公園のペット――「お手」「おかわり」「いい子」で、普通の私に戻れなくなる
翌週の金曜日。
仕事を終えて帰宅した莉央は、まだ普段着のまま、いったんマンションを出た。
目的は、約二百メートル先の公園だった。
今夜、自分で決めたMISSIONを実行するために、解除用の鍵を先に置いておく。
人目につきにくい場所を選び、鍵を残す。
それから何事もなかったように部屋へ戻った。
シャワーを浴びる。
服は着ない。
ニップルクリップをつける。
裸の身体にロングコートを羽織った。腕は袖へ通さないまま、前のボタンだけを留めていく。
そして最後に、両腕を背中側へ回し、後ろ手拘束具を固定した。
これで、もう自分ではコートを脱ぐことも、きちんと着直すこともできない。
時計は二十三時を回っていた。
莉央は玄関を出た。
廊下には誰もいない。
エレベーターに乗り、背中側の指で一階のボタンを押す。
自動ドアを抜けると、夜の冷たい空気がコートの隙間から入り込んだ。
公園までは、ほんの二百メートルほど。
それなのに、いつもの道がまったく別の場所に見えた。
やがて公園が見えた。
莉央は足を止めた。
鍵を置いた場所の近く、ブランコのあたりに三人の若い男がいる。
鍵を置きに来たときには、誰もいなかった。
どうする。
少し離れた場所で、莉央は三人が帰るのを待った。
けれど、そのうち一人がこちらに気づいた。
「どうしましたかー?」
少し離れたところから声が飛んでくる。
莉央は反射的に反対方向へ歩き出した。
後ろから足音が近づいてきた。
「すみません、大丈夫ですか?」
振り返ると、三人が追いついていた。
一人は背が高い。もう一人は赤い帽子。もう一人はメガネをかけている。
三人とも、最初は心配そうな顔をしていた。
「なんか……変な着方してますけど」
赤い帽子の男が、莉央のコートを見る。
袖は空のまま垂れ、背中は後ろ手に固定された腕のせいで不自然に膨らんでいる。
「事件とかじゃないですよね?」
莉央は答えられず、ただ首を横に振った。
背の高い男が少し考えてから言った。
「中、確認してもいいですか。怪我とかしてない?」
莉央は迷った。
それから、小さく頷いた。
コートのボタンが二つ、三つと外される。
そこから覗いたものを見て、三人の表情が変わった。
「……え」
赤い帽子の男が目を見開く。
裸の身体。胸にはニップルクリップ。
背の高い男は騒がず、莉央の背中側へ視線を移した。
「後ろの腕のやつ、見てみな。鍵あると思うから」
赤い帽子の男が後ろへ回る。
「あ、ほんとだ。鍵穴ある」
背の高い男は公園の方を見た。
「多分、鍵を取りに来たんじゃないかな」
莉央の胸が跳ねた。
どうして分かったの。
「鍵、この公園にある?」
莉央はしばらく動けなかった。
それでも、やがて小さく頷いた。
「案内できる?」
また、こくり。
莉央は三人を連れて、鍵を置いた場所まで歩いた。
背の高い男が先に見つける。
「あった」
鍵を手に取った。
莉央はほっとした。
だが男は、その鍵を自分のポケットへ入れた。
「じゃ、これはお預け、と」
莉央の目が大きくなる。
男はその反応を見ながら聞いた。
「これ、自分でやったんですよね?」
莉央は少し迷ってから頷いた。
「こういう、自分で縛って外に出たりするの、自縛趣味っていうんだ。何かの雑誌で読んだことがある」
赤い帽子の男が莉央を見る。
「じゃあ、この人、事件じゃないの?」
「たぶんね」
背の高い男は莉央から目を離さない。
「もしかして、見られたい人?」
莉央の喉が詰まった。
それを認めた瞬間、自分が三人の中でまったく別の種類の女になる気がした。
何やってるの、この人。
そんな目で見られる。
それでも。
莉央はほんの少しだけ顎を引いた。
