12 探偵と閻魔
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純喫茶というのは、酒等のアルコールを出さない喫茶店と区別する意味で『純』が付いている。つまりアルコールという毒素が無い分、純だという意味かもしれないが、然しながらその分、そうした純喫茶には何かしら個性という『毒』がある。この『睡蓮』には背面壁に広がるモネの睡蓮の絵画もそうかもしれないが、それ以外にも『毒』があると知れば、それは――ジャズかもしれない。
冬の黄昏時に程よく流れてくるピアノジャズが――『毒』かもしれず、レコードから聞こえるノイズもまた、その毒をより聞かせてくれるのは、都会の静寂に遊ぶ孤独人にはたまらない毒と戯れる遊びかもしれない。
その『毒』が回り始めたのかもしれない。
燕は怪訝そうな顔つきで、ロダンへ訊いた。
「…薔薇やと?」
ロダンが答えるようにカップを唇に運ぶ。僅かに濡れた唇が、ジャズのノイズに震える。
「…そうです」
燕の顔つきには不思議さが浮かぶ。それは自身の中でもその『薔薇』を繋げようとした結果だろう。自然と答えが、表情に浮かんで、それが顔に出てしまっている。
ロダンは顔つきから答えを知ったようで、顎に手を遣るとうーんと唸った。
「卍楼の閻魔さんすら知らないとなると…奥が深いでありんすねぇ」
役者言葉交じりでロダンは独り言みたいに答えると、マリモ頭をぼりぼりと掻いた。
「となれば、やはり…あの轆轤さんが言うように…そっち系なんかなぁ」
ぼそぼそと自分だけに分かるように語るロダンを見て、燕がむっとするような顔つきになった。なれば自然内心からふつふつと怒りが湧くのか、燕は、顔を上げつつ、斜視にロダンを見た。
「なんや、ワレ。ワイを無視すんのかい」
舌鋒が再び鋭くなる。
ひょっとすると燕は自身が何事からか急に外されると気分を害する性質、いや事実そうかもしれない――卍楼の案内人とはいわば町内の顔役みたいなものだ。自然、その性根には誰かの為に尽くすという奉仕的親切心という『熱』がある。
その熱は勿論、他人へ向かられる訳であり――謂わば無欲無心の親切心から出ているのだが、引いては西願寺という仏教の信心の徳目から出ている訳であり、仏道から出てきた『閻魔』の心得としては寸分間違いないというよりは、正にうってつけである。
燕自身もそこまで自己分析ができているか甚だ疑問があるが、この時の燕は、そんな親切心から自分が離されたのを感じて不機嫌なり、また一方でこのロダンという若者の心の内に秘められた何か大事な『秘密』から外されたことに何と見えない歯がゆさを感じてしまっているから、口に出たと言える。
だが、当のロダンはそこまで察することができる訳ではない。髪を掻き終えると、またぽつりと言葉を漏らした。
「ほなら…薔薇は…あれかな。あれなら関係するものが見つかるんかな」
燕は秘密の中からポロリと落ちた花びらを革靴で踏みにじる様に鋭くロダンへ言い放った。
「ワレ、無視すんな!ワイは卍楼の閻魔やぞ、この街衢の事を知らことなんかひとつもないんや」
「ありますやん。『薔薇』知りませんやん」
ロダンがぷぷぷと吹き出すように笑う。
どうもロダンという人物は相手の気分というか気持ちを損なわす才能があるのかもしれない。
それは役者という職分であることもそうした才能に一役買っているのかもしれないが、――いや寧ろ自分の生まれ持った性格故だろうか、野球選手で言えば、自然と綺麗な流し打ちができるそんな生まれつきな才能の強さが見えた。
だがこの時の二人を見知らぬ人が見れば、まるで恋人同士の言葉のじゃれ合いに見えただろう。それは燕がぷっくりと頬を膨らませて、ロダンを睨んでいるからかもしれない。
燕は腕を伸ばすとロダンの胸倉を掴んだ。
「ワシを舐めてるんか!」
言ってぐっと燕が腕に力を籠め、首を絞めようとした瞬間、ロダンが胸倉を掴む手を握った。瞬間、痛みが燕を襲う。
「痛っ!!」
鋭い桐のような痛みが身体に伝わるとぱっと手を離した。その手を引っ込めると赤く腫れた手を摩りながら、ロダンを睨んだ。
「てめぇ、…前も、胸倉掴んだ時、何かしたな」
燕が手を摩りながら、ロダンへ問い詰める。しかしロダンはどこ吹く風とも言わんばかりに飄々として、カップを唇に寄せた。
「かもしれませんが、手荒な事はこの四天王寺ロダン、秘術を使って市井の善良な人には手を出しませんぜぇ」
くくくと忍び笑いを漏らす。
「なら、この痛みはなんや?ワイは善良な市民とは違うんかい⁉」
その問いかけにロダンは顔を上げ、目をぱちくりさせると、素直に言った。
「そりゃだって『閻魔』いうたら地獄の番人。正に地獄という『外法』の人ですから、何をしたって咎められないでしょう?違います?」
言うとぬっとロダンは顔を燕へ突き出した。そして写楽の浮世絵張りに口を左右に開いて、見栄を切った。
店内にピアノジャズが流れてくる。まるで恋人達の争い事を音符にして、軽快さを楽しむ皮肉さを込めて。
燕は言われて――不思議だが、心から笑い出した。
なんだろう、この四天王寺ロダンという若者は。こうも自分という茨のような言葉の棘に絡みつく癖に、何故かぬるりと得体のしれない何かを心に残して泰然綽綽として飄々としている。
――不思議だ。
それがこの人物の持つ魅力かもしれない。
燕は感づいて揺れる気持ちを隠すように、いや、確認するかのように短く切りそろえた髪を撫でた。掌に残る感触がまるでロダンの優しい棘だと感じつつ。そして息を吐くと、酷く柔らかい口調でロダンに聞いた。
「まぁ、分からないことかもね。『薔薇』って。残念だけど」
それは素直な言葉だった。
ロダンは燕の素直さを慰めるように応える。
「いやいや。そりゃ閻魔様でも何から何まで全て知っている訳じゃございませんぜ。閻魔帳にも書き漏らしはありますから。しかしですね…」
「しかし?」
燕がロダンへ問う。ロダンは首筋に手を遣り、やがてパンと首を叩いた。
「これは知りませんか?『桔梗』――花ですが、これと卍楼が関係するものなんでもいいんです。勿論、桔梗ですから花ですけど、そうですねぇ…、花壇、育てている人、家着物の柄、そう家紋…とか」
ロダンが言葉を紡いだ最後に燕が反応した。
「家紋?やと」
何か思いつくものがあるような顔つきだった。
それにロダンは大きく期待づく。燕はジャケット内ポケットから電子ポッドを取り出した。それが閻魔帳である事をロダンは既に知っている。
燕の細い指先が手早く動く。やがて閻魔帳の中から何かを見つけたのか、燕の瞳がパッドの電子ライトに反射して煌めく。
数秒、何かを確認すると、顔をロダンへ向けるとニヤリとして言った。
「正に地獄の『閻魔帳』や。ロダン探偵、見つけたぜ、『桔梗』を」
そして言うなり、ロダンへ閻魔帳を見せた。その閻魔帳をロダンが覗き込んだ。ロダンが覗き込んだ視線の先、――画面に浮かんでいたのは…
「これは…釣鐘ですね」
ロダンが呟いて燕を見ると、その相貌がひどく満足げに頷いた。




