第97話 可愛い飼い主には旅させろ?
暖かいオレンジ色の照明、漆の塗られた梁、心落ち着く木の匂いが広がる旅館――さくらやにて。
チェックインを済ませた沙也加とたぬきちは、湖を一望できる待合で、ウェルカムドリンクとウェルカムおやつに舌鼓を打ちながら、旅館内の説明を受けていた。
「――ハグッ!」
「ふふっ♪ がっついちゃって! よっぽど美味しいんだね!」
「クキュ―ン♪」
「あら〜! こんなに美味しそうに食べてもらえるなんて、おばちゃん、嬉しいわ」
「クキュ♪」
女将さんが顔をほころばせると、たぬきちは渾身の笑顔を向けた。
(これはとっても大事なことポン!)
何事も第一印象が大切。
特に自分は異質な存在。
いくらルール上たぬき(イヌ科)おっけーな旅館であっても、議論が巻き起こらないわけはない。
(それにしても、このクッキーお上品な味がするポン……)
「――ハグッハグッ!」
なんともインテリジェンスな思考を巡らせては、沙也加の足元で伏せ状態のまま、黄色い首輪もなんのその! 女将特製の無添加クッキーに酔いしれていた。
飼い犬ならぬ、飼いたぬきである。
「ほんと、お利口さんね〜! 実は、泊まられるのがたぬきちゃんとお聞きした時はびっくりしたのですけど、全く問題ありませんね! って、すみません。私どもの内情をぽろぽろと――」
「いえいえ! 私の方こそ、対応して下さりありがとうございます!」
目の前で繰り広げられる予想通りの展開に、たぬきちは小さくガッツポーズをした。
「あら〜! 芸達者なのね♪ たぬきちちゃんは♪」
「クキュ♪」
(もうすでにボクの名前を知っているとは、さすが女将さんポン……)
飼いたぬきモード全開で応対しつつ、口コミで星五つだった旅館の評判を思い出し、女将さんのシゴデキ加減に感心するたぬきちであったが、その直後――。
声が響いた。
「えっ?! なんでたぬきちの名前を知っているんですか?!」
先程まで、たぬきちの隣で幸せそうに笑みを咲かせては、初めて飲むハイビスカス酢のウェルカムドリンクをグビグビ――すっかり虜になっていた沙也加であった。
表情を見る限り、単に驚いたわけでなく、なにか勘違いをしている。
(ややこしいポン……)
なにを勘違いしているのか聞き出したくとも、否定しようにも、今は言葉を発することはできない。
――ポリッ。
あと二個になったクッキーを味わい頭を働かせて、
(ポン……今日くらいはスルーでいくポン!)
【可愛い子には、旅をさせろ】ならぬ、【可愛い飼い主には、旅させろ】という方針を取ることにした。
旅といっても、目の前であたふたさせるといった、なんとも旅の定義が崩れそうな状態であるが、もはやそんなことはどうでもいいのである。
何しろ、今日は日頃の疲れを取るための日なのだから。
たぬきちの祈りにも似た、願いが通じたのか、
「ええ、たぬきが泊まられるのは、当旅館でも初めてのことですし、お名前が【たぬきち】ちゃんでしたので、一発で覚えましたよ♪」
女将が大人の対応を見せた。
「あ、なるほど……そうですよね! あはは〜」
「はい。では、お荷物は先にお部屋の方に運んでおきますので、その間に旅館内の説明をさせて頂きますね」
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ」
顔を引き攣らせながら、女将のあとに続く沙也加である。
(全く困ったご主人ポン……)
そのあとに付いていこうか悩んだが、聞き耳を立てて待つことを選び、ポリッ。
残り一個となったクッキーを味わって周囲の確認、確認。
細心の注意を払いながら、机の上に残ったハイビスカス酢のウェルカムドリンクに尻尾を伸ばして、
「ちょっとだけならいいポンよね?」
ポツリと呟いた。
そして、器用に掴むと口元に運んでグビリ、グビグビ。
飲み干したのであった。




