ペーパードライバー襲来
冷房の効いたマンションの一室。
「どう? たぬきち♪ 結構、いいと思うんだ!」
(一体、何を言い出したかと思えば、こういうことだったポンか)
たぬきちは、ダイニングテーブルで、自らの作った夕飯に舌鼓を打ちながら、夏休みの予定を意気揚々に語る沙也加と対峙していた。
ちなみに、今日の献立は、暑い日に嬉しいダイスカットのトマト、千切りきゅうり、錦糸卵が添えられた冷やし中華とカロリーを気にするお年頃の沙也加にうってつけの生クリーム不使用の豆乳を使った冷製コーンスープだ。
言うまでもなく、彼女の胃袋に刺さったようで、話を進めながらも、バクバクを食べ進めていた。
(今日も美味しそうに食べてくれて嬉しいポン♪)
いつも通りのご主人に思わず、顔が綻んでしまいそうになったが、
「ポン……理解はしたポン……でも、本当に行くポン?」
ギリギリのところで持ち堪えた。
こういう時、冷静に話を聞かないといけない。
自分の役目を理解しているシゴデキたぬきである。
まぁ、シゴデキというよりは、ママ味が溢れているように思えるが、そこはどうでもいいのだ。
それはそれとして。
彼女が提案してきたことは、こうだ。
出会って三年の時が流れた。
けれど、よくよく考えてみれば、旅行はおろか、二人で遠出したことがない。
じゃあ、いつ行くの?
ちょうど夏休みという長期休暇、そして運よく調べたら、犬OKの旅館が一室空いていて。
さらには、社会人としての評価はうなぎ上り、地域との関わりも上々、ボーナス後ということで資金も潤沢。
お膳立てに加えての、お膳立て――今、行くほかない!
そんなことを言い始めたのだ。
なんともリスクマネジメントが足りてないOLである。
だが、たぬきちには、それ以上に気がかりなことがあった。
「えー、ダメかなー? せっかくたぬきちと夏の思い出作れると思ったのにぃー!」
頬を膨らませて体全体で不満を表す沙也加。
職場で見せる姿とは、全く別人である。
だが、このように頬を膨らませて、子供のように駄々をこねる姿を心配しているわけではない。
では、なにか、それは――。
「ポン……そうじゃないポン! ボクが心配しているのは、車ポン」
そう車であった。
もちろん、たぬきちは沙也加が免許証を持っていることを知っている。
ゴミ屋敷と化していた頃、彼が掃除した際にその免許証を見つけたからだ。
(ペーパードライバーに決まっているポン!)
休みに浮かれて、普段運転したことのない人間が車に乗る――そんなニュースを、たぬきちは何度も見てきた。
だというのに、今まさに自分たちがやろうとしている。
(ヤ、ヤバすぎるポン)
旅行に誘われた喜びよりも、そのリスクの高さに頭を抱えていた。
ご存知であろうが、このたぬき、飼い主のOLなんかより、よっぽど理性的なのである。
どうやら、沙也加も心配なようで、
「く、車かぁ〜……」
麺をズルリ――啜ると腕を組み、目を閉じて唸り始めた。
そして、ひと呼吸置いてから、目を見開くと、
「う、うん! 大丈夫だよ! 最近の車、凄いって聞いたし!」
首を縦に振って、ひとりでに納得し始めた。
「あ、今の間、絶対怪しいポン!」
それだけではない。
視線も合わせようとしないし、まるで後ろめたいことがあるようにも見える。
「ポン……?」
たぬきちの第三の手と化した小麦色の尻尾が揺れた。
なぜ、後ろめたいことがあるのだろう。
提案自体は、なにもおかしなことはない。
少し前隠れて食べていたポテチの袋とは違って、辻褄も合っている。
しかし、ただ嘘をついているような態度ではない。
明らかになにか隠している。
それも怒られるような何かを――。
直後。
たぬきちの脳内に電撃が走った。




