「手厳しい〜〜」
言葉ほど堪えていない声だった。のんは机に身を乗り出し、上目遣いの角度を〇・五度ほど調整した。るかの位置からは、調整したのが分かった。会長の位置から分かったかどうかは、分からない。
そのとき、ノックの音より先にドアが開いた。
「ゆず——会長、差し入れ。四つ買ったら一個おまけしてくれた」
高槻颯太だった。掲げた紙袋から、甘い匂いがふわりと部屋に広がる。たい焼きだ。焼きたてらしい。袋の口から湯気が出ている。
鳳の視線が、書類から袋へ、一瞬だけ滑った。
るかは見た。のんも見た、と思う。
「……いま業務中です」
「たい焼きは温かいうちが業務だろ」
「その理屈はおかしい」
言いながら、鳳の手はもう袋を受け取っている。五つのたい焼きは、会長、颯太、のん、るか、と配られて一つ余った。
「先生もどうぞ」
「あ、どうも……」
(もらってしまった。指導に来て、たい焼きをもらってしまった)
会長は書類を脇に寄せ、両手でたい焼きを持ち、頭からかじった。
「センパイ、頭から食べる派なんですね」
「……何か問題が?」
「あんこは尻尾に溜まってるのに、もったいなくないですか」
「頭から食べれば、最後にあんこが待っている。計画性の問題よ」
「それ、いま考えましたよね」
鳳は答えず、二口目をかじった。かじって、少しだけ笑った。笑うと、威厳が音もなく崩れた。生徒会長でも三年生でもない、甘いものが好きなだけの人が、そこに座っていた。
(この顔、うちの部員たちに見せてやりたい)
「五個目、半分こする?」
「するわけないでしょう。……半分、ちょうだい」
颯太が几帳面に割って、尻尾の側を会長に渡した。
るかは突き返された申請書を回収して立ち上がった。申請は却下、収穫はたい焼き一個。教師生活一年目、交渉の勝率は、いまのところ零である。
「花村さん、帰るよ。書き直し、手伝うから」
「先生って、けっこう暇なんですね」
「暇じゃないが? 主にきみたちのせいで忙しいんだが?」
ドアを閉める間際、るかはもう一度だけ室内を振り返った。会長はもう書類に戻っていて、その横で颯太——三年B組、高槻颯太。名前は今日覚えた——が、空になった紙袋を小さく畳んでいた。




