1.ど初っ端から足止めでした
瞼の外を白く染めていた光が消えたのを感じ取って、キリは目を開いた。
目の前に広がるのは、森に囲まれた素朴な村と、そこに続く道だ。
ここに立つのはまだ数度目だが、どうも複雑な思いが胸をよぎる。
アルシータ出国のために立ち寄った、竜人の里。
たどり着いてすぐ、黙々と魔法陣を起動させにかかるイシュの背に向かって、キリは声をかけた。
「イシュ、このまま行くつもりか」
「……まだ顔合わせる気にはなれない」
「引き伸ばすとそれだけ覚悟も必要になるぞ」
発光を始めようとしていた魔法陣の輝きが、ぴたりと止まる。
どうやら葛藤しているようだが、背を向けた彼の表情は読み取れない。
結局あの後、彼の父親に関する話はできていなかった。
キリが自分のことに精一杯だったこともあり、仲直りしてそのまま放置というのが現状だ。
イシュとしてはあまり触れて欲しくない話題なのだろうが、キリとしては放っておけない。
キリの言葉に僅かな沈黙を返した後、イシュは振り返った。
「キリは、本当に話をすることに意味があると思うか?」
「ある。話すらしなくなれば、ずっと分かり合えないままだ。話をしようと思えば、まだ分かり合える可能性は生まれる」
「……いっそ分かり合えなくてもいいって、俺は思うけど」
「今はそうかもな。でも、何年も何十年も経ったいつか、それを後悔しないって言い切れるか?」
少しずるい言い方になってしまったかもしれない。
けれど、キリが告げたい言葉に間違いはなかった。
イシュの目を見たまま、言葉を続ける。
「家族だろ。里に戻る日だって、いつか絶対来る。その時お前に後悔して欲しくないんだ、私は」
「……」
「あの人も、……言い方はどうあれ、少なくとも、イシュのことを心配してるように私には聞こえた」
その言葉に渋面になるイシュ。
それが親への反抗心からくるのかキリの言葉への反発なのかは分からないが、彼は眉を顰めただけで言葉は紡がなかった。
「お前が今後里を出ていくにしても、一度落ち着いて話をしておいた方がいい。絶対に」
何かを言おうとしたのだろうか。
いつの間にかキリから視線を外し、地面に落としていたイシュは、言葉を纏めるかのように目を閉じる。
やがて、徐に口を開いた。
「……キリの言いたいことはわかった。でも、やっぱりもう少し時間が欲しい」
「どれくらい?」
「わかんねえ」
間髪入れず投げた問いに、帰ってきたのは即答だった。
お前な、と目を据わらせて眺めやるキリに、イシュは困ったように眉を寄せる。
「言い返せなかったから。多分今行った所で、同じだ。話になんねえ」
「何もできないとか、そういう話か?」
「それもある。実際俺、何もしてこなかったしな」
キリに会うまでずっとふらふらしてた、と、この間の夜、彼は言った。
それがどれくらいの間かは知らないが、イシュ自身がその言葉に納得してしまったのだろうか。
キリはそうは思わないのだが、キリが否定したところでどうにかなる理屈ではなさそうだ。
「せめて、ちゃんと言い返す言葉が見つかるまで、待ってほしい」
「……分かった。そうだな、その辺のことは私がどうこう言うべきじゃないのかもしれない」
見ていられずに口を出してしまったが、キリは彼らの親子喧嘩に首を突っ込むほどの仲ではない。
今更ながらに気づき、キリは罰の悪い思いで頭を掻いた。
「けど、話はしろよ。いつになってもいいから」
「おう」
素直に頷き、顔を上げたところで、イシュは何かに気づいたように魔法陣から身を引いた。
イシュで遮られていた魔法陣が視界に入り、キリも異変に気づく。
イシュが触れているわけでもないのに、魔法陣に段々と光が生まれていく。
どこか違う場所から、誰かがここへ転移してこようとしている。
それに気づいて咄嗟に身構えたキリだったが、光が消えた後に現れた姿を見て目を瞬いた。
「フォミュラ?」
「ん?……キリ?」
少し驚いたように目を丸くしてから、フォミュラはちらりとイシュに視線を向けた。
何故か視線を泳がせている彼を無言で少し眺めたあと、彼はキリへと視線を戻す。
黙ったままのイシュの代わりに、その視線を受けてキリが口を開いた。
「ティンドラにいたんじゃなかったのか?」
「いや、実は少し事情が変わってな。一旦ティンドラから戻ってきたところだ。丁度いい、あちらの状況も含めて少し話をしようか」
