⑫ ほんものだ
サークル棟の掲示板に、夏合宿の募集が貼り出される季節だった。
部室で衣装の検品をしていると、ノックが二回、遠慮の音で鳴った。
「あの……コスプレサークルって、ここで合ってますか」
ドアの隙間から半分だけ入ってきたのは、小柄な一年生だった。染めたての、まだ慣れていない色の髪。おろしたてのスニーカー。緊張で、鞄の紐を両手で握っている。
砂糖の匂いがした。薄めていない、原液の甘さだった。
「合ってるよ。見学?」
「は、はいっ」
入ってきた子は、ドアのところで一礼して、部室を見回した。壁一面の衣装ラック、作業机のミシン、乾かしている途中のウィッグ。一つずつ、順番に、目に入れていく。見回し方で分かる。この部屋の写真を、画面で何十回も見てきた子の見回し方だった。実物と画面の答え合わせを、いま、している。
「あの、私、露草りあっていいます。一年です。あの……のんさん、ですよね」
「そうだけど」
「わ……ほんものだ……」
りあは両手で口を覆った。それから、堰が切れた。
「私、高校のときからずっとフォローしてて、ポストも全部見てて、あの、DM送ったこともあって……返ってこなかったですけど、あ、当たり前なんですけど、フォロワーいっぱいいるし……」
のんは検品の手を止めなかった。DMの記憶は、探さなかった。
「で、見学だけ? 入るの?」
「入りたいです! あの、それで——」
りあは息を吸った。吸った分だけ、まっすぐ言った。
「個人撮影って、私にもできますか?」
部室の窓から、初夏の風が入った。衣装のビニールが、かさりと鳴った。
のんは微笑んで、あかりに顎で合図した。原液の甘さが、鼻の奥に残っていた。その奥は、嗅がずにおいた。
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羽根 その一
最終学年の春が、終わろうとしている。卒業までの残りの時間を、私は焦りとしてではなく、計画の締切として数えることにしている。締切を持たない信念は、ただの気分と大差がないからだ。
団体に、新しい後輩たちが入ってくれた。説明会で私の話を聞いて決めた、と言ってくれた子もいて、代表格などと呼ばれる立場の重さを、私は改めて引き受け直した。三好さんという二年生で、議事録の清書を手伝ってくれるようになった。彼女の書く議事録は、発言の要旨が正確で、余計な形容がない。ああいう記録が残るなら、私たちの活動は、私たちがいなくなった後も検証に耐えるだろう。人が人の言葉で動くのなら、言葉を預かる者には、その分の責任が生じる。だから私は、演説の原稿を何度でも書き直す。しかし、書き直すたびに強くなるのは言葉そのものではなく、言葉を裏切れないという覚悟のほうだ。
ミスコンの件は、今年も議題になるだろう。人を舞台に並べて、順位をつけて、それを祝祭と呼ぶ仕組みに、私たちは反対を続けてきた。伝統という言葉で守られているものの中身を、一つずつ開いて見せること。感情的だと笑われても、論理で返すこと。それが私たちのやり方であり、私はこのやり方に誇りを持っている。
気がかりなことも、ある。学内で、衣装を着た写真を個人に撮らせる商売が行われているという話を、別々の筋から聞いた。噂の段階で人を裁くことは、正しくない。だから私は、まず調べる。事実であるなら、それは学生の安全の問題であり、安全の問題は、好みや自由の問題より先に立つ。順番を間違えなければ、議論は必ず前へ進む。
疲れた日には、颯太と話す。彼は私の言葉を、立場の言葉としてではなく、私の言葉として聞いてくれる数少ない人だ。高校の頃から、それは変わらない。彼の前でだけ、私は原稿のない話し方をする。先週は、当たり付きのアイスを二本買ってきた。彼が当たりを引いて、子どもみたいに笑っていた。当たりの棒だけ、なぜか私の机の上に置いていった。
調査のためのノートを、新しくおろした。方眼のもの。最初の頁に様式を書いた。日付、相手、要旨、次の行動。様式さえ決めておけば、感情の乱れた日にも記録は乱れない。記録が乱れなければ、いつか誰かがこの続きを引き継げる。引き継ぐ人が現れない可能性は、考えないことにしている。
来月の全体会で、調査の担当を決める。私が持つ。人に任せて楽になりたい誘惑は、代表格という言葉と引き換えに、捨てたはずのものだ。正しさは、声の大きさの中ではなく、続けられた手続きの中に宿る。だから私は、続ける。
七月祭が終わったら、颯太とどこかへ行く約束をしている。山の候補は、三つ、決めてある。挙げれば、彼は三つ全部に頷く。ああいう頷き方をする人と、あの人たちの言う「敵」の側の男の人たちが、同じ言葉で括られるとき、私は括り方の粗さの方を問題にしたい。人を粗く括る言葉は、どちらの陣営にあっても、私たちの敵だ。
卒業までに、間違った仕組みを、止められるだけ止めてみせる。
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