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「そういうこと、ね。やっぱり、面倒なことにはなってるわ」
ヴェラはエドゥアルトからことの顛末を聞いてため息をつく。
使われた毒は手に入りやすく特定の香草茶と香りがよく似ていて扱いやすいものの、致死量まで混入すると独特のえぐみが出てしまうものだ。ただし致死量の半分もあれば流産させる成功率は高く、妊婦も重篤に陥りやすい。香りが似ているのとは別の香草と見た目が似ているので意図的に盛られるより事故のことの方が多い。
うっかり間違ったとも言い逃れ出来るかもしれないが、給仕係が証拠隠滅しようとしたのは決定打のひとつだろう。その後、毒入り茶を出された使用人の様子からも故意なのは間違いない。
「症状は発熱、嘔吐、全身疼痛。後遺症は四肢や顔面の麻痺、慢性的な疼痛。数年以内に突然死する事例も多い」
記憶から淡々と毒の情報を引っ張り出し、ヴェラはつぶやく。
「それで不満ならさらに重刑を科してもいい。首謀者の方はすまないが、すぐには処分は下せられない」
「そこまでしなくてもいいわよ。首謀者の方も皇后陛下のご体調があるから仕方ないわ。処分はアドロフ公にお任せするのね」
隣に座るエドゥアルトに確認すると、彼はちいさくうなずいた。
誰よりも首謀者を許さないのは皇后を窮地に追い込まれかけたアドロフ公だろう。刑罰の重さはエドゥアルトに対するアドロフ公の姿勢を示すことにもなる。
「私もこの子も無事だし、アドロフ公には貸しを作れるしあなたにとってはいい状況ね」
「……ヴェラは政には向いていると思うんだがな」
「あなたが昔からしゃべり倒しているのを覚えているだけよ。今の所おさまったけれど、これで終わりということでもないでしょう」
皇位継承順位は母親の地位も子供の性別も関係なく生まれた順番通りだ。
継承順位一位と三位が皇后の子。その間に自分の子が入る。
「後は生まれてからでなければ分からんが、イーゴルはあの通りだ。下ふたりで主導権争いにならないように気をつけはするがな」
「あなたにはあんまり似てないことを祈るしかないわ。……お父様の良くないところは見習わないでちょうだいね」
おなかの子に声をかけると、エドゥアルトが相好を崩す。
「なんだかんだで母親らしくなってきたな」
「その母親らしいっていうのいまひとつわからないのよね。この子にも何か手紙を書いておこうかと思ったんだけれど、何も思い浮かばないし。顔も性格も分からないかしら」
何も知らない相手に言葉を伝えるというのはなかなか難題である。
「産まれてから少しはいるんだろう。顔を見てからなら違うさ」
「ああ、そうじゃなくて、ほら、出産って何があるか分からないでしょう。私のことの後始末はもうまとめて寝室の鏡台の机の中に置いてあるから、何かあったらその通りにしてちょうだい」
そう言うと、エドゥアルトは怪訝な顔をする。
「そんなもの必要ないだろう」
エドゥアルトはそう言うけれど、別れは突然にくることを自分は知っている。
雪の中から掘り出された夫の凍り付いた手の冷たさは今もはっきりと覚えている。
「家に大事なもの全部置いてるし、向こうにはお世話になってる人も友達もいるんだから、全部放りっぱなしというわけにはいかないわ」
「……ここに、俺と子供といるより大事か?」
一体この人は何を言っているのかと、ヴェラは呆れる。
「あなたが絶対ここから出さないって決めたら私は帰れないけど、そうしないのはどうして?」
ちょっとした意地悪を返すと、エドゥアルトは子供のようにむくれる。
「ヴェラに選んでもらえないなら意味がない。……無理矢理でも引き止めるなら、十年前だったな」
「そのころだったらちょっとは迷ってたかもしれないわ。でも、きっと答は同じだったと思うのよ」
中途半端な関係のままで、いつまでもエドゥアルトを待ち続けることは自分にはできなかった。仕事を捨てたくない気持ちも今と同じだ。
「自分の生き方を全部変えられるのが本当の愛なら、私があなたを本当に愛してたとは言えないかもしれない。だけど私にとっては本物だったわ」
ひねくれもので寂しがりやだった少年を誰よりも愛していた。
今でも性格は相変わらずだけれども、彼にはちゃんと大事に思ってくれている家族がいる。
「……嘘だと思ったことはないさ。俺もあの時、帝位をとることが第一だった。どうして大事なものをどちらもとれなかったんだろうな」
「あなたは欲張りすぎるのよ。でも、ちゃんと大事にしないといけないものは、大事にしてるからよかったわ。今回のこと、皇后陛下にはこの先も言わないつもりでしょう」
