十二話
夜だった。
王都の灯りは落ちていない。
人の気配もある。
音もある。
だが、そのすべてが一枚向こうにあるような、奇妙な静けさがあった。
レインは一人で歩いている。
迷いはない。
ただ、道を選んでいるだけだ。
曲がる。
また曲がる。
同じような路地を何度も通る。
やがて。
行き止まりに見える場所へ出た。
古い石の壁。
どこにでもある。
レインは立ち止まる。
「ここですね」
軽く言う。
そして、一歩踏み出した。
空気が歪む。
壁の前に、扉が現れる。
最初からあったように。
ただ、見えていなかっただけのように。
「普通は来れないですよね」
答えはない。
レインは扉を開けた。
⸻
白い部屋。
机と椅子。
それだけの空間。
中央に一人。
白い仮面。
その背後。
気配が二つ。
見えない。
だが、いる。
重い。
明確に“強い”。
「来ると思っていた」
静かな声。
レインは頷く。
「そうですか」
そのまま椅子に座る。
許可はない。
だが、止められない。
「なぜ分かった」
「なんとなくです」
短い答え。
仮面の男の視線がわずかに細くなる。
机の上にカップが置かれる。
紅茶。
湯気が静かに立つ。
「毒は入っていない」
「入っていても飲みます」
「それは困る」
「なぜですか」
「測れなくなる」
レインは一口飲む。
ゆっくりと。
「少し甘いですね」
「調整している」
静寂。
音がない。
だが、確実に圧がある。
レインはカップを置いた。
「今日は、少し長く話します」
初めて主導を取る。
仮面の男は否定しない。
「話せ」
「白塔は、国家じゃない」
レインが言う。
「でも、国家より上にいる」
沈黙。
「命令は出さない」
「でも、結果は動かす」
仮面の男の指が、わずかに止まる。
「なぜそう思う」
「やり方がそうだからです」
レインは続ける。
「直接は触らない」
「でも、触った結果だけ残る」
「だから気づかれない」
静寂。
「続けろ」
「目的は支配じゃない」
「選別です」
わずかに、空気が沈む。
「何を」
「使えるかどうか」
「どこまで壊していいか」
「どこで止めるべきか」
淡々と並べる。
「だから、すぐには殺さない」
「測るために」
仮面の男は否定しない。
「正しい」
短い肯定。
それだけで十分だった。
「ただ」
レインは言う。
「やり方が少し雑です」
その瞬間。
背後の気配が動いた。
一人。
速い。
一直線。
迷いがない。
レインの喉へ。
刃が伸びる。
完全な殺意。
だが――
止まる。
あと数センチ。
届かない。
護衛の腕が震えている。
押し込めない。
進めない。
空気が沈む。
重い。
呼吸が浅くなる。
理解できない圧。
レインが、静かに言う。
「あなた達のためにも言っています」
ほんのわずかに間を置く。
「静かにした方がいい」
護衛の目が揺れる。
本能が拒否する。
動けない。
もう一人も完全に止まる。
「……下がれ」
仮面の男が言う。
即座に。
護衛が引く。
空気が戻る。
「すみません」
レインが言う。
「壊れると困るので」
仮面の男は、数秒沈黙する。
そして。
「理解した」
短く言った。
圧が消える。
完全に。
レインは何事もなかったように紅茶を飲む。
「話を続けます」
まるで、何もなかったかのように。
「……続けろ」
「白塔は、対象を一人では見ない」
「必ず、誰かと一緒に見る」
「その方が分かるからです」
レインは続ける。
「何を守るか」
「何を優先するか」
「どこで迷うか」
「だから、一人の時は来ない」
「簡単すぎるから」
「誰かがいる時に来る」
「判断材料が増えるから」
静寂。
「正しい」
再びの肯定。
だが、今度は重い。
「では、お前は」
仮面の男が問う。
「何を守る」
レインは少し考える。
そして。
「まだ決めてません」
答える。
「嘘だな」
「そうかもしれません」
軽い。
だが、逃げていない。
「敵対したくないです」
レインが言う。
「それが結論です」
「難しい」
「そうかもしれません」
「だが」
レインは続ける。
「選べます」
「何を」
「やり方を」
短い沈黙。
「今日は、少しうるさかったです」
「意図した」
「そうですか」
レインは頷く。
「でも」
わずかに視線が鋭くなる。
「もっと静かにできますよね」
空気が止まる。
完全に。
仮面の男の視線が固定される。
「……面白い」
低く言う。
「では、お前は」
「どこまでできる」
レインは少しだけ考える。
そして。
「困らない程度です」
答える。
「困るとは何だ」
レインは、わずかに笑う。
いつもとは少し違う笑い。
「壊れることです」
「何が」
短い沈黙。
「関係が」
完全な沈黙。
仮面の男は何も言わない。
それが答えだった。
「今日はこれで」
レインが立ち上がる。
「確認はできました」
「何を」
「まだ、本気じゃないこと」
短い沈黙。
仮面の男が答える。
「そうだ」
レインは、ほんのわずかに首を傾けた。
「そうですか」
そして、静かに続ける。
「まだ、本気じゃないのはこちらも同じです」
空気が止まる。
完全に。
仮面の男の視線が、初めて揺れる。
ほんのわずかに。
だが確実に。
背後の気配が、微かに動いた。
それだけで十分だった。
「ごちそうさまでした」
レインは扉へ向かう。
「また来るか」
「呼ばれたら」
「呼ぶかもしれない」
「そうですか」
そのまま出る。
⸻
外は、いつもの夜だった。
何も変わらない。
だが。
確実に変わった。
レインは空を見た。
「静かですね」
ぽつりと呟く。
そして歩き出す。




