② 横倒しの星
風呂上がりの洗面所で、根元を染め直した。三週間に一度の手入れ。薬剤を混ぜ、時間を計り、流す。手順は目をつぶってもできる。
鏡の中で、金色が根元まで揃っていく。
初めてこの色にしたのは、中二の夏だった。
駅二つ先の、雑居ビルの二階の美容室。お年玉とお小遣いの残りを全部、ポケットに入れて行った。予約の電話で名乗った偽名を、店に着くまでに忘れた。ビルの前を、三回通り過ぎた。四回目に、階段を上がった。上がってしまえば、ドアは軽かった。
「今日はどうする?」
鏡越しに訊いたのは、白っぽい金色の髪の美容師だった。めぐみさん、と胸元の名札にあった。
「切ってください。あと——金色に」
「けっこう明るくするんだ」
「だめですか」
「だめじゃない。学校が言うようなことは、あたしは言わない仕事なので」
薬剤を置いてもらっているあいだ、めぐみさんはよく喋った。よく喋って、何も訊かなかった。なんで金色なの、とも、学校は、とも、家の人は、とも訊かなかった。訊かれたら言うつもりの嘘を三つ用意していたのに、三つとも使わなかった。
かわりに、どうでもいい話を聞いた。商店街のパン屋の焼き上がりの時間。前の客が置いていった芸能人の噂。鋏を研ぎに出す店が減っている話。
「あんた、頭の形いいね。短くしても映える頭」
「……そうですか」
「そう。知らなかったでしょ」
知らなかった。自分の身体について、値段のつかない情報をもらったのは、それが初めてだった。
乾かし終わったとき、鏡の中に知らない人がいた。
知らない人は、悪くなかった。
会計のあと、めぐみさんはレジの横の小箱から何かを取って寄越した。細い鎖に、小さな青い石の飾り。輪っかを斜めにかぶった、星の形をしていた。
「あげる。似合う色になったから」
「え、いや……」
「セールで二つ買ったやつだから、気にしないで」
「……なんの星ですか、これ」
「天王星。この星ね、軸がほとんど横倒しなんだって。横倒しのまま、自分の回り方で回ってる星なんだよ」
「……はあ」
「で、革命の星って呼ばれてる。見つかったのが革命の時代だったから、なんだって。意味って、生まれつきじゃなくて、見つけたときに決まるんだよ」
中二ののんは、鎖を受け取って、礼を言った。電車の窓に映る金色を、駅二つぶん、ずっと見て帰った。
革命。ひっくり返して、上に立つ側の言葉だと、アタシは覚えた。
その秋、初めてイベントに出た。衣装は、いちばん好きだった戦士のものにした。ずっと前から、その戦士が好きだった。男の子みたいでも、女の子みたいでもない。変身して、自分の足で立って、まっすぐ前を向いて戦う。テレビの前で初めて見たとき、あれは自分だ、と思った。理由は、言葉にできなかった。ただ、あの立ち方を、自分の身体でやってみたかっただけだ。通販の安い型紙を、自分で測って詰めた。針目は粗かったが、寸法だけは合っていた。鏡の前で襟を正したとき、金色が、初めて衣装の一部になった気がした。
会場は、体育館みたいな展示場だった。布と、汗と、スプレーの匂い。初めてカメラを向けられたとき、身体が勝手に、練習した角度になった。ファインダーの向こうで「いいですね」と声がして、シャッターが三回鳴った。三回のあいだ、誰もアタシの名前を知らない。知らないのに、見ている。それは思っていたより、ずっと呼吸のしやすい状態だった。
隅で写真を撮ってもらっていると、隣にいたグループの子に声をかけられた。
「ネーム、なんですか?」
「のん、です」
「本名は?」
一拍、あいた。
「あぁ、花村花子でいいよ。名前なんてどうでもいい」
相手は「花子さん」と笑って、それで通った。以来、その返しは型になった。型は便利で、便利なものは手放したことがない。
換気扇が薬剤の匂いを吸い終わる頃、鏡の中の根元は揃っていた。のんはドライヤーを置き、洗面台に外して置いていた鎖を、首に戻した。




