⑨ 名前をひとつ
二度目は、店の外ではなく、昼の公園だった。
一月の平日の公園には、誰もいなかった。砂場に置き忘れたバケツが一つ、凍った砂に半分埋まっている。滑り台の着地のところだけ、土が擦れて色が違う。子どもの多い公園なのだと、昼のいまは、跡でしか分からなかった。
あかりが間に立って、時間だけを取り付けてくれた。鳳は、ベンチの端に浅く座った。コートの襟を立てて、鞄を膝に抱えていた。荷物を、身体の前に置く座り方だった。
「……あかりさんに、頼まれたから」
「うん。ありがと」
自販機のココアを渡すと、鳳は両手で受け取った。両手で持って、飲まなかった。
のんは、隣に座らず、少しずれて、同じ向きに座った。目を合わせない距離の方が、この話はできると思った。
「謝りに来た」
鳳の肩が、小さく動いた。
「ミスコンの暴露、アタシがやらせた。履歴は、うちの帳簿から出した。本物だよ。センパイの調べてたこと、潰して回ったのもアタシ。センパイの言ってたことは正しかった。正しかったから、潰した。あのやり方で」
「……いま、それを言うの」
「いま言わないと、ずっと言わない気がした」
ココアの缶の上で、鳳の指が、白くなるまで力を入れて、緩んだ。
「あんたのことが、ずっと目障りだった」とのんは言った。「壇の上でまっすぐ立ってて、まっすぐ喋って、それが通る側の人生で。……眩しくて、憎かった。潰したかった。潰して、分かった」
「……何が」
「潰したかったんじゃ、なかった。あの隣に、立ちたかった」
風が、砂場の端の枯れ葉を転がしていった。鳳は、何も言わなかった。言わなかったが、立ち上がりもしなかった。
「センパイ。アタシ、名前を教えたい人が、初めてできた」
「……名前?」
「アタシの本名、花音っていうの」
鳳は、ゆっくりと、のんの方を向いた。
聞き返さなかった。意味を訊かなかった。ただ、時間をかけて、受け取った。受け取ってから、口の中で何かを確かめるように、間を置いて、言った。
「……捨てたんじゃ、なくて。花を、切ったんだ」
のんは、返事をしなかった。返事の要らない読まれ方を、生まれて初めて、された。
鳳は、ココアの蓋を開けて、一口飲んだ。
「……ぬるい」
「自販機だからね」
「たい焼きが、よかった」
「今度、買ってくる」
今度、という言葉を、二人とも訂正しなかった。それが約束と呼べるほどのものかどうか、決めるのは今日ではなかった。鳳は缶を両手で包んだまま、公園の出口の方を、長いあいだ見ていた。見ている横顔は、まだ細かった。細いままで、座っていた。座っているということが、今日のすべてだった。