イシュの家を借りよう、と告げて返事も待たず歩き出したフォミュラの後を、面倒くさそうにイシュがついていく。
彼らの態度に違和感を覚えつつ、キリも首をひねりながら追いかけた。
イシュの家へと移動し、三人はお茶を前にして卓を囲む。
なんだか妙な雰囲気の中、さて、と口を開いたのはフォミュラだった。
「キリ、君からの手紙は受け取った」
キリがフォミュラに送った手紙の内容は、簡潔に二点。
アシュトルの協力を得るため、ティンドラへ戻ること。
できればその際、口添えを頼みたいこと。
「正直どこまで力になれるかは分からないが、可能な限り力を貸そう」
「ありがとう」
フォミュラの言葉一つでアシュトルがどれだけ心を動かしてくれるかは分からないが、今は使える伝手があれば惜しみなく使うべき時だろう。
快諾に顔を綻ばせたキリだったが、次のフォミュラの言葉に目を瞬いた。
「それで、こちらの状況を話す前に聞きたいことがあるのだが」
「聞きたいこと?」
一つ頷き、フォミュラは改めてイシュとキリに交互に視線を移す。
そして、
「なんで君たちは一緒にいるんだろうな?」
その問いに首を傾げて少し考え、キリは「あ」と漏らした。
そう、キリは小竜のヴィーと一緒にティンドラの天幕を出たはずだった。
真実を知っているかいないかはともかく、フォミュラはそのつもりでいただろう。
そのキリが、イシュと一緒にいるということは。
先程の違和感の原因を察し、キリは恐る恐るイシュを見上げた。
黙ったままのイシュに、フォミュラは有無を言わさぬ声音で問いかける。
「イシュ?」
「あー、おう。バレた」
嘘をついても意味がないと悟ったのか、もしくは最初から隠すつもりなどなかったのか。
頭を掻きつつあっけらかんと告げたイシュの前で、フォミュラが頭を抱えて項垂れた。
お前な、と漏らされた覇気のない声に、イシュが言い訳のように言葉を続ける。
「いや、俺もバレないようにはしてたんだって。でもこう、仕方なく……なあ?」
そこでこっちに振るのか。
目を丸くしたキリだったが、まあ色々あったのも、ある程度仕方ない事情があったのも事実だ。
ただ、一言で言えるほど簡単でもない。
結局、
「……まあ、うん。色々あってさ」
「……分かった。とりあえず話を聞かせてくれないか」
そんなこんなで。
大まかにではあったものの、キリ達はティンドラを出てからの経緯を説明した。
万延していた病気のこと、ジェドのこと、洞窟の男たちのこと。
危機に陥った際、偶然キリがイシュの正体を知ったこと。
子供たちのため、薬を取りに里へ来たこと。
キリの調べ物に力を貸してくれた女性が、アシュトルの名を示唆したこと。
イシュの父親と喧嘩したことまでは言わなかったが、それだけだって随分長い話だった。
所々で渋い顔をしたり頭を抱えたりと百面相を繰り広げながらではあったが、話を聞き終えたフォミュラは。
「なるほどな。ようやく落ち着いて調べ物に行ったと思ったら、また随分な厄介事に巻き込まれたものだ」
「巻き込まれたっつーか、突っ込んでったっつーか」
「仕方ないだろ。あそこで無視できるのかお前は」
揶揄するように見下ろしてくるイシュを、目を据わらせて軽く睨み上げる。
彼は「しねーよ」と軽く肩を竦めて返し、フォミュラに視線を投げた。
「まあそういう訳で、バレたのは理由あってのことだから」
「……えっと、仕事増やしてごめん。今のところ私しか知らないし、誰にも言うつもりはないから」
「ああ、それは心配していない。二人の間で話がついたのなら、私が言う事もない」
キリの言葉に苦笑を返し、フォミュラは腕を組んだ。
「しかし、そんな事が起きていたとはな。こちらでも、アルシータの動きの鈍さに困惑していたところだった。そういう理由があったのなら頷ける」
「今だから言えるけど、結構な危機的状況だったからな。国外に公表とかしてる暇もなかっただろうし」
そもそもあの時は、国内に関する書類さえ捌ききれていなかった。
アルシータ王宮の修羅場を思い出して遠い目になったキリの耳に、フォミュラの声が届く。
「まあ、何とかなったようで何よりだ。……さて、今度はこちらの話をしよう」
「うん。どうなった?」
