封印の遺跡・初日 後編
回廊を抜けると、奥に広がる小さな広間に出た。
天井は高く、崩れた石柱が何本も斜めに倒れ込んでいる。
そこに描かれていたのは、無数の壁画だった。
「……すごい」
ユフィが思わず息を呑む。
淡い苔に覆われた壁には、何百年も前に描かれたであろう図が鮮明に残っていた。
巨大な塔のような構造物、無数の魔法陣、そして天を裂く光──。
どう見ても、現代では失われた技術や儀式を描いている。
「これ、アルベルトさんが見たら鼻血出そうだな」
リオは半分呆れたように呟きつつ、腰の魔導カメラを構えた。
透明な水晶玉が小さく光り、壁画を自動的に記録していく。
「この文様、どんな意味なんだろうね」
ユフィは壁に近づき、指先で苔をそっと払った。
「さぁな……でも、どう見てもただの飾りじゃないな」
リオは壁の中央に描かれた人影に目を止めた。
そこには、鎧を纏った戦士のような姿と、その背後に広がる巨大な門が描かれていた。
そのとき、シルフがリオの肩で小さく羽を震わせた。
だが、リオはカメラの角度を変えることに夢中で、その仕草を見落としていた。
──カツ、カツ、カツ。
広間の奥、瓦礫の影から何かが這い出るかすかな音。
だが、二人は壁画の撮影に集中して気づかない。
その影は、床を這うように素早く近づき、やがて光に照らされる。
青銅の外殻を纏い、蜘蛛のように節のある脚を持つ小型の魔物。
体長は人間の膝ほどだが、六本の脚を細かく動かすたび、金属が擦れる不快な音を立てていた。
頭部の赤い複眼が淡く光り、尾の先には毒針のような鋭い針が突き出ている。
「ぴっ!」
シルフが短く警告音を上げた。
「……っ! ユフィ、下がれ!」
リオは剣を抜きざまに振り返った。
「なに、えっ……これって──」
床を這ってきた青銅の虫型ゴーレムは、鋭い金属音を立てて跳躍した。
「封印虫……モンスターか!」
封印虫は、蜘蛛のような六本の青銅の脚を床に叩きつけ、甲高い金属音を響かせながら突進してきた。
床を削るような音が広間に反響し、その速さは目で追うのもやっとだ。
「右から来るっ!」
ユフィの鋭い声に反応し、リオは体をひねって跳び退いた──が、遅かった。
尾の先端から突き出た毒針が右腕をかすめ、小さな紫色のエフェクトがぱっと散る。
「っ……マジか、毒かよ!」
痛みはないが、視界の端でHPバーがじりじりと削られていく。
焦りで心臓が早鐘を打つのを感じながら、リオは距離を取るように後退した。
「リオくん、止まって!」
ユフィが小瓶を片手に駆け寄ってくる。
腰のポーチから取り出したそれは、透明なガラスに淡い緑の液体が満たされた、簡素な毒消し薬だ。
「動かないで、すぐに使うから!」
彼女は瓶を軽く振り、勢いよく栓を抜く。
中の液体が空気に触れた瞬間、淡い光がふわりと広がり、リオの右腕を優しく包み込んだ。
薄緑色の光が皮膚を撫でるように浸透していき、HPバーの減少がゆっくりと止まる。
残りHPの推移を視界の端で確認し、リオはようやく胸をなでおろした。
「……助かった、ありがとう」
「ほんと、油断しすぎ! 壁画撮ってる場合じゃないでしょ!」
ユフィは頬を膨らませ、ぷんすかと文句を言う。
だが、声の端に残る震えで、さっきどれほど焦っていたかがわかった。
リオは小さく息を吐き、「悪い、次からは気をつける」とだけ答える。
ユフィは毒消し薬の瓶をポーチへ戻すと、素早く短剣を構え直した。
「次は当てさせないよ」と言わんばかりの、きりっとした目つきに切り替わっている。
封印虫は間合いを取ると、低い姿勢のまま床を這い、じりじりと円を描くように動き始めた。
複眼が赤く妖しく光り、金属の脚がカツカツと不快な音を立てる。
まるで狩人が獲物の動きを探るかのように、一定の距離を保ちながら隙をうかがっている。
「ちょこまか動きすぎだろ、こいつ……」
小声でぼやきつつ、剣先を封印虫に向けたまま一歩横へ回る。
相手は真っ直ぐ飛びかかるだけじゃない。フェイント混じりの軌道は、練習の模擬戦以上に厄介だ。
「リオくん、気をつけて! あの尾、また狙ってる!」
ユフィが声を上げた瞬間、封印虫が跳んだ。
尾の毒針が閃光のように突き出され、リオは咄嗟に剣を振り上げて弾き飛ばす。
甲高い金属音とともに火花が散った。
「ユフィ、足止め!」
「任せて!」
ユフィは封印虫の進路を読むと、素早く横へ回り込み、短剣を投げ放った。
一本は甲殻に弾かれたが、もう一本が脚部にかすり、封印虫の動きが一瞬鈍る。
