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第5話 父、パトランプを拵える

『四月から経理も兼任して』

寝耳に水だった。

私は既に販促課と店舗マネージャーを兼任している。

これ以上何を兼任しろと言うのか。

『前任者は?』

『定年退職してもらいます』

代表は当然のように言った。

『物価高で材料や資材費が上がる中、出血を抑える必要があるから』


以前からこの話は聞いていた。

事業譲渡が行われ、一年目は過剰人員を削減したことと、債務整理が行われた影響で、業績が黒字に転換し見送られていたが、今期はギリギリと言ったところだった。


『引き継ぎ期間は?』

『できるだけ早く』

『では、直営店の方は他の誰かに』

『兼任して』


内心ため息が漏れた。

経理なんてやったことがない。

簿記も持っていない。

そもそも貸方と借方がどっちだったか怪しい。


『やりたくなーーい』

私は自宅で喚いた。

『なーんでワシやねん!』

『なーんで経理やねん!』

『なーんで三つもやねん!』

『お給料上がるの?』

妻が訊く。

『上がりませんよ?』

『断ったら?』

『断れませんよ?』

『じゃあ、やるしかないやん』


次の日。

手始めに前任者が抱えている業務を洗い出した。

次に経理部長と管理部長を巻き込んで片っ端から振り分けた。


とにかく、自分一人で抱え込むのだけは避けようと思った。

私が倒れたら困る。

我が家の食事担当は私だ。


仕事にかまけて菓子なんぞを貪る我が子はみたくない。既に遅いが……


『痛っ』


頭をぶつけた。

妻が炊事場に設置した収納網である。

鍋蓋や鍋敷きを置くための便利グッズらしいが、私にとっては違う。

凶器である。


私の身長と絶妙に噛み合い、定期的に頭部へクリティカルヒットする。


悲しいことに私の頭髪は荒地の魔女の棲家と化している。

現在は魔女すら住めぬツルツル路面に整備しているため、頭をぶつけるとレスラーのように出血する。


因みに収納網を撤去する予定はない。

会社は出血を抑えたいらしいが、我が家では私が出血していた。


『頭どうなってる』

『あー結構切ってるよ』


いっそのこと、怪我対策にヅラでも被った方が良いのでは。


『今日は剃刀あてたいんだけどなー』

『止めといたら?』

『少しでも生えてくると気持ち悪いのよ』


そう言って、子供達とお風呂に入った。

娘を先に洗い、妻に渡して拭きあげてもらう。次に息子を洗い、湯船に入れる。

最後に自分を洗うと、シェービングクリームを顔と頭に塗りたくった。


まず髭を剃る。紳士の嗜み。

続いて頭髪を剃っていく、ハゲの嗜み。

傷ついたところは優しく剃刀をあて、そっと剃る。

ん?なんか引っかかるな。

えいっ。

嫌な音がした。

……

……

『〜〜〜いっっ痛ああああ』

『お父さん!お父さん!』

湯船に浸かっていた息子が絶叫した。

『なになに!どうしたの!?』

妻が慌てて戸を開けた。

頭から大量に出血する私を見て妻が悲鳴を上げた。

『お父さんの頭から血が凄い出てる!』

息子も興奮気味である。

『なんか拭くもの取って!』

『泡が一杯ついてるよ!』

そうだった。蛇口を捻り、降り注ぐシャワーを浴びて私は絶叫した。


止まらない出血をなんとか止め、すかさず大きなハイドロ絆創膏を傷口に貼り付けた。これで一安心。

スキンヘッドに大きな絆創膏がとても滑稽だ。


幸いな事に翌日は休日だったため、この醜態を職場に晒すことなく、私は自宅で養生した。傷口に貼り付けたハイドロは白く盛り上がり、小さな突起となって私の身長を押し上げた。痛みはない。


そうこうしているうちに夜になり、ぱんぱんに膨れたハイドロ絆創膏を交換するべきか悩んでいた。

カメラモードで頭部に携帯をかざし、異変に気がついた。


『わーー!』

私は叫び妻を呼んだ。

『見て!』

『えっ何これ!』

妻も驚愕する。


それもそのはず、パトランプのように盛り上がったハイドロ絆創膏もさることながら、両瞼が試合後のボクサーみたいに腫れていた。

今日のチャンピオンは強かったが、私の方が上だった。

そんな顔だ。


翌日、仕事を休み病院へと赴いた。

瞼の腫れは治ったが、ハイドロを外した傷口は真っ赤に腫れ、周りにぶつぶつが出来ていた。

普段あまり病院の助けを借りない私は、子供の病院には詳しくなったが自分のことになるとてんでわからない。


唯一頼れるのは、敬愛するヤブ医師こと循環器系内科の主治医である。

脂質異常症と診断され一年前から通っている。

やたら薬を勧めてくるので、ヤブと命名した。


受け付けに事情を説明し、知っている病院がここだけなのだと懇願し待たせてもらうこと数分。

いつもは診察室から出てこないヤブが、待合室で腰掛ける私の前に立っていた。


『どうしたん』

伝えるよりも見るが易しと傷口を見せた。

『これ…化膿してるんじゃないかな。うちは内科やから外科的な処置はでけへんし、一回皮膚科でみてもらって、膿を吸い出してもらった方が良いかも』

『皮膚科ですか?』

『せやね』

『抗生物質とかは処方してもらえないですか』

『ちょっと分からへん』

ヤブ医者め。

普段は薬を押し売りする癖に……


『分かりました。皮膚科に行ってみます』

ヤブ医者にたらい回しにされ、皮膚科へと向かった。


皮膚科に入ると院内は診察を待つ患者で溢れていた。予約診療が主体なため、診察には少し時間がかかる旨が伝えられた。

小一時間ほど経ち診察室に入ると、美人の女医が座っていた。

『今日はどうされました?』

『実は……』


私は剃刀で切ったこと、傷口が腫れたことを自分の都合の良いように説明した。

美女に真実は必要ない。


頭部を覗き込んだ女医は傷口を見るや否や声を上げた。

『帯状疱疹だ!資料持ってきて!』

女医が指示すると近くにいた看護師が小走りに奥へと向かって行った。

戻った看護師から、資料を受け取った女医は帯状疱疹の説明をした。

『最近、何か無理をされたり、強いストレスを感じたりしましたか?』

『えぇ、まぁ……』

正直、帯状疱疹になるほど無理をしている自覚はなかった。

『お薬出すので、毎食後に飲んでください。瞼が腫れたとのことなので、ご心配なら眼科にも受診してくださいね』

『はい。ありがとうございます』


翌日、職場復帰を果たした私の前に代表がやってきた。

『お疲れ様です。どうしたんそれ!』

代表は私の頭をみて仰天した。

『帯状疱疹らしいです』

病名を聞くと代表は徐に椅子に腰掛け、若干申し訳なさそうに言った。

『あんまり思いつめたらあかんで、難しく考えすぎやで』

『はあ……』

どうやら帯状疱疹の原因はストレスだと思っているようだ。


正直何故なったかは私にもわからない。

どうも代表が気を遣ってくれているみたいなので、怪我の経緯は説明せず、若干しょんぼりした感じで対応した。

私のしょんぼりチャーリーブラウン作戦の努力の甲斐はなく、会社を退職するまで三つの部署の業務を回した。


『この間のなんやったん?』

『帯状疱疹らしいです』

『あれ帯状疱疹なん?分からんかった!くそー悔しいな』

ヤブはそう言いながら私の血圧を測っている。


分からなくて当然だ。あなたは私の愛すべき主治医であり、ヤブ医者だ。

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