エドゥアルトがオリガに政の汚泥に触れて欲しくない気持ちは分かることは分かるのだ。
「ああ。知らなくていいことだ。アドロフ公家も何も言わずにいるだろうな」
しかしすべての問題から遠ざければおのずと嘘が増えていくものだが、それは自分が口出しできないことだ。
エドゥアルトの選択を否定するにも肯定するにも、オリガの強さも弱さもよくは知らない。
だけれど、エドゥアルトがオリガを護ることを念頭に置いての判断だったことだけは確かだ。
「ヴェラ、俺も全部は捨てられない。だけど、本当に愛してる。あの頃からずっと」
エドゥアルトが指先に触れて、ヴェラは静かに手を繋ぐのを受け入れる。
「知ってる。でも、もう分かっているでしょう。私達お互い一緒にいない方が幸せでいられるわ」
お互いが大事なものを護るためにも、側にはいられない。
エドゥアルトが何も言わないまま、堪えるように手を握りしめてゆっくりと指先を離す。
「この子のことお願いね」
「ああ。会いたいと言ったら、子供には会ってくれるか?」
「ええ。あなた抜きでなら」
会いたいと思ってくれるのだろうか。
(でも、勝手で悪いけれど私は会いたいわ)
語りかけに答えるように胎動がして、ヴェラは腹部を愛おしげに撫でた。
***
毒殺未遂から二十日近く経ってすっかり夏の面影は遠ざかり、衛兵の配置の仕方が変わり使用人も少し入れ替わったがヴェラの身の周りは静かなものだった。
いまだに子供への手紙は書けずにいるものの、書架を眺めているとこれでいいかもしれないとも思う。
自分や修復士達が残した知識を子供は利用する側になる。受け継げるものがあるのなら十分な気がする。
「さて、お返事書かないといけないわ」
ヴェラは重い腹を自分の手で支えながらなんとか机に向かう。
今朝、オリガから手紙が届いた。つわりは多少はよくなり少しの時間なら歩くこともできるようになったらしい。
『――わたくしはあまり体の強くない自分が子供達ふたりをちゃんと見られるのか、少し、不安です。できることなら、子供達が幸せでいられるようにふたりで育てられたらと思っております。せめて、わたくしの子が産まれるまでは王宮に残っていただけないでしょうか。わたくしの我が儘であることは承知の上です。産まれたら、顔を見せてくださいね』
王宮を去る時期は正直迷っている。本来なら早ければふたつき、遅くともよつきになる頃には家に帰るつもりだった。
オリガがまだつわりもおさまらない中、産まれたばかりの自分の子を気にかけることになるのはさすがに気が引ける。
「どうしようかしらねえ」
迷いながらペンを取り文字を書き連ねている途中、下腹部に鈍い痛みがあってヴェラは眉根を寄せる。
「ナタリアさん、痛いから産婆さんを呼んでくれる?」
部屋の片隅で書架の整理をしていたナタリアが、飛び跳ねそうなほど驚いて人を呼び始める。
痛みは堪えられないほどのものではなく、ついに同居解消となりそうなのにいまひとつ現実味がない。
ひとまず長椅子へと移動しているうちに産婆が来て、一定間隔で痛みが来ていて強くなっているのを確認してから産室へと移ることになった。あっという間に手伝いの産婆の姉妹や娘も集まり、慌ただしくお産の準備をしているのをヴェラは夢の出来事のように眺めていた。
それからが長かった。
昼前に始まった陣痛は日暮れ頃には次第に痛みを増し始め、まだ長いからと今の内にと産婆達に茶を飲まされ粥を啜ることになった。部屋に蝋燭が灯される頃には激しい痛みがやってくるが朝までかかりそうだと言われて不安になってしまう。
痛みの合間でうとうとするものの産婆達の声と次の痛みで目が冴えを延々と繰り返すうちに、夜が白み始めていたがヴェラはそれどころではなかった。
産婆達にうながされて必死にいきむ。
もう限界かもしれないと思ったときだった。
「産まれましたよ、姫君でございます!」
産婆の声と共に、大きな産声が上がる。さっきまで自分の腹にいたとは思えない大音声に少々面食らう。
やっと顔が見られると思い首を巡らせて姿を見ようとするものの、布にくるまれ産湯へと運ばれるその姿ははっきりと見えなかった。
疲労が限界に達したのかやけに寒くて、眠くなってくる。
「いけません、気をしっかり!! 目を開けていなさい」
産婆の声が聞こえ、周囲が慌ただしくなるが彼女たちの声は次第に遠ざかっていく。それなのに、赤ん坊の泣き声だけやけにはっきり聞こえた。
疲れたから少しだけ休ませて欲しいと薄れていく意識の中でヴェラは思う。
(また、後でね)
そしてその言葉が果たされることはないことも知らず、瞼を閉じた。