「今だ!」
リオは地を蹴り、低く踏み込む。
渾身の力を込めた横薙ぎの一撃が、青銅の外殻を断ち割る。
甲高い破砕音が広間に響き、封印虫の赤い複眼が一瞬だけ強く輝いたかと思うと、光はふっと消えた。
脚部がガシャリと崩れ、封印虫はその場に力なく倒れ込む。
「……よし、終わったか」
リオは剣を下ろし、肩で大きく息を吐いた。
視界端のHPバーが安定しているのを確認し、ようやく緊張を解いた。
封印虫の残骸から、硬い音を立てていくつかのアイテムが床に転がり落ちた。
青銅の殻片の間に埋もれるようにして、きらりと淡い光を反射するものがある。
リオはしゃがみ込み、転がったアイテムを一つずつ手に取った。
最初に目についたのは、細長い金属の針だった。
ぱっと見はただの細工部品のようにしか見えないが、形状は妙に鋭利で、根本付近にかすかに紫色の染みが残っている。
「これ……封印虫の毒針か?」
リオは小声で呟き、針を光にかざしてじっと観察する。
ただの金属片と違って、角度を変えるたびに鈍い紫の光を帯びる。
毒こそ消えているが、この針そのものに古代製造技術が使われているのだろう。
ユフィも覗き込んで「細いのにすごく硬いね」と感心したように言う。
「これも、きっと錬金素材か装備強化用だな……鍛冶屋に持って行ったら面白いことになりそうだ」
リオは毒針をバッグにしまいながら、次のアイテムへと手を伸ばす。
そのとき、目に飛び込んできたのは──
小さな硬貨のようなアイテムだった。
青銅とも違う、微かに青白い光を帯びた金属。
表面には古代文明で使われていたと思しき刻印がびっしりと彫り込まれており、中央の文様は淡く揺らめくように光っている。
拾い上げた瞬間、リオの心臓が一拍跳ねた。
「……う、うそだろ……モンスターコイン……!?
しかも……古代属性の、銅級っ!」
思わず声が大きくなる。
胸の奥で高鳴る鼓動が抑えられず、コインを握る手にも力がこもった。
現状コインは一枚も所持していないリオにとって、この一枚はゲーム内資産以上の価値がある。
「これで……ガチャが回せる……!
しかも古代属性だぞ、どう考えてもレアだろ……!」
思わず小声で呟きながら、顔がにやけるのを必死に抑える。
しかし、その様子をすぐ隣で見ていたユフィは、きょとんとした顔で首を傾げた。
「モンスターコイン……? それって何?」
「っ……」
リオは反射的に口をつぐみ、「しまった」という顔をする。
だが、すでに遅い。
ユフィの瞳には、獲物を見つけた猫のような好奇心が宿っていた。
「ねぇリオくん、それ、すっごく大事そうに見えるんだけど……どういうこと?」
リオは一瞬言葉に詰まり、無意識に視線を泳がせた。
本当はごまかしたかったが、ここまで聞かれてしまった以上、隠し通すのは難しい。
しばらく迷った末に、深く息を吐いて観念する。
「……実はさ、俺、このゲームでダンジョン経営者って職業なんだ」
ユフィは目をぱちくりさせたまま固まる。
数秒遅れて「えっ」と間の抜けた声を上げた。
「え、えぇぇ!? ダンジョン経営者って……あの、運営に嫌われてるって噂の!?」
声が大きくなっているのを見て、リオは慌てて口元に指を当てる。
「しーっ! 声、でかい!」
あたりを見回すと、近くにいた数人のプレイヤーがこちらをちらりと見る。
幸い興味なさげにすぐ目を逸らしたが、リオの心臓はひやりと跳ねた。
「……悪い、でも、他のプレイヤーにはあんまり知られたくないんだ」
「ダンジョン経営者って仕様上、他のプレイヤーから攻められる対象になる可能性があるんだ。
カモだと思われたら、速攻で狙われる可能性がある。だから……このことは、誰にも言わないでくれると助かる」
ユフィはきょとんとした顔をしていたが、リオの切実な表情を見て、すぐに笑顔で頷いた。
「うん、わかった! リオくんが嫌がること、誰かに言ったりしないよ」
言葉に迷いはなく、むしろ頼もしいくらいあっさりした返事だった。
リオは胸をなでおろし、少しだけ肩の力を抜く。
しかし、ユフィはふとシルフを見て、何かに気づいたように目を丸くした。
「……ってことはさ」
おそるおそる口を開きながら、リオの肩に乗っている小さな妖精を指差す。
「もし……もし私が将来、リオくんのダンジョンを攻略しに行くことになったら……」
嫌な予感しかしない、とリオは眉をひそめた。
「ま、まさか……」
「シルフちゃんと同じ姿のモンスターをいっぱい倒すことになるの!?
