⑦ 祝祭
七月祭の二日目、ステージは、昼から人が密だった。
楽屋棟の廊下で、実行委の担当が申し訳なさそうに言った。持ち時間は、五分の予定が三分になったという。本選の進行が押しているから、という理由だった。押している進行の内訳は、前座の追加だった。鳳は「分かりました」と言った。三分で言えることを三分で言うのが、演説というものだ。原稿の三段落目を、頭の中で削った。
客席には、出場者の名前入りの紙うちわが配られていた。無料のものは、よく振られる。
ミスコン本選の前に、コピーユニットの前座があった。どこかで聴いた進行の曲に、客席が正確に揺れた。誰も練習していないのに、全員の揺れが揃っていた。鳳は舞台袖でそれを見ながら、自分の原稿には音楽がついていないことを考えた。考えてから、その考えを袖に置いた。マイクはマイクだ。
「続きまして、多様なご意見のコーナーです」
司会の言い方で、客席の温度が二度下がった。鳳は中央まで歩き、目線を客席の一番遠い列に置いた。
「三分だけください。私は、ここにいる誰かを裁きに来たのではありません」
ざわめきが、少しだけ薄くなる。
「人を舞台に並べて、順位をつけて、祝祭と呼ぶ。その仕組みの中で、去年、体調を崩した出場者がいたことを、実行委は公表していません。私が問題にしたいのは冠でも水着でもなく、順位が人に何をするかです。数字は、つけられた側の中に残ります。祝祭が終わっても、残ったものは消えません」
届いている、と思った。最前列の何人かが、頷くのが見えた。
「だから提案します。並べるのをやめて——」
客席の光が、変わった。
拍手ではなかった。顔、顔、顔が、一斉に手元に落ちた。スマホの白い光が、夕方の客席にさざ波のように広がって、ざわめきが、さっきまでと違う周波数で鳴り始めた。
鳳のポケットの中でも、震えが続いていた。演説中は見ない。決めていたのに、視界の端で、舞台袖の実行委が自分のスマホをこちらへ向けて掲げているのが見えた。画面を、見せようとしている。
《ミスコン反対団体・代表格の恋人、コスプレ「個人撮影」の常連客だった》
《予約履歴の画像あり。名前欄「高槻颯太」。相手の欄は伏せてある》
投稿は、匿名のアカウントだった。
音が、厚い膜の向こうの音になった。
司会が何か言っている。言葉が、形になる前にほどけていく。掲げられた画面の中に、颯太の名前の字面だけがあった。字面は知っている形をしているのに、意味の方が、名前から剥がれて落ちた。傘の柄に彼が自分で貼っていた、あのテープの字と、同じ字だった。物をなくさないための名前が、予約履歴の名前欄に並んでいる。日付の列。時間の列。相手の欄は、記号で伏せられていた。誰、という問いが浮かんで、誰であっても、という答えが浮かんで、両方とも、床のどこかへ落ちた。
膝は、笑わなかった。彼女は演台の縁を握っていて、握っている自分の手だけが、遠くに見えた。
「——ええと、お時間でーす」
司会の声。客席のどこかから、笑い声。どこかから、「彼氏さんの件、ほんとですかー」という声。
鳳は、マイクをもう一度、口元に戻した。
原稿は、もうなかった。原稿のない場所から出る言葉を、彼女は一つしか持っていなかった。
「私は——」
声は、割れなかった。
「私は、あなたたちが、売り物じゃないと信じてる」
言い切って、彼女は頭を下げず、舞台を降りた。降りる足音を、自分の耳だけが数えていた。客席がどんな音をしていたのか、彼女には最後まで聞こえなかった。




