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29.5話 私は願う。




「39ちゃん、いるかい」


 料理人兼家政婦であるエオルさんの声が一階から聞こえて、私は床を抜けて降りると、さらに二つの壁を抜けて姿を現した。はい、と返事をするように壁を軽く叩く。

 振り返った老婦人は驚いた様子もなく、にこやかに微笑んだ。


「ああ、いたんだね。これをフォルディス様に届けておくれ」


 渡された丸いトレイの上には、届いたばかりの封書がいくつか載せられている。私はトレイごとそれを受け取り、こくんとうなずいた。

 左右に結った髪がしなるように波打ち、顔を上げれば、エオルさんの姿はもうなかった。忙しい彼女は行動が早く、いつものことなので気にしない。

 私はそのまま普通に歩いて二階へと向かった。


 今、私がいるのは王都にあるセラ侯爵家の上屋敷だ。

 王城に近い屋敷街にあるので、それなりの部屋数を維持してはいるけれど、パーティーを開けるような大広間はないし、絵画や骨董などの芸術品だけでなく家具さえも必要最小限のものしか置かれていない。

 爵位や歴代当主の役職を考えれば小さな屋敷だった。隣近所は子爵や男爵などの下位貴族の屋敷が並ぶ、レンガ造りの四階建て。敷地は狭く、門から玄関までが近い。

 ここがセラ侯爵家の屋敷だと知った者は、皆不思議そうな顔をするくらいだった。

 馬車や馬小屋などは区画ごとに専用の場所にまとめられており、風下にあるので独特の臭いが漂ってくることもない。

 主が領地にいるときは、庭師と料理人兼家政婦である老夫婦が維持管理しているだけの屋敷だが、今は主である侯爵が帰ってきているので、人の出入りは多かった。

 ただ、使用人は老夫婦のほかに執事のビシャムさんが増えただけで、あとは〈影〉と呼ばれる護衛の四人が付き従うのみ。

 隠密行動を得意とする〈影〉は、主が外出すれば遁甲しながら共に行動するため、わざと姿を見せない限り老夫婦やビシャムさんにも私たちがいるのかいないのかが分からない。

 家政婦のエオルさんは今のように声をかけて、返事があればいる、なければいない、と判断しているようだった。

 

 私は書斎に向かい、扉を通り抜けて、主の側に控えている46にトレイを渡した。

 セティス家に代々仕える〈影〉は、ナルディア建国以前から彼の一族に付き従っていた〈闇〉と呼ばれる暗殺組織が元になっている。所属する全員が精霊使いであり、中でも〈影〉は地霊使いが多い。

 セティスの名を持つ者であれば赤子ですら必ず側に一人はつくが、セティス家当主――お屋敷様の孫であるセラ侯爵フォルディス様には、今現在、四人の〈影〉が付き従っていた。

 主が屋敷にいるときは、96が護衛や御者を担当し、46が従者、77と私――39が女中として身の回りの世話をしている。

 いずれフォルディス様が妻帯すれば、77と私はその方に従うことになるだろう。子供が生まれたら、その子供を守ることとなる。それがずっと楽しみで仕方がないのだけれど、残念ながら主が結婚する気配は微塵もなかった。


 主は決してモテないわけではない。玄人の女性には大人気だ。

 容姿は整っているし、背も高いし、美声だし、身体も鍛えているし、真面目で勤勉で、仕事もできる。性格だって悪くはない。変な趣味や性癖もなく、お金だって持っている。

 ただ、市井や貴族の令嬢からはひたすら怯えられていた。視線を送るだけで見る者は老若男女問わず緊張が走り、特に女子供を怯えさえる。

 主が子供のころから世話をしているエオルさんなどは、みんな見る目がない! と憤慨。

 欠点と言えば、無表情で愛想はなく、切れ長の目は鋭く、口数が少なく、冗談が通じないことくらいじゃないか、と。

 体力もあるから夜は大変だしなあ、と付け加えたのは46で、私たちの視線に気づいて「たぶん」と付け加えたけど、77が軽蔑するような目で46を見ていたのは記憶に新しい。

 国王から、婚約者を決めるか結婚するまで参内するな、と無茶な物言いで無理やり休暇を取らされた主は、真面目にいくつかお見合いもしていた。

 けれど、視線が合っただけで蛇に睨まれた蛙か、大型肉食獣におびえる小動物のような令嬢たちとはまるで会話にならない。生贄か、と突っ込みたくなるほどの少女たちは、主が溜め息をついただけで真っ青になって意識を飛ばしたり泣き出すような有様だった。

 令嬢の震えがテーブルに伝わり、紅茶を注ぐ前のカップがカタカタと揺れる音だけが響く様子は異様で、「すんげえ、笑える」と楽しそうなのは46だけだ。

 氷塊の近衛隊長なんて呼び名が様々な噂を呼んで、目が合っただけで殺されると思っているに違いない。いや、一族郎党皆殺し、くらいのレベルかもしれない。


「女には笑顔です。笑ってみてください」


 77が助言してみたけど、高い位置から彼女を見下ろし、口角だけを上げた主は、悪党すら背筋を強張らせるくらい冷たい笑顔で、これはやばい。笑わないほうがいい、と見ていた者の意見が一致した。

