第284話 拡大する祈り
王都の至る所で異変は起きていた。
胸や頭を押さえて苦悶の表情を浮かべる者が多数いた。治療院に運ばれて来た病人は聖人や聖女により治療を受けるも症状が改善はみられない。
「この症状は……」
シリルは患者を目視し口を紡ぐ。
他の者には見えていない、シリルだからこそ見えた。
横たわる患者の胸の中に黒いもやが見えた。
黒いもやは見た目の通り負の感情であった。
人は誰しもが負の感情を持っている、誰かを羨んだり嫉妬したり、それ自体は悪いわけではない。ただし、それを消化できずに募らせて負の感情を増大させると罪を犯す者がいる、それが問題なのだ。負の感情に支配され安易に罪を犯す、そうなると人の道から外れる。
人の道から外れてしまえば輪廻の輪から外れてしまう、コンラッドのように。
「シリル様……この症状は……」
「これは元々あった負の感情にコンラッドが働きかけて増加しているんだよ」
「では治療は……」
「浄化じゃないと治療は難しいよ、マルコ」
祖父の生前より仕えているマルコは顔をしかめた。
それもそのはず、横たわる患者は神官の一人であった。マルコとこの神官は顔見知りであり、穏やかな性格であったと記憶している。
「しかし、シリル様……負の感情など誰にでもあるものでしょう?私とて……」
「うん、それを隠して表面上は穏やかに過ごしている。そういう者ほど危険なんだよ。秘めて消化できなければ負の感情は積もる。コンラッドはその積もった感情に問いかけている。それを解放しなくて良いのかとね、だけど負の感情を秘める人は元々気弱な人が多い。だからこそ抗っている、負の感情を表に出してはいけないと、抗って苦しんでいるんだ」
「そうですか……」
シリルは横たわる神官に手をかざすと神聖力を分け与えた。
「シリル様?」
「コンラッドがいる限り浄化しても同じ事の繰り返し、これはただの気休めだよ。負の感情がこれ以上増加しないように抑えるだけだからね」
「シリル様……」
マルコは静かに頭を垂れた。
「マルコ、教会に避難してきた人に妖精王に祈りを捧げるように伝えて、それから神聖力が多い聖女や聖人に患者に神聖力を分け与えるように指示を出して欲しい」
「はい、分かりました」
マルコは顔を引き締めると一礼をして退室して行く。
「祈りは妖精王に力を与える、だから戦うアイリーネ達の手助けになるはずだ。そうだよね、イルバンディ様……」
シリルの問には誰も答えない、それでもシリルは信じている。必ずコンラッドを倒すと。
「さあ、患者に神聖力を分け与えるよ!すでに暴れている者は拘束して僕の元に連れてきて!アイリーネには及ばないけど浄化を施すから!」
多数の者を浄化することはシリルには出来ない。
すでに負の感情にのまれてしまった者のみに浄化を施し、他の患者は聖女達の神聖力に頼ることにした。
かつて妖精として過ごしていた時には力など望んだ事はなかった、自分にもっと力があれば……そう考えてシリルはふと我に返った。
「ダメだ、今の僕は人間だから……多くの力を望むのは良くない。僕は僕に出来ることをする、それだけだ。みんな無理しないでね、交代して休憩も取るんだよ!」
シリルが笑顔を見せると張り詰めていた空気が和み、大聖堂は活気を取り戻していった。
◇ ◇
大聖堂から少し離れた場所の屋敷の中にも自信の中で増えていく闇に対して抗う者がいた。
公爵邸の一室、少女はベッドに横たわっていた。
屋敷の中の雰囲気は暗く沈んでいる。
「マリアしっかりして!」
公爵夫人であるカロリーネは苦しむ娘の手を握りしめた。マリアは顔色が悪く意識も混濁していた。
「早く教会に聖女を依頼してちょうだい!」
「奥様……非常事態につき聖女も教会から離れられないと思われます」
「そんな……」
執事のマーカスの言葉にカロリーネは絶望した。
「ではマリアはどうなるの?」
そんな公爵夫人の言葉にマーカスは答えることは出来なかった。
「身の内に闇を秘める者よ。その闇を解き放て!」
マリアの頭の中にコンラッドの声が響いていた。
マリアの場合、他の者とは事情が違っていた。
他者の場合は成長する過程で抱えた闇はマリアの場合、生まれた時にすでにその魂に闇を抱えていた。
アイリーネによってマリアの魂に絡みついた闇は小さくなっていたものの、まだ完全には消し去っていなかった。ゆえに他者よりも根深く、苦しめられていた。
「お母様……」
「マリア!?どこが苦しいの?お母様はここにいるわよ!!」
「お母様……心配しないで……堪えてみせるから……」
「マリア?」
浅い息を繰り返しながらマリアは気を失った。
今のマリアには強い意志がある。
もう二度と闇にのまれたりしない、どれだけ苦しかろうが抗ってみせると。
「イ……イルバンディ様……どうか………」
マリアは初めてその名を口にした。
前世でも回帰前も祈ったことなどなかった。
マリアの中の闇が小さくなってもその名を呼んだことはなかった。マリアがその名を呼んではいけないと、イルバンディを汚してしまうようで恐れていた。
しかし、マリアは今その名を口にした。
イルバンディの名に誓ったのだ、闇に支配されないと。
マリアは無意識に母の手を握り返した、離さないでほしい、ここに留まりたいのだと。
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