こくり。
赤い帽子の男が息を漏らす。
「マジか」
背の高い男は、莉央の後ろ手拘束具を見た。
「鍵穴、ちゃんとある?」
赤い帽子の男がしゃがみ込む。
「あるある」
「お前、ちゃんと鍵穴見ろよ」
背の高い男が言う。
メガネの男が吹き出した。
「圭介、お前、鍵穴じゃなくて違う穴見てんじゃないの」
「いや、どっちも確認してる」
――圭介。
莉央は赤い帽子の男の名前を知った。
「じゃあさ」
圭介が、メガネの男を見る。
「直人。お前、この人のどんな姿見たい?」
「俺?」
――直人。
莉央はまた一つ名前を拾った。
直人は急に振られて、少し困ったように笑った。
「んー……」
本当に考えている。
莉央は顔を伏せたまま、その沈黙を妙に長く感じた。
やがて直人が言った。
「おしっこするところ……かな」
莉央の身体がびくっと強張った。
三人とも、その反応に気づいた。
圭介が吹き出す。
「うわ。今めっちゃ反応した」
「いや、聞かれたから言っただけだって」
直人は少し照れたように言う。
けれど、莉央を見る目には明らかに興味があった。
「じゃ、圭介は?」
今度は直人が聞き返した。
「俺?」
圭介はほとんど迷わなかった。
「この人、もっとペットみたいにしたい」
莉央の肩がまた動いた。
「ペット?」
「そう。犬みたいにさ。呼んだら来るとか、尻尾振るとか。そういうの」
圭介は楽しそうに続ける。
「あと尻尾もつけたいな。ちゃんと、お尻につけるやつ」
直人が少し顔をしかめる。
「お前、そこまで具体的なんだな」
「だって絶対似合うって」
圭介は悪びれもしない。
「そのまま犬みたいに歩かせたり、尻振らせたりしたい」
莉央はますます顔を上げられなくなった。
そのとき圭介が、背の高い男を見る。
「で、蓮はどうなのさ」
――蓮。
莉央は初めて、その名前を知った。
背の高い男――蓮は、すぐには答えなかった。
しばらく莉央を見ている。
品定めするような視線ではない。何かを考えている。
「俺は……」
蓮がゆっくり口を開く。
「この人、たぶん会社でも綺麗って言われてるんだろうな」
莉央の目が動いた。
「スタイルもいいし、普段はちゃんとしてそうだし。普通にしてたら、俺らみたいなのが簡単に声かけるタイプじゃないでしょ」
圭介が頷く。
「それは分かる」
「でも」
蓮は莉央から目を離さなかった。
「そういう人って、逆に思いっきり格下げされたいとか、恥ずかしいところまで落ちてみたいとか、そういうの持ってたりするんだよな」
莉央の胸が強く鳴った。
言葉が、思いがけないほど深いところへ入ってきた。
蓮はその反応を見て、ほんの少し笑った。
「ほら。たぶん当たってる」
「で、蓮は何させたいの?」
直人が聞く。
「俺なら、この人にペットの犬みたいになってもらう」
莉央が顔を上げた。
「ただ犬っぽい格好をさせるんじゃなくて」
蓮の声は静かだった。
「この人が、本当はずっとやってみたかったことを、俺らの前で自分からやってもらう」
圭介が首を傾げる。
「自分から?」
「そう。俺らが勝手に決めるんじゃなくて、この人自身に選ばせる」
蓮は莉央の背中側へ視線をやった。
「そのために手が必要なら、拘束は外した方がいいかもしれないし」
そして、また莉央を見る。
「どうです、お姉さん」
少しだけ楽しそうに首を傾げた。
「三つ、候補が出ましたけど」
直人の望み。
圭介の望み。
そして蓮の提案。
莉央は三人を順番に見た。
どれが一番恥ずかしいか。
そんなことは、もう考えるまでもなかった。
蓮は莉央の顔を見て、答えを読み取ったように笑った。
「……ま、結果は見えてるよね」
そのまま莉央の背後へ回る。
ポケットから鍵を出した。
「じゃあ、ワンちゃんで決まり」
莉央の肩がぴくりと動く。
