その17 ロダンの年初めの儀式
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ここ近年のロダンの習慣として、年明けの元旦は銭湯で朝風呂に入る習慣になっている。
大晦日の雰囲気を肌感じて、やや寒い朝に風呂桶を持って、銭湯へ行く。ガラリと銭湯の引き戸を開けて、それから脱衣し、掛け湯をして、湯船に浸かる。
それだけの所作なのだが、まるでロダンにとっては茶道の所作の如きものであり、また新年、これからの一年を迎え始めるというある意味儀式的所作であった。
湯船は熱くはなく、ぬるま湯が良い。自分が行く神徳銭湯は小さくとも露店風呂があり、都会に閉じ込められたあらゆる人情の中に潜む湿りを含んだ湯船に浸かると髪を靡かせ、風が抜けてゆく。
素っ裸は良い。
ロダンは湯船に浸かる度、いつも思わないではいられない。
人間というちっぽけさも、卑小さも全てが無為天道に晒されて、名誉も職分も何もかも、所詮はこの世を生きるために一時的な借り物でしかなく、故に人間は社会という舞台で人生を通じて自分の役割を演じる『役者』でしかないのだと。
それを骨身に染みるまで思うと、湯船の中に浮かんで揺れる自分を見て、嘲笑う。
――ロダン、お前は何者で、これからお前はどこへ行くのか?
ぴしゃりと音を立てて湯船の水を頬に掬って撥ねる。
(何者でもないでありんすよ、このロダンは、唯の役者でさぁ)
そこでずぶずぶと湯船に顔を埋めてゆく。そして瞼と閉じて、考える。
ロダン頭脳では浮かぶ、幾つもの言葉郡。
…薔薇と桔梗
…高山右近と地下墳墓
…西願寺にある似つかわしくない「釣鐘塔」
そして
…『薔薇十字騎士団』
ロダンは大晦日、蜥蜴堂の主人興梠轆轤から頂いた本を素読した。要点をかいつむだけだったが――成程、そのような歴史があるのだなとロダンは感じ入った。
西洋は奥深い。どうもキリスト教一辺倒だけであの文化圏を見てはいけないと思った。宗教は一つに宗旨に沿った教義でしかなく、西洋文明全ての知性を説明できない。
本当の知性と言うのは宗教の中にとどまらず、それは別の所に注がれている。それが団体と言えるものだろう。
その西洋の団体には古代エジプト、メソポタミア占星術、天文学、錬金術、魔術あらゆる土着の知識が融合され、キリスト教等のカテゴリーでは全てを説明出来ない。ルネサンス運動もそうした一つだ。そして本当の知識と言うのはそのような団体――つまり秘密団体と言えるかもしれないがそこに受け継がれ、現代に引き継がれている。
(――それを『隠された知』という)
ロダンはブクブクと顔を沈める。
(そしてその団体の一つが…『薔薇十字騎士団』)
ロダンはじっと息を湯船で潜める。もしその姿を誰かが見れば、きっとカメが水面から顔を覗かせているように見えるだろう。
(そして『薔薇』だけど…)
息を止める。
(僕がりょーちんから依頼されて探す『薔薇』は騎士団と同じ薔薇かどうかは分からないから、此処では一度隅に置いて…『薔薇』と『桔梗』について考えよう。轆轤さんが言うには『桔梗』は『薔薇』が日本で変化した家紋の可能性がある…そしてその家紋で有名なのが…)
息が持たなくなったロダンがぐっと一気にもぐり、ぶあっと顔を出す。そして縮れ毛を搔きむしると、存念を振り払い終えた目で轆轤がそれとなく示唆した『答え』を見つめた。
(…明智光秀)
今新たにしっかりと脳裏に書き込まれた人物名をロダンは勿論知っている。日本の歴史に於いて、織田信長を本能寺で殺害した人物であり、その所説を現代においても騒がしくさせる人物だ。
実はロダンは轆轤から示唆されたあの日から少しだけ、この明智光秀について自分で調べていた。
実はどうも不意義なのだが、実はこの人物の前半生は極めて謎なのである。
言わば彼自身は突如、綺羅星の如く戦国の歴史に出てきた。同時代の木下藤吉郎秀吉も謎があるが、それ以上にこの人物自体が極めて謎なのである。
故にロダンが思ったのは改めて織田信長と言う人物の人を見る目だろう。
(やはり、信長は中々の人物眼があったのだろうな)
だが、デアル。
今は信長ではない。光秀である。
ロダンはタオルを手にすると首に巻き、露天風呂を出た。程よく火照った体に湯気が湧く。
(後は、コーヒー牛乳でも飲みながら考えよう)
思うと扉を横にがらりとスライドさせ、ロダンは脱衣場へ入って行った。




