⑥ 「みんなやってるから大丈夫」
控え室で、新しい子が固まっていた。衣装は着られたのに、ドアの前で足が止まっている。初めての個撮は、だいたいここで止まる。
のんが声をかけるより先に、あかりが隣にしゃがんだ。高校からの相棒で、こういう場面で先に動くのは、いつもあかりの方だった。
「そのメイク、自分でやった? うっそ、上手。ね、アイラインどこの使ってる?」
化粧品の話を三分。学食の新メニューの話を二分。撮影の話は、まだしない。その子の肩が下がっていくのが、匂いで分かった。張り詰めた汗の匂いが薄まって、甘い方へ寄っていく。
「——あのね、怖かったら今日、あたしずっと同じ部屋にいるから。撮影中も、イヤなポーズはイヤって言っていいから。それで怒る人、うちは呼んでないので」
「……ほんとですか」
「ほんと。みんなやってるから大丈夫。最初はみんな、そのドアの前で止まるんだよ」
その子は少し笑って、ドアを開けた。九十分後に出てきたときには、次の予約の話を自分からしていた。
帰り道、あかりは大きく伸びをした。
「今日の子、リピートすると思う。ああいう褒められ慣れてない子って、続くんだよね。うちのKPI、そこなんで」
「その横文字、どこで覚えてくるわけ」
「セミナー。社会人向けの。学生で通ってるの、あたしだけだったし」
「へえ」
あの声かけはアタシには作れない、とは言わなかった。言わない代わりに、次の顔合わせの日程をあかりに投げた。それで回るなら、それでいい。
駅前で、あかりはATMに寄った。
「弟の塾代、今月あたし持ちなんだよね。……ね、次の案件、単価上げたくない?」
声は最後まで明るいままだった。
「考えとく」
改札で別れてから、のんは思い出そうとした。ドアの前で止まっていた子の、名前。顔は出てくるのに、名前が出てこなかった。
それで困ったことは、まだない。