「アルシータの動きのお陰で想定より少し遅れてしまったが。こちらでもようやく、グラジアとの停戦の話が出た」
「本当か?」
「協定を結ぶ準備はこれからだから、実際の停戦はもう少し先だ。しかし、当分はティンドラ周辺はごたつくぞ」
しかも、と彼は言葉を続けた。
「それに伴って、アシュトルの奴は今城に戻っている。キリが出向くには不都合だろう」
確かに、できれば行きたくない場所だ。
このまま乗り込んでキリが本人だとバレてしまえば、今度こそ噂は大きく広まるだろう。
キリ・ルーデンスとして戻るつもりはもうないし、彼を不死身の男にしたくはない。
国境付近であれば何とか誤魔化せただろうが、知り合いの多い城内でそれは通用しない筈だ。
「あいつと接触したいなら機会は作れるが、すぐには難しいだろうな」
「そっか。状況は分かった。ちょっとタイミング悪かったな」
どうやら、停戦までにアシュトルと話をしに行くのは難しそうだ。
腕を組むキリの隣で、黙って聞いていたイシュが声を上げる。
「じゃあ、今日の所はティンドラに行かずに様子見してたほうがいいってことか?」
「行ってもいいけど、できることはなさそうだな」
フォートの研究とやらについて調べたいが、そこらに転がっているような物ではない。
他にできることは、と考え始めたキリを眺めていたフォミュラが、小さく笑う。
「いいじゃないか。久しぶりに家の様子を見に行ったらどうだ」
「家?……ああ」
この世界でキリの家と呼べるような家は、あの里のこぢんまりした一軒家だけだ。
もう長いこと帰っていないから荒れてはいるだろうが、それでも今から帰って掃除をすれば何とか過ごせるほどにはなるだろう。
最悪、一番最初に滞在したあの城のような屋敷の一室を借りることもできる。
「ここで過ごすよりは、キリもその方が落ち着けるだろう?」
「イシュはいいのか?」
「俺もここよりはあっちの屋敷の方がいい」
こっちの里にいると息が詰まる、と眉を顰めるイシュ。
そうなればキリとしても拒否する理由はなく、素直にその言葉に従うことにした。
青空の下、雲が足元を通り風と共に吹き抜けていった。
石造りの大きな屋敷が、遠くに聳えている。
さくさくと土を踏んで歩きながら、イシュは懐かしく辺りを見回した。
この里を出ていたのは精々が一月ほどだったはずだが、少し離れただけでこんなに懐かしく思えるものだっただろうか。
昔フォミュラと外に出た時はもっと長旅だった筈なのにな、と感慨深く思い出していると、隣から肩を叩かれた。
振り向くと、フォミュラが小さな声で話しかけてくる。
「イシュ」
「ん?」
「どこまで話した?」
主語はなかったが、恐らくイシュの姿がバレたことを指しているのだろう。
どこまでだっけなあと少し考え、恐らく彼が知りたいのだろう点を言葉にする。
「んー。竜が本体って辺りまで」
「聞いた限り誤魔化せただろうに。そこまで話したのか」
咎めるような色はなかったが、少し呆れが含まれているような声音だった。
フォミュラに責める意思がないことを確認し、イシュは唇を尖らせる。
「だってさ。あいつ、自分のこと話してくんねーんだもん」
「……軽々しく話せる理由ではないのだろう」
「それは分かってる。……だからさ、とりあえず俺の話をしてみようと思って」
考え事でもしているのか、振り返る様子もなく前を行くキリの背を眺めながら、呟く。
「俺はキリのこと信用してるし、力になりたい。もっとあいつのこと知りたいし、話してほしい」
だから誤魔化さなかった、と言葉を締める。
返ってくるのは沈黙だ。
ちらりと横目でフォミュラを伺うと、彼は何とも言えない表情でキリの背を眺めていた。
「お前も大概だな。キリの事情に勝手に首を突っ込んでおいてそれか」
「首突っ込むに関してはキリも結構俺のこと言えないけどな」
「何かあったのか?」
「ちょっと親父と喧嘩してさ」
喧嘩?と眉を顰めたフォミュラに、イシュは肩を竦めて返した。
キリが父親に啖呵を切ったことが知れれば、フォミュラは更なる頭痛に襲われることになるだろう。
彼を慮っての行動だったが、どうやらそれは余計な心配を増やしただけだったらしい。
詳しく話せと視線で訴えてくる旧友の追求を笑って誤魔化し、イシュはいつの間にか距離が開いていたキリを追うのに専念することにした。