蓮は背面拘束具へ鍵を差し込んだ。
「これ、外すね。ペットちゃん」
カチッ。
ロックが外れた。
長いあいだ背中側に固定されていた莉央の腕が、ゆっくり自由になる。
逃げようと思えば、逃げられた。
コートを閉じて、そのままマンションへ戻ることだってできる。
なのに莉央は動かなかった。
蓮の言葉が、頭の中に残っていた。
ペットみたいに。
自分が本当はやってみたかったことを、自分で。
その考えに、頭の中まで染められてしまったようだった。
何をしよう。
何を見てもらおう。
怖さも、迷いも、いつの間にか遠くへ押しやられていた。
今、莉央の中に一番強く残っていたのは――興奮だった。
蓮が少し離れたところから、莉央を見る。
「さて、ペットちゃん」
莉央が顔を上げる。
「何を見せてくれるのかな」
その瞬間。
莉央の頭の中に、ひとつの古い映像が浮かんだ。
海外の動画だった。
農場のような場所。
乾いた土。
農場の奥には、本物の動物たちも見えていた。柵の向こうをゆっくり歩く牛。地面をつつく鶏。少し離れたところには山羊もいる。
その景色の中で、金髪の女性もまた一頭の動物のように、乾いた土の上をよたよたと前へ進んでいた。
腕は自由にならないよう固定されている。
首には太い首輪。そこから伸びるリードが、ときおり前方から強く引かれる。身体がぐっと前へ持っていかれ、女性は不安定な姿勢のまま進む。
お尻を叩かれ、急かされる。
もっと早く。
首元からはもう一本の革紐が伸び、背中の中央を下り、腰を越えて、お尻の谷間へ消えていた。
人間なのに。
その映像の中では、本当に農場にいる動物の一頭に見えた。
莉央は、その動画を何度見ただろう。
最初はただ、異様だと思った。
どうしてこんなことをするのだろう。
どうして、こんな姿になれるのだろう。
なのにいつからか、見るたびに考えるようになった。
――もし、あれが私だったら。
自分があの土の上にいる。
首輪を引かれる。
急かされる。
人間らしく振る舞う必要なんてなくなって、ただ一頭の動物として扱われる。
そんな自分を、誰かが見ている。
何度、その女性へ自分を重ねただろう。
一人きりの部屋で、その場面を自慰の材料にして、強い快感に達したことも一度や二度ではなかった。
想像の中では、何度でもあの女性になれた。
でも、現実では一度もなれなかった。
莉央はゆっくり顔を上げた。
目の前には三人いる。
そして蓮は言った。
何を見せてくれるのかな。
――できる。
突然、そう思った。
ずっと頭の中だけにあったものを。
何度も想像してきた自分を。
今日は、本当に誰かに見てもらえる。
莉央の胸が激しく鳴った。
怖さより先に、興奮が込み上げる。
蓮は何も急かさなかった。
ただ、莉央が自分で答えを出すのを待っている。
それがまた、嬉しかった。
自分で選べる。
自分が一番やってみたかったことを。
莉央はゆっくり膝をついた。
圭介がすぐに近づこうとする。
「じゃあ俺――」
「触るなって」
蓮の声が飛んだ。
圭介が止まる。
「え?」
「この人のやりたいことをやらせるって言っただろ。俺らが勝手にやったら、ただ俺らが遊んでるだけになる」
直人も蓮を見る。
「じゃあ、どうすんの」
「待つ」
蓮は莉央へ視線を戻した。
「この人が何したいのか見る」
莉央の胸がまた大きく鳴った。
この人は分かっている。
見られたい。
恥ずかしいことをしたい。
でも、ただ好き勝手に扱われたいわけではない。
自分がずっと妄想してきたことを、誰かに見てもらいたかった。
莉央は膝立ちのまま、三人を見た。
そして、腰を小さく左右へ動かした。
圭介が目を丸くする。
「うわ」
もう一度。
少しだけ大きく。
「尻尾振ってる」
直人が思わず笑った。