そんなの絶対無理だよ!!」
「いや、まだ決まってないだろ!」
リオは慌てて否定するが、ユフィは両手で頬を押さえながら絶望した顔をしている。
「シルフちゃん量産型……そんなの出されたら泣いちゃうよ……」
「そんなの俺だって嫌だよ!」
リオは思わず声を上げたが、シルフ本人──というか本妖精──はというと、
「ぴゅいっ」と胸を張って得意げな顔をしている。
まるで「私の可愛さは唯一無二ですから!」とでも言いたげだった。
二人の間に流れる、なんとも言えない沈黙。
やがて、ユフィが肩をすくめてため息をついた。
「……まぁ、リオくんがそういう立場なのはわかった。
シルフちゃん量産型は……想像しないことにする」
「助かる……」
リオは小さく笑い、バッグの中にコインを大切にしまい込んだ。
封印虫との戦闘を終えた後も、二人は遺跡の浅層を慎重に探索した。
壁際の壊れた石像や、崩れた天井から差し込む光を避けながら進むたび、
ところどころで小さな宝箱や素材ポイントを見つけ、必要なものだけを拾い集める。
「とりあえず今日はこの辺で切り上げたほうがよさそうだね」
ユフィがバッグを軽く叩きながら言った。
中にはイベント限定素材がぎっしりと詰まっている。
「うん、ここから先はたぶん敵も強くなる。
初日は慣らし程度にしておいたほうが安全だろうな」
リオは周囲を見回しつつ、魔導カメラのデータを確認する。
アルベルトから頼まれた遺跡内部の撮影もひととおり済んでいた。
二人は遺跡を出ると、夕暮れの広場に戻ってきた。
遺跡の入り口付近は、攻略を終えてきたプレイヤーや、
新たに挑戦しようと集まっているプレイヤーで大賑わいだった。
NPCたちもテントを広げて出張ショップを開き、広場全体がイベントの熱気に包まれている。
「今日の成果は悪くなかったよね」
ユフィは戦利品の一覧を確認しながら、嬉しそうに頷いた。
「“古代の歯車”も、“封印虫の毒針”もレアっぽいし……
それにリオくん、コインも拾ったしね!」
「お、おい……声大きいって……!」
リオは慌てて口元に指を立てる。
周囲を見回したが、幸い聞いている人はいなかったようだ。
「へへ、冗談だよ」
ユフィは悪戯っぽく笑い、肩に乗ったシルフを撫でる。
シルフは「ぴゅいっ」と小さく鳴き、胸を張って誇らしげな顔をしていた。
ベンチに腰掛けると、二人は自然と次の日のことを話し始めた。
「明日はもうちょっと奥まで行ってみようか」
「今日は初日で情報がまだ少ないから、明日までに攻略サイトとか掲示板も見ておくね」
「俺もだ。敵の情報やギミックが分かれば、もっと効率よく回れそうだし」
リオは剣を肩に預け、夕空を見上げた。
落ちかけた陽光が遺跡の石門を照らし、橙色に染め上げている。
「じゃあ今日は一旦ログアウトかな」
「シルフちゃんもお疲れさま。明日もよろしくね」
「ぴゅいっ!」
「よし、じゃあ今日はここまでにしよう」
ログアウトメニューを開くと、視界の端に光の粒子が舞い始める。
この世界の空気が薄れていき、現実世界の感覚がゆっくりと戻ってくる。
「明日は、今日よりももっと奥へ──」
そんな期待を胸に抱きながら、リオの視界は白い光に包まれていった。




