③ ミシンの部屋
体育祭の二週間前から、部室は縫い物工場になった。床にはフェルトの切れ端と待ち針が散らばって、上履きの底で拾うと痛い。窓を閉めてアイロンを使うので、下校時刻を過ぎても部屋は昼の熱をなかなか手放さなかった。
ミシンは一台しかない。卒業生の誰かが置いていった年代物で、電源を入れると、ぶん、と一拍唸ってから動き出す。唸りの長さでその日の機嫌が分かると、二年の風岡あかりは言う。部の実務を一人で背負っている特待生で、ミシンの機嫌から教師への根回しまで、たいてい把握している。機嫌の悪い日は、下糸が三回に一回絡んだ。
「はい、採寸のデータ回ってきてないの、あと二人ー」
あかりが進行表を掲げる。型紙はあかりが引き、裁断はのんが速く、ミシンは順番待ちだった。順番待ちの間、部員は手縫いでスカートの裾をやる。一年の戸田みさきが、右袖で三回続けて失敗して、三回目に糸ごと絡まって、助けて、と小さく手を挙げた。名簿で一度読んだだけの名前が、こういうとき勝手に出てくる。
「先生、これ、どうすれば」
「私に訊く? 顧問だけど家庭科じゃないが?」
言いながら、るかは糸をほどいてやった。ほどけただけで、縫えるようになったわけではない。みさきは眉を寄せて針を持ち直し、それでも隣に代わってとは言わなかった。右袖は結局みさきが最後まで担当して、最後まで波打った。
のんは採寸が上手かった。メジャーを当てる手が速くて、相手を待たせない。「はい終わり」と言われた子が「え、もう?」と驚くたび、少しだけ得意そうな顔をする。あざとい得意顔である。あざとくても、採寸表の数字は全部合っていた。
七時の下校放送が鳴っても、誰も帰り支度をしなかった。
「あと右袖だけなんで」
「右袖に全体が引っ張られてるんだが?」
窓の外が暗くなって、部室の灯りの中で、ミシンだけが動いていた。ぶん、たたたた、と唸って走って、止まる。糸を切る小さな鋏の音。布を裏返す音。誰かの「できたかも」の声と、「できてない」の即答。
るかは戸口の椅子で、進行表の余白に「延長二十分」と書いた。書いてから、二十分で終わらないことは知っていたので、「三十」に直した。
八時前、五着が机に並んだ。近くで見ると縫い目は揃っていない。遠くで見れば、揃って見える。応援席は遠い。それでいいのだと、あかりが総括した。
「本番まで、誰も太らないこと。以上」
解散の号令がそれだった。笑い声と一緒に部員が出ていって、るかは最後にミシンの電源を抜いた。抜く前に、ミシンはもう一度だけ、ぶん、と短く唸った。