莉央は顔を赤くしながら、それでも止めなかった。
恥ずかしい。
でも、これだった。
一人の部屋で何度も想像した自分。
三人が少し離れてしゃがむ。
蓮が手招きした。
「おいで、ペットちゃん」
莉央は身体を低くし、蓮の方へ進んだ。
「ほんとに来た」
圭介が笑う。
今度は直人が手招きする。
「こっち」
莉央は向きを変え、そちらへ進む。
次は圭介。
呼ばれるたびに、その声の主のところへ行く。
「お手」
蓮が手を出した。
莉央は一瞬だけ躊躇してから、片手をその上へ乗せた。
「おかわり」
反対の手。
「いい子」
その言葉だけで、胸の奥が熱くなる。
蓮が圭介と直人を見る。
「ちゃんと可愛がってあげて」
圭介がしゃがみ込み、莉央の顔を両手で包んだ。
「よしよし」
頭を撫でる。
直人も隣から背中へ手を伸ばした。
肩から背中へ、ゆっくり何度も撫でていく。
莉央の表情が少しずつ緩んだ。
目元が柔らかくなり、瞳がうっすら潤む。
気持ちいい。
もっと。
そんな感情が、自分でも分かるほど顔に出てしまう。
莉央は圭介の手へ頬を預けるようにして、目を細めた。
恥ずかしいのに。
こんな扱いをされているのに。
どうしようもなく心地よかった。
「ほら」
蓮が言った。
「ペットちゃん、すごく嬉しそう」
莉央は否定できなかった。
圭介が背中を撫でながら、ふと莉央の後ろへ目をやった。
「お尻の穴も上向いてるし。ほんと犬みたいだな」
莉央の身体がぴくりとする。
直人が笑う。
「お前、そこばっか見てるな」
「だって、すげえ犬っぽいじゃん」
圭介は悪びれもしなかった。
その言葉で、またあの農場の女性が浮かんだ。
一頭の動物として扱われていた女性。
そして、首元から背中を伝い、お尻の谷間へ消えていた革紐。
莉央の胸の奥がまた熱くなる。
そのとき蓮が直人を見る。
「そういえば直人。お前、おしっこするところ見たいって言ってたよな」
莉央の身体がびくっと強張った。
「まあ……言ったけど」
直人は少し照れたように笑う。
蓮は公園を見渡した。
「この公園でマーキングするとしたら、どこかな」
圭介がすぐに一本の街路灯を指さした。
「あ、この街路灯がよくね?」
直人が吹き出す。
蓮は莉央を見る。
「どう? ペットちゃん。あそこでできる?」
莉央は街路灯を見た。
三人を見る。
恥ずかしい。
けれど、嫌ではなかった。
むしろ、自分がどこまで本当に犬になれるのか確かめてみたい。
莉央はしばらく迷ったあと、
こくり。
小さく頷いた。
圭介が声を上げる。
「うわ、マジで」
直人も目を見開いた。
蓮だけは笑わなかった。
莉央の背中をゆっくりさすりながら、
「いい子。ちゃんと自分で決められたね」
と静かに言った。
その声に、莉央の身体から少しだけ力が抜けた。
莉央は街路灯へ向かって、よちよちと進み始めた。
三人の視線を背中に感じる。
街路灯の根元までたどり着くと、莉央は一度だけ振り返った。
みんな見ている。
それを確認してから、ゆっくり右脚を持ち上げる。
けれど、すぐに身体がぐらついた。
「あ……」
思ったより難しい。
片脚を上げたままでは、うまくバランスが取れない。
身体を立て直そうとして、またふらつく。
蓮が直人を見る。
「おい、直人。足持ってやれ」
「え、俺?」
そう言いながら、直人は莉央の横へしゃがみ込み、持ち上げた莉央の右脚を支えた。
それだけで、姿勢がずっと安定した。
ただ、直人の顔は莉央のお尻のすぐ後ろまで近づいていた。
莉央はその距離に気づき、身体をこわばらせる。
圭介が笑った。
「直人、お前めちゃくちゃいい位置じゃん」
「うるさいって」
直人はそう返しながらも、莉央の右脚を離さない。
蓮が莉央の背中をゆっくりさすった。
「さ、準備万端だよ。ペットちゃん」
