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⑧ 夜勤明け

りあの実家は、在来線を二回乗り継いで三時間の町にあった。


住所は、ローンの書類の緊急連絡先から写した。写せてしまう立場に、あたしはいる。その立場のまま行くことに決めた。土曜の始発に近い電車は空いていて、二回目の乗り継ぎのホームでは、二十分待った。ホームの自販機で温かいミルクティーを買って、飲み終わる前に冷めた。名乗り方は、その二十分で決めた。大学の、サークルの先輩。嘘は、一つも入っていなかった。嘘が入っていないことが、いちばん質の悪い名乗りだということも、分かっていた。


駅前には、スーパーが一軒と、シャッターの下りた洋品店と、営業しているのかどうか分からない不動産屋。りあの育った町だった。この道を、あの子は高校まで自転車で通ったのだと思いながら、あたしは十五分歩いた。


母親は、夜勤明けだと言った。


玄関先で、化粧気のない顔のまま、それでも深く頭を下げた。三和土に灯油のポリタンクが二つ並んでいて、廊下の奥から石油ストーブの匂いがした。


「わざわざ、すみません。……りあの、先輩さん」


「最近、連絡は」


「二月に一回くらいは、来ますよ。スタンプだけのときもあるけど」


「会っては」


「東京は、遠いから」


母親は、少し笑った。


「あの子のやってる、ネットの? ああいうのは、私よく分からなくて。でも、フォロワーさん? が、いっぱいいるんでしょう。すごいですよねえ。田舎にいた頃は、おとなしい子だったのに」


それから、思い出したように付け足した。


「手先だけは、器用でね。文化祭のとき、クラス全員分の衣装を直したんですよ。夜なべして。ミシン、まだあの子の部屋にあります。……東京で、頑張ってるんでしょう」


誇らしげ、とさえ言える声だった。


あたしは、用意してきた言葉を順番に思い出した。娘さんは危険な状態です。連絡が取れません。捜してください。どの言葉も、この玄関先の、夜勤明けの、誇らしげな顔の前で、形にならなかった。形にすれば、この人の生活ごと壊れる。夜勤と、灯油と、二月に一回のスタンプでできている生活が。壊したあとの支えを、あたしは持っていなかった。


「……また、連絡が来たら。私にも教えてもらえますか」


連絡先を書いた紙だけ渡して、駅まで歩いて戻った。来た道は、帰りの方が長かった。


帰りの電車の中で、警察の相談窓口に電話をかけた。


最初の五分は保留音で、それから担当が出て、途中で一度、替わった。替わるたびに、同じ説明を最初からした。成人であること。自分の意思で移動した外形があること。事件性を示すものが、書類の上にはないこと。窓口の担当者は、型のとおり、順番に、確認していった。声を荒げる場面は、一度もなかった。荒げる理由が、向こうには一つもなかった。


「では、行方不明者届として受理します」


「捜して、もらえるんですか」


「特異には当たらない、という判断です」


「特異って」


「積極的な捜索の対象になるか、という区分の話です」


電話は、向こうから丁寧に切れた。


窓の外を、夕方の田んぼが流れていった。刈り取りの終わった田は、どこまでも平らだった。何も起きなかった。今日一日で起きたことは、紙を一枚渡したことと、区分が一つ決まったことだけだった。


あたしは手帳を開いて、今日の日付の欄に、母親の家の最寄り駅の名前を書いた。書いてから、その下に線を一本引いた。線の意味は、まだ決めていなかった。続ける、というくらいの意味だった。窓に映る自分の顔と目が合って、あたしは手帳に目を戻した。

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