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6-4

***


 オリガはふと目を醒まして、いつの間にか朝が来ていたことに気付く。

 ヴェラが産気づいたと聞いて出産まで待っていようと思ったのに、結局寝てしまっていたようだ。もう産まれたのか確認をするために、侍女達を呼ぶ。

「夜明け頃、お産まれになりました。皇女殿下だそうです」

「まあ。女の子だったのね。早く会いたいけれど、ヴェラ様もお疲れでしょうしもう少し先ね。……何かあったの?」

 侍女達の重たい空気にじわりと足先から冷たいものが上がってくる感覚があった。

 彼女たちは目配せして頷き合い、ライサが落ち着いてお聞き下さいと前置きをして口を開く。

「皇女殿下はお元気ですが、御側室はお亡くなりになりました」

「どうして」

 言葉の意味を呑み込むより先に、そんな言葉が転がり落ちる。

 出産直後、大量の出血によって意識を失いそのまま亡くなったとライサが淡々と説明するのをオリガは呆然と聞く。

 違う。そんなことが知りたいわけではない。

 どうしてこんなむごいことが起こってしまうのか。

「……子供とエドゥアルト様はヴェラ様のお側にいるの?」

 聞けば今は清めのために神官が小宮に訪れていて、エドゥアルトはオリガのいる本宮の一室に子供と一緒にいるそうだ。

「オリガ様、お体に障りますので」

 会いに行こうと寝台から降りると侍女達から止められる。この居室から少し離れているとはいえ今の体調なら無理のない距離だ。

「行かせて、大丈夫だから」

 懇願すると侍女達は仕方なしに承諾し、その代わり部屋まで全員が付き添うことになった。オリガは侍女がせめてこれだけはと用意したガウンを寝間着の上に羽織っただけの格好で、はやる気持ちを抑えながらゆっくり歩いて行く。

 そうして近衛が扉の前に立つ部屋へとひとり静かに入室した。

「……オリガ、来たのか。体は大丈夫なのか」

 ゆりかごの傍らで座り込むエドゥアルトは憔悴した顔をしているのに、真っ先にそんなことを口にして胸が苦しくなる。

(こんな時ですら、あなたはわたくしにお心を隠そうとするのね)

 オリガはゆりかごの中を覗き込む。生まれたての小さな赤子は周りで何が起こっているのもわからずすやすやと眠っている。

「かわいい」

 触れるのも躊躇うほどに柔らかで小さな命に愛おしさが込み上げてくる。

 自分の腹にもまだ動かない赤子がいる。ふたりの子供を自分がちゃんと見ていられるだろうかという不安は、実際に子供を目の前にしてしまえばできるかできないかではなくやらなければならないという決意に消えてしまう。

「エドゥアルト様。わたくしこの子のお母様になってもかまいませんか。少しでもこの子が寂しい思いをする時間を減らしたいの。本当のお母様のことはエドゥアルト様が教えてあげて。姿形が分からずとも、身近に感じられるくらい、たくさん」

 もう少しヴェラと交流が持てていたら語れることもあったかもしれないが、それでもエドゥアルト以上に彼女のことを知ることはできない。

「ああ。任せる」

 エドゥアルトが短く答えながら、その視線はずっと赤子に向いている。

 彼の心の奥にいつか自分が寄り添えることはあるのだろうか。

「名前はまだ決まっておりませんの?」

「……フィグネリア。この間、女児だったらそれがいいとふたりで決めた」

 ヴェラが子供へ最初の贈り物を決めていたことにほっとする。

 それから久しぶりの新生児にまごつきながらも腕に抱いてみると、そのすべてが愛おしくてたまらない。

「陛下。準備が整いました」

 ゆりかごへとフィグネリアを戻した頃、外からナタリアの声が聞こえた。小宮での清めが終わったらしい。

「皇后陛下、こちらはヴェラ様がご出産前に書かれていたものです。途中ですが、皇帝陛下がお渡しになるようにと」

 ナタリアが二つ折りにされた書簡を差し出してくるのに、自分がヴェラへ手紙を書いていたことをふと思い出す。

「俺は中を読んでいない。受け取ってくれるか?」

 エドゥアルトがそう言うのに、オリガはもちろんと書簡を手に取る。

「フィグネリアはここに置いていく。困った事があれば隣にいる乳母を呼んでくれ。自分の体調を第一に考えるようにな」

 エドゥアルトがそう言ってナタリアと共に部屋を出て行くのを見送り、長椅子に腰を下ろしたオリガは書簡を広げる。

 精緻な筆跡はまだヴェラが息づいているようだった。


『――王宮を出る日程はまだ決めかねております。皇后陛下のご負担にならぬようにとは考えておりますが、熟考しているところです。私も自分の子と皇后陛下の御子にとっての最良の道がなんであるか、皇后陛下とご相談したく』