莉央が蓮を見る。
「うまくマーキングできるかな?」
また、あの農場の女性が頭に浮かんだ。
――あの人も、こんなことしたのかな。
そもそも、あの女性はワンちゃんだったのだろうか。
それとも、別の動物だったのか。
頭の中はほとんど真っ白なのに、そんなことだけが妙に浮かんだ。
その瞬間。
持ち上げた脚と開いた姿勢に刺激されるように、急に強い尿意が込み上げた。
次の瞬間、莉央の身体から力が抜ける。
しゃーっ、と尿が勢いよく飛び出した。
放物線を描き、街路灯の少し高いところへ降りかかる。
「うわ、ほんと犬みたい」
圭介が笑った。
莉央は何も考えられないまま、その姿勢を保っていた。
終わらない。
思っていたよりずっと長い。
十秒ほどたっても、まだ続いている。
右脚を支えていた直人が、思わず声を漏らした。
「うわ……すごいたくさんだね」
その言葉を聞いた瞬間、莉央はようやく、自分が三人の目の前で何をしているのかをはっきり意識した。
顔が一気に熱くなる。
脚を上げたまま。
直人に支えられ。
三人に見られながら。
街路灯へ、本当に犬のようにマーキングしている。
やがて流れが止まった。
莉央はまだ少しぼんやりしたまま、右脚を下ろす。
蓮がすぐそばへ来た。
「よしよし。よくできたね、ペットちゃん」
背中をゆっくりさする。
その優しい手つきに、莉央は目を細めた。
蓮はポケットからハンカチを取り出した。
「ちょっときれいにしようね」
残っている水滴を丁寧に拭き取る。
莉央の顔がまた熱くなった。
けれど、嫌ではない。
本当に、遊び終わった犬を世話してもらっているようだった。
蓮は拭き終えると、何事もなかったようにハンカチをたたみ、またポケットへしまった。
「はい。今日はここまで」
莉央が顔を上げた。
――え。
もう終わり?
そんな表情をしたのだろう。
蓮が少し笑った。
「風邪ひいちゃうからね。ペットちゃん、裸だし」
圭介が残念そうな声を出した。
「えー、もう終わり?」
直人も、どこか名残惜しそうに莉央を見る。
けれど蓮は首を振った。
「今日は十分」
そう言って、莉央の腕を取る。
急かさず、ゆっくり立たせた。
長く膝をついていたせいで脚に力が入りにくく、莉央は一瞬よろける。
蓮がすぐに、優しく抱き支える。
「ゆっくりでいいよ」
莉央はその腕の中で、ほんの一瞬だけ身体を預けた。
さっきまで自分をペットとして扱っていた男に、今度は普通の女性のように支えられている。
その切り替わりが、不思議だった。
蓮は莉央がしっかり立てるのを確かめてから、コートを手に取る。
片方ずつ、莉央の腕を袖へ通していく。
それからコートの前をそっと閉じ、ひとつずつボタンを留めていった。
さっきまで三人の前でペットになっていた自分が、蓮の手によって少しずつ、普通のコート姿の女性へ戻されていく。
莉央は黙ったまま、その手元を見ていた。
――もう終わりなんだ。
そう思った瞬間、胸の奥に小さな寂しさが広がった。
もっと撫でてもらいたかった。
もっと呼ばれたかった。
もっと、ペットちゃんでいたかった。
最後のボタンを留めると、蓮は莉央の姿を一度確かめた。
「これで大丈夫」
そして、莉央の頭をもう一度、優しく撫でる。
「じゃあ帰ろうか、ペットちゃん」
最後にもう一度そう呼ばれて、莉央の胸がきゅっと縮んだ。
蓮は手を離した。
莉央はマンションへ戻った。
部屋へ入り、コートを脱いだ。
何気なくポケットへ手を入れたとき、指先に薄い紙が触れた。
莉央は取り出した。
名刺。
いつ入れられたのか、まったく気づかなかった。
表には、
神谷 蓮
Freelance Writer / Editor
そして、メールアドレスだけが記されていた。




