新しい住人
「うう〜、死んじゃうかと思いました…まあ死んでるんですけどね!」
あれから困惑する意識を引きずりながら寝室へ行くと、そこにはまた見慣れたとは言いたくないが慣れてきてしまったソレがいた。畳の上で幸人はしばらく言葉を失う。
目の前には人の形をしていないモノがいる。黒い髪の束がまるで生き物のようにうねり、ぴょこんと持ち上がっていた。声はそこから聞こえている。
「……」
引いている、というより理解が追いついていない。それでも幸人はゆっくりと息を整え、応えた。
「えーっと、きみは一体?」
恐る恐る問いかけると、髪はぴくりと揺れた。
「えっとですね、わたし、この家の地縛霊なんです!」
とてもあっけらかんとした声だった。
「この家で死んじゃったんですけど、実は待ってる人がいて」
「待ってる人?」
「はい、行ってらっしゃいって見送って。それからずっと帰ってこなくって、でも帰ってくるって約束したので!ずっと待ってるんです」
軽く言葉を濁す。その調子はどこか明るく、深刻さを感じさせないが、幸人には分かった。そこに触れてはいけないのだと。
ただ今現在、彼女が自分に害を加える気がないという事だけはなんとなく分かった。
「えーっと、きみはさっき燃やされてたあの髪の毛なのかな…?」
幸人の脳裏にこれまでの不可解な出来事もよぎる。不気味にチラつく姿、絡みつかれた時の息苦しさ。
しかし本人はというと特に気にしていないらしく。
「全部わたしでーす!」
と、元気よく肯定された。
「実は前の人たちにもちょっとイタズラして追い出してて」
色々と振り返ると“ちょっと”ではなかった気がするが、そこは目を瞑る事にする。
「でもあの人が来た時に…」
「あの人って、蓮美さん?」
「はい」
その瞬間、髪の動きが明らかに縮こまった。
「いつも通り追い出してやろうと思って、軽い気持ちで顔を出した瞬間…引きちぎられまして…」
どうせそんな事だろうと、もう彼に慣れてしまった幸人が予想した通り物騒な内容だった。
「出てきたら殺すって言われて、こわくて、ずっと引きこもってましたぁ…」
語尾がしゅんと落ちる姿を見て、幸人はなんとも言えない顔になった。話を聞いている限り彼女に明確な悪意というものはないのだろう。この家に何かしらの執着があり、家を守ろうとしただけで。
「災難だったね、って言うべきなのかな」
対話が出来ているからだろうか、恐怖よりも可哀想だという哀れみの気持ちが勝った。話し方からして恐らく大人ではないだろう。そんな彼女がずっとここでひとり、どんな気持ちだったのだろうと想像すると胸がきゅっとなる。
「はい、ずっと怖かったです。でもあなたが来てくれて!」
ぱっと髪が少しだけ弾んだ。
「嬉しくなっちゃって」
そしてちょっかいをかけ始めた、という経緯らしい。元々あった追い出すという選択ではなくどちらかというと構ってほしくての行動のようだ。
よく言えば好意的、ともとらえられるがあの恐怖心を思い出すと心の裏に寒気が通る。
「嬉しくなってあれはちょっと…」
「えへへ、すみません」
素直に謝られた。ちゃんと対話ができる上に、しっかり人間らしい思考も残っている。恐らく彼女は悪霊と呼ばれる類のものではなく、本来は非常に友好的な存在なのだろう。どちらかと言うと蓮美の方がよっぽど人間らしさに欠けている上、対話する気がないのも彼の方だからこそ彼女は孤独に過ごすハメになったのだ。
そして幸人はもう一つ気になっていたことを口にする。
「きみは元々人間だったんだよね、その姿は?」
その問いかけに髪はしょんぼりと床に垂れる。
「生きていた頃の姿でいるのは疲れちゃうんです…それに今は力が出なくて」
誰に、とは聞くまでもない。
「もう死んでるから死ぬ事はないんですけど、無事では済まなくて。ほとんど燃えちゃったから、」
くるり、と小さくまとまる。
「今はこの一束だけですもん」
確かに、以前感じた“量”とは比べものにならない。
「でも時間が経てば増えますよ!ちょっとずつ!」
彼女の話では霊力と毛量は比例しているらしい。力が戻れば本来の姿を現す事も可能だが、今は到底難しいほど弱っているようだ。
幸人は少し考え、それから静かに尋ねた。
「きみはこれからどうしたいの?」
髪はぴたりと動きを止める。
「えっと……」
ほんのわずか、ためらい。
「この家で一緒に暮らしたいです」
それはまっすぐな望みだった。
幸人は目を伏せ、少しだけ息を吐いた。
いくら対話ができ、好意的なものになったとはいえ怖くないわけではない。けれど、目の前の存在はどこか必死で。そして寂しそうでもあった。
その上お願い、お願い…と、見えない筈の瞳がうるうるしているのが分かる。どうしたらこの願いを断ることができようか。
もう一度深くため息を吐いてから腹をくくった。
「わかった」
小さく、しかしはっきりと頷く。
「ただ蓮美さんにはちゃんと話そうね」
「はい!」
ぱあっと表情が輝くのが見える。顔はないが喜怒哀楽のはっきりした、可愛らしい子だ。普通(?)に現れてくれていたらきっともっとすぐ仲良くなれていただろうに。
それよりもこれから蓮美になんと言うべきか、ある意味これまでの彼女など比にならないぐらい恐ろしい。蓮美に断られたらなんと説得しようか、下手をすれば幸人自身も燃やされかねない。
どうしようかと2人で頭を悩ませたが、正直に話すしかないな…と迎えたその日の夜。
店から上がってきた蓮美に事情を説明すると、返ってきた言葉はあまりにも簡潔だった。
「また余計なことしたら燃やす」
以上だった。
「ひぃっ」
背後でかすかな震え。
気づけばあの一束の髪が、幸人の背中にぴたりと張り付いている。
「だ、大丈夫です!ちゃんと大人しくしますぅ」
小さな声で必死に言う。幸人は苦笑しながらそっと背中越しに声をかけた。
「約束だよ」
「はい…!」
こうして。
凡人青年と、霊感の強いイカつい男と、そして髪だけになった地縛霊。奇妙な三人の共同生活が始まったのだった。