 自然と笑うこともたまにあるけれど、それを見られるのは本当に希少で、ごく稀な現象だった。

 父親である前の侯爵様と容姿はとても似ているのに、どうしてこうも印象が違うのかと、皆が不思議でならない。

 文官と武官の違いだろうか。

 恋愛結婚どころか見合い結婚すら無理かも、と諦めていた私たちだったけど。


 ある日、メディ子爵令嬢アリスリスについて調べるように命じられたのだ。


 リリアナ様主催のパーティーから戻られた主が真っ先に口にした言葉。

 行き先がセティス家ということで、私たち〈影〉は同行しなかったのだが、そこで何かあったらしい、ということは分かった。

 私たちは浮かれた。

 まさか、と浮かれた。

 令嬢のことはもちろん、メディ子爵家の現状を知るため、周囲や領地などに散って情報を集めた。

 そして。


「クロ」


 書斎で何かを書いていた主の言葉に、遁甲していた96が姿を見せた。


「これをビシャムに渡してくれ」


 騎士の姿をした96は無言のまま手紙を受け取り、一礼して部屋を出ていく。

 主であるフォルディス様が言う「クロ」が、96のことであることに気付き、私は首を傾げた。

 なんだろう、と思ったのは私だけではないようで、控えているほかの〈影〉たちも疑問符を頭に浮かべている。

 お茶の用意をしていた46がきょとんとした顔でつぶやいた。


「クロ?」


 なにそれ、と戻ってきた96を問い詰めれば、涼しい顔をしたままメディ家の令嬢から名を与えられたと言うのだ。

 主もそれを許し、それからはクロと呼ばれているらしい。感情を表に出さない男が、どこか嬉しそうに。


「え、なにそれ、なにそれ! なにそれずるい!」


 46が騒いだ。


「オレもほしい。名前ほしい! 77と39もほしいだろ!? ほしいよな!?」


 私たちはこくこくとうなずいた。

 私たち〈影〉も仮名かりなといって、主から通り名を与えられることがあるけれど、私たちは数字以外で呼ばれたことはなかった。

 さらに、96はメディ家の令嬢は自分たちの姿を見ることができると言うのだ。

 私たちは騒然とした。


「メディ家の令嬢って王族の血筋ってこと?」

「主が会いに行ったのは魔女の孫娘だよな?」

「ジン・チトセは魔女と王の子供って噂は本当なのかしら。じゃなかったら、地霊使いってことよね」

「じゃあ、オレがちょっとそのあたり調べるわ。56さんならそのあたりのことも知ってそうだし、聞いてみる」

「待って、そういえば」


 ぽつりと77がつぶやいた。


「前に15が、魔女には見えないけど自分たちがわかるって。姿を見せずにいたら、攻撃されたって言ってた」

「えええ、なにそれ、怖い。15さん、ひどい! 隠居する前にオレたちにも言ってよそれ! なんでチビたちにしか伝えてないのさ!」


 46がギャンギャン騒ぐ。


「15さん、チビたちにだけ優しい!」


 15は私たちの前にフォルディス様に仕えていた人で、56はお屋敷様の〈影〉だ。

 96や46と私たちは10歳の年齢差があるので、チビというのは私たちのこと。最も、身長差でいえば、96>>超えられない壁>>46、77、39といった感じなので、口にはしないが、チビというのは46にこそふさわしいと思う。


 メディ家へのお使いを96に交換してもらい、77と私は令嬢に会いに行く。46はあとで絶対に行く、と目に炎を燃やしていた。

 数字でしか呼ばれなかった私たちに、メディ家の令嬢は名を与えてくれ、その名を元にして主が仮名かりなをあたえてくれた。

 

 クロはクロード、シロはシロール、ナナはナナリー、私はミクル。

 でも、通常はクロ、シロ、ナナ、ミクと呼ばれ、私たちも互いにその名を使うことになる。


 実際に見たメディ家の令嬢は、私たちが見える、ということ以外では、ごく普通の少女だった。

 後に調べれば調べるほど、知れば知るほど、その存在は脅威を覚えるほどの血脈だったけど。


 おっとりとしていて、優しそう。――本当に、ただそんな印象しか与えない少女だったのだ。 


 でも、主を恐れる様子はまったくない。

 それが重要。


 綿菓子みたいにふんわりした笑顔。

 ほんのりと甘い匂いと、きれいで澄んだ気と声に癒される。

 ゆっくりと動く仕草は、今まで見たことのある貴族の令嬢の誰よりも綺麗な動きだった。


 ――いつか、仕えることになるかもしれない人。


 フォルディス様を恐れず、その手を取ってくれるだろうか。

 フォルディス様が、自然と笑みを浮かべることが出来るだろうか。

 フォルディス様と一緒にいて、楽しいと思ってくれるだろうか。


 思ってくれるといい、と私は願った。

 





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