 

 ぷつりと手紙はそこで途切れていた。

「もっとあなたとお話したかったわ」

 半分以上白紙のままの手紙に語りかけていると、じわりと涙が滲んでくる。

 それに呼応するようにフィグネリアが泣き声をあげて、オリガは涙を呑み込んで抱き上げる。

「大丈夫よ、大丈夫」

 フィグネリアを抱き上げながらオリガは乳母を呼んで、乳をあげてもらう。

 座ってさえいれば、体はずいぶん楽だったのでその日はずっとフィグネリアの側を離れなかったのだった。


***

 

「フィグネリア、しっかり食べるんだぞ。よし、よし。おお、また食べるか?」

 生まれて半年が経ち、すくすくと成長したフィグネリアはイーゴルの差し出す匙から旺盛にパン粥を食べている。

 オリガは想像以上に妹の面倒をよく見てくれているイーゴルに目を細める。

 この頃は臨月を迎えてフィグネリアを腕に抱くのは難しいけれど、その分イーゴルがよくフィグネリアを抱いてあやしている。

 侍女達は最初の頃、側室の子の子守をするなどもってのほかだと窘めるよう進言していたが、自分が何も言うつもりがないと悟って諦めたようだ。

「母上、後でフィグネリアを散歩に連れて行ってもかまいませんか。中庭でたくさん花が咲いているところを見つけたので見せてやりたいのです」

「ええ。連れて行ってあげて。あら、お兄様に抱っこしてほしいみたいだわ」

 食事を終えたフィグネリアが、イーゴルに両手を伸ばしてまだ言葉にならない言葉をむにゃむにゃと言っている。

 イーゴルに抱き上げてもらえば楽しげに声をあげて満面の笑みを浮かべた。

 仲のいい子供達をみていると、それだけで心は温かく満たされる。

 ここにまたもうひとり増えるのだと思うと、楽しみでしかたがない。そんな自分の気持ちが通じたのか、その夜には陣痛が来た。

 イーゴルの時丸一日かかったことやヴェラのことも頭にあってまったく不安がないわけではないが、それでも子供に早く会いたい気持ちが大きかった。

 そうして二度目の出産は、夜明け前に拍子抜けするほどすんなり終わった。

「……少し、小さいかしら」

 取り上げられた赤子はフィグネリアが産まれた時よりも小柄に見えて、泣き声も弱々しかった。

「お小さいですが、姫君はちゃんと産声を上げていらっしゃいます。さあ、後産がまだありますのでね」

 産婆のどちらともつかない言葉に心配しながらも、後産もさほど苦しむ事なく無事に終えオリガはほっとする。

 疲れにうつらうつらしながら処置を終え産室から、隣の部屋へ移ってすぐにエドゥアルトがやってきた。

「無事に産まれてよかった」

 オリガの手を握りそう言うエドゥアルトはここ半年で一番穏やかな顔をしていた。

 ヴェラの葬儀は遺言に従い簡素に行われ遺髪が彼女の夫も眠るシドロフ公領の神殿へ送られた。エドゥアルトが喪に服したのはたった二日だった。

 その後はいつものように政務に打ち込み、時々自分や子供達の様子を気にかけてと何事もなかったように過ごしていた。

 フィグネリアを見つめる表情に慈しみだけでなく哀しみが入り交じっているのに気付いてはいても、まだ踏み込めずにいる。

「今は、ゆっくり休むといい。先にあの子をイーゴルとフィグネリアに見せてもいいか」

「ええ、もちろん。名前は、前にわたくしがつけたいとお願いしたリリアでかまわないませんかしら」

「もちろんだ。……ありがとう」

 いつか、喜びばかりでなく哀しみも分け合うことができるようになる日が来るといい。

 淡い期待を持ちながらも、今はたくさんの喜びを分かち合うことを考えながらオリガは夢も見ず眠りについた。

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