封印の遺跡・初日 前編
霧深い森を抜けた先に広がる広場は、熱気に包まれていた。
プレイヤーたちが入り乱れ、武器を磨く者、仲間と最終確認をする者、物資を補充する者、それぞれが思い思いにイベント初日に備えている。
その喧騒の中、リオとユフィは遺跡前の巨大な門を見上げて立っていた。
「……人、多いね」
ユフィが感嘆の息を漏らす。
「ああ……」
リオも同じく圧倒されていた。
見渡す限り、プレイヤーの波。
皆、装備はばらばらだが、その顔に宿る期待と高揚は一様だった。
イベント《封印の遺跡》──ついに、幕が上がる。
リオは一歩だけ後ろに下がり、深呼吸をした。
胸の奥で高鳴る鼓動を落ち着けるように。
ユフィと一緒に探索することになってから、ここまでの数日間はほとんど準備に費やした。
ソロ専だった自分にとって、パーティ戦は未知の領域だったけれど──
ユフィとシルフと一緒に、連携の練習を何度も繰り返した。
ついに、本番だ。
俺は一人じゃない。
この遺跡を攻略し、ダンジョンを強くするためにも、絶対に成果を出すんだ。
そう心に決めていたせいか、視界が狭まり、周囲の喧騒がどこか遠くに感じられた。
ふと、横から覗き込むユフィの顔があって──
「ねぇ、リオくん、聞いてる?」
「……あ、ごめん。ちょっと集中しすぎてた」
「ふふ、緊張してるんだね。でも大丈夫、練習通りにやれば上手くいくよ」
ユフィの柔らかな笑顔に、リオは小さく息を吐いた。
緊張で固まっていた肩が、少しだけ軽くなる。
そのとき、ふと視界の端に、一人の男の姿が入った。
全体の熱気とは違う、妙に静かな存在感。
腰に大きな本を下げ、広場の端で何かをじっと観察している。
年配で、プレイヤーの軽装とはかけ離れた、研究者のような雰囲気だった。
「ねぇ、あの人……なんか変じゃない?」
「たしかに……他の人、誰も気づいてないみたいだけど」
「ちょっと、話しかけてみよっか」
そう言って近づいた先で、男が顔を上げた。
どこか威厳のある灰色の瞳が、こちらを捉える。
広場の端、ざわめきの中心から少し離れた場所に、その男はいた。
腰を丸め、大きな革張りの本を小脇に抱え、広場と遺跡の門を交互に観察している。
全身にまとう雰囲気が、プレイヤーたちとは明らかに異質だ。
──なんだ、この人……。
装備も武器もなく、魔術師っぽいローブ姿。
それなのに、場の熱気をよそに、一歩も動かず遺跡を睨んでいる。
正直、最初は不審者かと思った。
「……ねぇリオくん、この人……なんか怪しくない?」
ユフィも同じことを考えていたらしく、小声で囁く。
「ああ、怪しい。ていうか、場違い感すごいな」
周囲のプレイヤーたちは誰も気に留めていない。
皆イベントに夢中で、そんな人物に目を向ける余裕はないようだ。
逆に、こういう時に気づいてしまう自分たちの方が少数派なのかもしれない。
意を決して近づくと、男はこちらに気づき、ゆっくりと顔を上げた。
「──おや、君たちは冒険者かね?」
深い皺を刻んだ顔、落ち着いた声音。
その灰色の瞳は、じっとこちらを見つめてくるが、敵意は感じない。
「えっと……まあ、そんなところです」
「私は王国魔術研究院所属のアルベルトだ。この遺跡の調査を任されておる。
そしてこちらが助手のリディアだ」
隣に立つ若い女性が、きっちりとした仕草で頭を下げる。
艶のある黒髪をまとめ、胸元まで伸びる白衣を羽織ったようなローブ姿。
凛とした雰囲気で、いかにも有能そうな感じだ。
「俺はリオで、こっちはユフィです」
「はじめましてー!」
ユフィはいつも通り、警戒心ゼロで手を振った。
アルベルトは頷き、そして少し声を潜めて言った。
「実はな……本来なら私自身が遺跡の内部を調査したいのだが……」
「ダメです博士」
助手のリディアが、瞬時にピシャリと言い放つ。
「ぬぅ……」
肩をすくめるアルベルト。
その様子が妙にしょんぼりしていて、リオは「おお、ただの変わったじいさんか」と少しだけ緊張を緩めた。
「そもそも博士、先週ぎっくり腰やったばかりですし、
戦闘なんてしたら命がいくつあっても足りません」
淡々とした言い方なのに、妙に鋭くて逆らえなさそうだ。
「むむむ……研究者たるもの、現場を見ねば気が済まんのだが……」
ぶつぶつ言いながらも、アルベルトは完全に助手に押し切られている。
リオは心の中で「……助手さん強いな」と呟いた。
だが、すぐにアルベルトは切り替えたように、懐から小さな金属製の道具を取り出した。
手のひらサイズで、中央に透明な水晶玉がはめ込まれ、魔法陣のような刻印が走っている。
「それでな。代わりに君たちに頼みたいことがあるのだ」
「これは……?」
リオは道具をまじまじと見つめた。
「最近、王都の研究所で開発されたばかりの魔道具だ。
遺跡内部の様子を映し取り、外部に転送できる──魔導式撮影装置だ」
「えっ、カメラ!? そんなのあったんだ!」
ユフィが目を輝かせて身を乗り出す。
「うむ。だが、これはまだ試作品でな。王国に三つしかない。
……どうだろう、もし君たちが遺跡内部の撮影を引き受けてくれるなら、
この魔道具は報酬として差し上げよう」
「えぇっ!? これ、もらえるの!?」
ユフィはリオの腕を引っ張って、目をきらきらさせる。
「リオくんリオくん、これあれば遺跡の中で記念撮影できるんだよ!
