② 湯呑みの数
四月の職員室には、独自の重力がある。新任の机にだけ、書類が積もる。
「月影先生、これ教務に回しといて」
「月影先生、購買の鍵、借りてきてくれる?」
「月影せんせ、悪いんだけど印刷機の紙、詰まってて」
三件目は依頼ですらなく、現場の報告だった。るかは詰まった紙を引き抜き、インクで汚れた指のまま、自分の湯呑みを探した。見つからなかった。誰かが使っている。新任の湯呑みは、共有物になる運命らしい。
かわりに給湯室で人数分のお茶を淹れた。淹れながら、気づいてしまった。体育の川辺先生は緑の湯呑み、教頭は蓋つき、隣の席の数学の先生は取っ手の欠けたマグ。二週間で、職員室の湯呑みを全部覚えていた。名前と顔と湯呑み。覚える必要のないものから覚えていくのが、るかの脳の仕様だった。
配り終えたところで、教頭に呼ばれた。
「月影先生。部活動の顧問の件なんだけどね」
「はい」
「コスプレ同好会、今年から部に昇格するの。それと写真同好会。どちらも顧問が空いてて」
「はあ」
「若い先生の方が、生徒も話しやすいと思うのよ」
職員会議で誰も手を挙げなかった案件が、会議に出ていない新任のところへ流れてくる。重力である。るかは「どちらをですか」と訊いた。訊き方を間違えた、と言い終わる前に分かった。
「両方、お願いできる?」
放課後、挨拶のつもりで部室棟に行った。コスプレ部の部室は旧校舎の二階の角で、ドアには誰かの手書きで「コス部」と貼ってあった。ノックしたが、返事はなかった。誰もいなかった。
黒板に、チョークの絵が残っていた。棒人間が五人と、その横に大きな字で「新しい顧問の先生歓迎!」。棒人間のうち一人は、頭のところだけ黄色いチョークで塗ってあった。
(歓迎の準備だけして帰るな)
るかは指についたインクを見て、黒板の字を消さずに、ドアを閉めた。




