その18 苦み
(18)
新年は瞬く間に過ぎてゆく。
唯、この難波に住むと正月気分と言うのは『十日えびす』まで長く感じられてしまう。それは福を呼ぶ祭りが正月明けにあるからかもしれず、商売の街として殷賑たる賑やかさを抱え持つ難波という土地柄的背景もあるかもしれない。
どちらにしても、ロダンにも正月気分と言うのは十日えびすまでがそうだというところがあり、新年開けても直ぐにその気分が抜けないのは仕方がないかもしれない。
ロダンはやや伸びた縮れ毛をポムポムさせながら、下駄を履き綿入りの羽織を着て劇団の楽屋から出てきた。気分はまだどこか正月なのだというのが、その姿形からも出てきている。
劇団の劇場は阿倍野にある。小さな劇場だ。昔は映画館だったのを廃業と共にシャボン玉爆弾が借りている。
この劇場が良いのはミニシアターだったというところかもしれない。舞台と緩い勾配のある観客席は近く、人数もそう多く入れない小さな劇団の現代劇を演じるにはもってこいサイズの劇場である。
その楽屋から正月気分のロダンが跳ねる様に出てきたのは、新作が意外な程、当たりだったせいかもしれない。演目は『瓶怪人』という少しおどろおどろしい感じのする怪奇ものだが、意外な程、ウケた。
(こりゃ、新年早々、良い感じだ)
何処かルンルン気分のロダンだが、その下駄の音が止まった。止まったのはロダンがある人物を視線の先に見たからだった。それは誰であろう、大阪府警の角谷刑事だった。
刑事はジャージ姿にダウンを着ている。休日なのかもしれない。刑事はロダンを見るとニヤリと笑い、顎で誘って歩き出した。
誘われてロダンはすごすごと後を付いてゆく。まるで時代劇に出てくる十手持ちの小役人みたいだった。
少し歩くとマンションのベンチが見えた。刑事は其処に腰掛ける。
ロダンもまた同じように腰掛けた。腰掛けると同時に刑事が何かを差し出す。
缶コーヒーだった。
ロダンはそれを受け取ると栓を開けた。僅かに湯気が上がる。
「いい演目じゃないか。『瓶怪人』見たよ」
ロダンがドキリとしてぎょっとする。
刑事がそんなロダンをじろりと見る。
「しかし――実際の刑事事件を扱っちゃ困るなぁ、はっはっはっ」
ロダンは髪を掻いた。
そうなのである。この『瓶怪人』は実際に起きた事件をモデルにロダンが脚本化した演劇なのだ。その事をロダンはこっそり隠して劇に仕立てたのだが、当の担当刑事にバレてしまった。勿論、ロダンもその事件に関与しているのだが…。
「いやぁ…すいやせん」
ロダンが詫びる様に言った。
「まぁ、しゃぁない。しかし今後は困るよ、こんなことされたら、機密情報もあったもんじゃない。あっはっはっ」
刑事は高らかに笑う。ロダンも釣られてふっと笑う。すると刑事が笑い声を止めて、やや体を伏せてから、ロダンに言った。
「――例の『木下秀吉』の事件だがな…」
ロダンが背を丸め、低く答える・
「ええ…」
「ありゃ、君の見立ての当たり半分、外れが半分」
「え、半々?」
「そうやな」
刑事がポケットから缶コーヒーを取り出すと、栓を抜き、口に運んだ。
「成程、調べると不思議だ。あの人物にはさる児童施設――まぁ私設孤児院と繋がりがあるようだが、そこは至って健全でな。君が言うようなやましいことなんて一切ない。だが…」
「だが?」
ロダンが応じる。
「問題なのは、その孤児院で数年に何人か行方が消えているのが居る。ちゃんと警察にも届け出がされているのだが、見つからない。その施設は少し訳ありな…まぁちょっとした精神疾患のある児童を受け入れているから、時にそうした脱走みたいなことがあっても不思議じゃないんだ」
ロダンは黙している。
刑事がコーヒーを口に運び、濡れた唇を指先で拭いた。
「…そこに、君が言った『猿渡燕』は確かに居た」
ロダンは真顔になる。この瞬間、正月気分は吹き飛び、冬の厳しさをリアルに感じた。
「…居ましたか。やはり、なんの繋がりが無いなんておかしいですしね」
「義務教育が終われば児童施設は手切れになる。その後、あいつがどうしたのかは、本人に聞くしかない」
刑事は立ち上がる。その姿をロダンは眼で追うと言った。
「それで調べるんですか?」
ロダンの追撃を刑事がひらりと躱すように答える。
「――失踪児童。それは空想だな、警察が対応するのは誰かさんの思い描く『空想』じゃない。現実の事件だけだ。つまり誰が『木下秀吉』を殺したかだ」
「いや、だから調べるんですか?あの人を」
しつこく問いかけるロダンへ刑事が振り返ると睨むように言った。
「答えるわけないやろ。もし答えてみぃ?リークやここで劇にでもされたらたまらんからな」
言うとコーヒーを一気に飲み干して、ロダンへバイバイをするとダウンのポケットに手を突っ込み、「まぁ、そういうこっちゃ」と言いながら、角谷刑事はすたすたと歩いて行った。
ロダンはぐっとコーヒーを飲み干すと、苦みの為か、苦々しい表情で刑事が去った方をいつまでも見ていた。