絶対受けよう! ほら、はいピース!」
いきなりVサインをして笑顔を作るユフィを見て、リオは思わず額を押さえた。
「いや、まず依頼受けてからな……! 今撮っても何も映らないから……」
そんなやりとりをしていると、視界にシステムメッセージが浮かび上がる。
【サブクエスト発生】
《封印の遺跡調査依頼》
内容:遺跡内部の映像を撮影し、アルベルトに報告せよ
報酬:魔導式撮影装置《試作一号機》
リオは肩をすくめてため息をついた。
結局、ユフィが「受ける」を迷わずタップしたらしく、クエストは即座に受諾済みになっている。
「……じゃあ、撮影してきますよ」
「うむ、感謝する。
くれぐれも、くれぐれも無茶はするでないぞ」
助手のリディアが「本当は博士が一番無茶しがちなんですけどね」と小声で呟くのを聞いて、
リオは心の中で「やっぱりただの変わったじいさんだな」と結論づけた。
――――――――――――――
巨大な門を抜けた瞬間、ひんやりとした空気が頬を撫でた。
崩れた石造りの回廊はうす暗く、天井から差し込む淡い光が、舞う埃を照らし出している。
奥へと続く通路は静まり返り、外の喧騒が嘘のように遠く感じられた。
リオは片手剣を握り直し、慎重に歩を進める。
視界の端で、肩の上に乗ったシルフが羽をすぼめ、きょろきょろと周囲を見回していた。
「……気を抜くなよ」
小声で呟くと、隣を歩くユフィが小首を傾げた。
「うん、わかってるけど……」
彼女は軽く笑って、リオの顔を覗き込む。
「でも、そっちはそっちで緊張しすぎてない? ゲームなんだし、もうちょっと気楽にいこうよ」
「あ……そうか」
その言葉で、リオは自分が肩に力を入れすぎていることに気づいた。
あまりに現実に近い描写と空気感に飲まれて、ここがゲームであることを忘れかけていたのだ。
「……そうだったな。少し、力みすぎてたみたいだ」
「でしょ? まあ、この遺跡の空気のせいもあるかもね」
ユフィは肩の上のシルフを指差す。
「シルフちゃんもちょっと怖がってるし」
「ぴ、ぴゅ!」
シルフは慌てて胸を張り、誇らしげな顔をする。
小さな手を腰に当て、まるで「怖がってなんかいないよ」と言わんばかりだ。
あまりにもわかりやすいごまかし方に、リオは思わず小さく笑った。
その直後だった。
石畳の奥で、かすかに金属が擦れるような音がした。
「……なんだ?」
リオは足を止め、剣を抜く。
暗がりの中から現れたのは、朽ちた鎧を纏った人型の影だった。
関節部からは淡い光が漏れ、軋むような駆動音が静寂の中に響き渡る。
「機械兵……? まさか、これも遺跡の防衛装置かな」
ユフィが短剣を握り直す。
「レベルは……13か」
リオは呼吸を整え、足を半歩引いた。
「行くぞ、ユフィ!」
機械兵が重々しい駆動音を立てながら突進してくる。
リオは一歩踏み込み、正面から迎え撃つ。
剣と金属の腕がぶつかり、甲高い音が回廊に響き渡った。
「硬いな……!」
刃を押し返されながらも、リオは半身をひねり、力を受け流す。
反撃の隙を狙うと同時に、ユフィが横から滑り込んだ。
「リオくん、右足の関節狙うよ!」
「任せた!」
ユフィの短剣が素早く閃き、機械兵の膝部の隙間を正確に切り裂く。
一瞬、動きが止まったその隙に、リオが剣を振り抜いた。
関節部を断ち切るように深々と斬り込み、機械兵がギギギと軋む音を立てて崩れ落ちる。
「……よし、やったな」
リオが息を吐き、剣を肩に担ぐ。
「ふふっ、練習通り完璧でしょ!」
機械兵が崩れ落ちると、回廊は再び静寂に包まれた。
残骸の中から、小さな歯車状の部品が転がり出ている。
錆びもほとんどなく、かすかに魔力が込められているのが見て取れた。
「これ、イベント素材かな?」
ユフィが拾い上げ、目を輝かせる。
