① 四年物の名刺
十二月の頭、図書館の閉館時間に、のんは呼び出された。
閉館後の閲覧室は、初めて入った。昼間は席の取り合いになる部屋が、照明を半分落とすと、ただの広い部屋になる。書架の影が床に長く伸びて、暖房の切れかけた空気が、本の匂いだけ濃くしていた。
「話がある。あなたの商売の話」
月影るかは、カウンター脇の机に、湯呑みを二つ置いた。
「先生、単刀直入すぎ」
「先生じゃないよ、もう」
るかは、四年前の話をした。
「潰された、って言うと大げさに聞こえるでしょ。実際は静かだったよ。書類が一枚ずつ増えて、味方が一人ずつ減って、気がついたら職員室に私の机がなかった。それだけ」
のんは、湯呑みに口をつけなかった。この人のパシリ姿を、笑って見ていた記憶がある。記憶の中の職員室が、音を立てて別の部屋になっていくのが分かった。
るかは、財布から名刺を一枚出した。角が丸くなって、印刷が掌の脂で薄くなった、古い名刺だった。
「四年前に一度だけ会った記者。これを捨てなかったのが、私の四年間の全部。……電話した。会ってくれるって」
「……で、なんでアタシに言うの」
「証拠を持ってるのが、あなただから」
るかは、のんの目を見た。
「あなたの帳簿。クリニックの行。ローンの行。あれは外に出れば、カルテと契約書に繋がる。紙の証拠に繋がる線は、あれしかない」
「アタシに、自分の商売を売れって話?」
「そう。あなたの商売ごと、あなたが売る話」
土曜、駅二つ先の喫茶店に、記者は先に来ていた。
五十がらみの、声の低い男だった。名刺を差し出す手つきが事務的で、世間話をしなかった。座るなり伝票を自分の側に置き、コーヒーを三つ頼んで、のんの出した帳簿の写しを、四十分、黙って読んだ。ページをめくる前に必ず一度指を止め、二枚を見比べてから進む。読み方で分かった。この人は、数字の意味が分かる側の人間だった。
「クリニックの名前と、ローン会社と、日付の対応。ここまで揃ってる資料は初めて見た。……これ、出どころはあんただと、すぐ割れるよ。それでもいいのか」
「アタシの分も、全部載せて」
のんは言った。
「斡旋も、手数料も、アタシが取り分いくら抜いてたかも。全部。載せていいから、あの子の行だけは、ちゃんと辿って」
記者は、のんを三秒見た。
「……分かった。本気で書く。ただ、先に言っとく。書くことと載ることは、別の作業だ。載せるかどうかを決める場所は、俺の机より上にある。俺に見えてるのも、多分、一段上までだ」
「随分、正直じゃん」
記者は答えなかった。伝票を、もう一度自分の側に寄せた。
帰り際、るかのスマホが鳴った。るかは画面を見て、少しだけ笑った。
「早いなあ」
「何」
「次年度の契約、更新しないって。人事課から」
るかは、スマホを鞄に落として、マフラーを巻き直した。
「行こうか。寒い」
夜の駅前を、元教師は迷いのない速さで歩いた。のんは少し後ろから、その背中を見ていた。四年黙っていた人の背中から、荷物が一つ降りていた。