「“古代の歯車”か……たぶん装備強化用の素材だな。
あとで鍛冶屋にでも持ち込んでみるか」
リオは歯車を受け取り、手の中でじっと見つめた。
これで作れるのは、古代兵器の名を冠した装備だろうか。
あるいは、遺跡専用の特殊な強化アイテムかもしれない。
もしかすると……ダンジョンそのものの強化にも使えるかもしれない。
今回のイベントは、ただ探索するだけじゃない。
自分のダンジョンを強くする手がかりにもなるかもしれない──
そう考えると、この遺跡の価値は一層大きく見えてくる。
「……あ、そういえばさ」
ユフィが指先で歯車をくるくる回しながら、小さな笑みを浮かべる。
「な、なんだよ?」
リオは考えを中断し、顔を上げた。
「リオくん、いつの間にか敬語じゃなくなってるね」
「えっ……あ」
リオは一瞬言葉を失い、目を瞬かせた。
確かに、最初に会った頃はところどころ丁寧語で話していたはずだ。
けれど気づけば、自然にため口に変わっている。
「……ああ、そういえば……」
自覚した瞬間、どこかこそばゆい感覚が胸をくすぐる。
「前より今のほうが好きだな、私」
ユフィはあっけらかんとした笑顔で言ってのけた。
「──っ」
リオは耳まで一気に熱くなり、思わず視線を逸らした。
「やっぱり……コミュ力お化けだな……」
小さく呟いた声は、遺跡の静けさに吸い込まれた。
「ん? なにか言った?」
首を傾げるユフィの無邪気な顔に、リオはさらに言葉を詰まらせる。
ユフィは拾った古代の歯車をバッグにしまうと、
腰に下げた小さな金属製の魔導カメラを指で軽くつついた。
「ねぇリオくん、これって動画も撮れるんだよね?」
きらきらした目でカメラを見上げるユフィ。
どうやら、戦闘よりも映像記録に夢中なようだ。
「……ああ、アルベルトさんが言ってたな」
リオは頷きながら、カメラに視線を落とす。
掌に収まる小さな装置だが、中央に埋め込まれた水晶が淡く光を帯びている。
どうやら自動で録画や撮影もできる優れものらしい。
「しまったなぁ……さっきの戦闘、撮っておけばよかったぁ!」
ユフィは両手で頭を抱えて、その場でくるりと一回転する。
わざとらしい大げさな動きに、リオは呆れ半分でため息をついた。
「……いや、戦闘中に撮影してる余裕なんてなかっただろ。
それに、俺たちまだ余裕なかったんだし」
「でもさー! 動画があったら後で見返せるんだよ?
研究所への報告にも使えるし、ついでに記念動画にもなるし!」
ユフィは頬を膨らませ、反論の手を止めない。
リオはそんな彼女を横目に見ながら、腰のカメラを軽く叩いた。
確かに、さっきの戦闘は悪くなかった。
自分たちの連携も練習通りに決まったし、撮影しておけば参考資料にもなったかもしれない。
ほんの少しだけ、ユフィの言い分に頷きたくなる。
「……まあ、次は試してみるか」
渋々そう答えると、ユフィはぱっと顔を輝かせた。
「ほんと!? じゃあ次の戦闘では絶対撮ろう!
ついでに、研究用の写真も忘れずに撮らなきゃね!」
彼女は両手でカメラを持ち上げて、指で“カシャ”とする真似をした。
その仕草があまりにも楽しそうで、リオは思わず笑ってしまう。
「依頼の写真も忘れずにな。
……ピースしながら戦うなよ?」
「しないよ! ……たぶん!」
ユフィはウィンクを飛ばしながらそう返し、リオは頭を抱えた。
このテンションの差に慣れるには、まだ時間がかかりそうだった。
それでも、腰の魔導カメラが淡く光を放つたびに、
「遺跡の奥で何か大きなものを見つけられるかもしれない」という実感が強まっていく。
アルベルトの依頼もあるが、それ以上に、この遺跡を映像に残すこと自体が、
ゲームの世界を“本当に探検している”感覚を一層鮮やかにしていた。




