第9話 社員旅行に若社長がついてきた!
前回までのあらすじ。
社長宅でめちゃくちゃゲームした。
一晩中寝かせてもらえなかった。(ゲーム漬けという意味で)
社長の呼び名が「社長」から「スバルさん」にランクアップした。
せめて名字呼びの段階を挟ませてほしかった。
社長宅で一夜を過ごしてから一週間も経たないうちに「社長と能登原さんがマジで付き合い始めた」という噂――いや、噂っていうか事実なんだけど――は衝撃のニュースとして会社中を駆け巡った。ホントこの噂ってどこから情報漏れてるんだ?
その噂が流れた頃から、スバルさん――いや、やっぱり会社では社長と呼ぶべきだな――の周りに女子社員が今まで以上に集まるようになった(ファンクラブとは無関係の人たちのようだ。ファンクラブは私と社長の恋を見守ると言っていたし)。
肉壁となって物理的に私が近寄れないようにというのと、こんな魅力の感じられない冴えない女がいけるなら私にだってチャンスはあるはず、と考える女たちがモーションをかけているのだろう。
私も会社内ではなるべく社長に近寄らないほうがいいかもしれない、と思っていた。もう嫉妬をぶつけられる覚悟はできてたけど、無益な火の粉はかぶりたくないのが本音だ。
そう思ってはいるんだけど……。
「こずえさん、お迎えにあがりました」
社長が今まで通り毎日昼休みに迎えに来ちゃうんだよなあ……!
なんか噂が広まってから、今まで以上に女子社員たちの視線というかプレッシャーが集まってる気がする。覚悟はできているとはいえ、私のノミの心臓は重圧に耐えられるだろうか。
「社長、社内では名字でお呼びください」
「ああ、失礼しました」
事務的に言うと、社長は笑う。絶対この人わざと下の名前で呼んだな。
「そんなことより、会議室に参りましょう。時は金なり、一分一秒たりとも無駄にはできません」
喫煙室に女子社員が押しかけて超満員になってから、社長は会議室を借りてそこでカードゲームをするようになった。
今まで喫煙室の常連だった男性社員は会議室ではタバコ禁止になってしまって、まことに申し訳ない気持ちである。
「社長、私たちもお邪魔していいですか?」
女子社員たちが恥ずかしそうに申し出る。
「社長にカードゲームのこと、いろいろ教えてほしいです」
「いいですよ。それではみんなで行きましょうか」
社長の周りに女子社員が群がりながら歩き、私は三歩後ろをついていった。
このまま私が立ち止まっていなくなっても、社長は気付かないだろうな。
ふと、そんな考えが胸をよぎる。
覚悟ができたとしても、私は私を簡単に変えられない。私は相変わらず臆病で、社長がいま私を好きでも、これからもずっと好きでいてくれるのか疑問に思わないでもない。
社長の周りを歩いている女性たちはみんなキレイに化粧して服もオシャレで、女の私から見ても魅力にあふれている。きちんと自分を磨いているのだと、尊敬の念すら覚える。
対して私はどうだ。趣味に没頭しすぎてオシャレのことなんて気にかけたこともなかった。化粧なんて最低限外に出られる程度でいいやと思っていたし、服もそのへんの古着屋で買った安物だ。
……いや、それならこれからオシャレを頑張ればいいんだ。社長の隣に立っても恥ずかしくない女になるんだ。
よし、と私は無理やりネガティブ思考を切り替えようと気合いを入れる。
「能登原さん」
声をかけられて、前を向く。
社長が振り返って、私を見ていた。
「どうしたんです? 立ち止まっていたら、うっかり置いていってしまいますよ」
――社長、私が立ち止まっても、ちゃんと気づいてくれた。
「は、はい! すみません!」
私は嬉しくて、小走りで社長に駆け寄るのであった。
***
そんなこんなで、一ヶ月経った、春。
今日は社員旅行の日である。
バスで旅館へ行って、温泉に入って、酒やらご馳走やらを食べて、軽く余興などをして日帰りで帰ってくる、というプランである。
今日のサプライズといえば、総務部のバスに何故か社長が乗ることになったことだろう。
「他の部署のバスが満杯で」ということだったが、まさか私と一緒に乗りたかった、とかそんな職権乱用的なことではないですよね……?
いや、それは流石に自意識過剰というものだろう。私は首を横に振ってバスに乗り込んだ。
「能登原さん、隣空いてますよ」
一番前の席に座っている社長が隣の席をポンポン叩く。
いやいやいや。
「社長の隣って普通秘書の方が座るものじゃないんです……?」
そう言って秘書課の方々を見ると、どうぞどうぞと言いたげに手でうながす。
ああ、秘書課の方々にはカードゲームを教えた恩を売ったからな……。
それでも座っていいものか悩んでいると、
「え~、ずるい! 私も社長のお隣座りたい!」
「私も!」
はいはいと女子社員たちが立候補する。
ああ、これは社長の隣の席争奪戦が始まる予感。
「じゃあ私、後ろに詰めますんで……」
私はそそくさと後部座席へ向かっていく。私がいつまでも通路に突っ立っていたらあとがつっかえてしまう。
「あ……」
社長が残念そうな声を出すのが聞こえて、胸がぎゅっとなる。
ごめんなさい、社長。まだ正面切って女子社員と対決する勇気がないんです。
覚悟とは、なんだったのか。
でも、昼ドラみたいにドロドロな女同士の戦いとか見たら、社長もドン引きだろう。私もそんなのの当事者になりたくない。
結局、バスが走り出す頃には社長の隣には秘書が座っていた。恋人(仮)である私が座らないなら秘書が座るべきだ、と判断したのだろう。女子社員たちの羨望と嫉妬の眼差しを向けられる秘書課の人たちって大変なんだなあ……って思う。強い。
後部座席に座った私の隣には、喫煙室で出会った男性社員のひとりが座っていた。
「あれから、なんかレアカード引けた?」
「そうですね……『悪魔の証明』とか『神殺しのニーチェ』とかですかね」
気さくに話しかけてくれる男性社員に、私も気軽に答える。
「マジか! うわ~見たいなあ。でもこのバスWi-Fi飛んでないっぽいんだよなあ」
『マジック&サマナーズ』は結構容量も大きいしデータ量も食う。Wi-Fiの飛んでない車内で開こうものなら私の1ヶ月分のデータ量の半分は持っていかれるだろう。
「旅館にフリーWi-Fiあるといいんですけどねえ」
「ま、モノ食ったり余興大会とかやってたらスマホ見てる時間どのみちないかもなあ。今度、会社で見せてよ」
「はい」
喫煙者とは思えないほど白い歯を見せてニカッと爽やかに笑う男性社員。いい人だ。私もつられて笑顔になる。
バスはやがて目的地の温泉旅館に着いた。
***
旅館に着いてから、私たち総務部の社員たちは温泉を満喫した。
温泉は久しぶりに入ったけど、やっぱりいいものだ。日頃の疲れがほぐれていくようだ。
浴衣に着替えて、火照った身体を廊下で冷ましていると、向こうからイケメンが歩いてきた。ああ、社長ですね。わかります。
「あ、こずえさん」
――社長、浴衣、似合う。
いつものスーツ姿もいいけど、こういう和の装いもいいなあ、なんて思ってしまう。
……そういえば、私この会社に勤めて三年目だけど、社長が社員旅行についてくるの初めて見たっていうか、そもそも参加してましたっけ?
まったく記憶にない。いや、もしかしたら別の部署の旅行についてたのかもしれないけど、少なくとも私が総務部に配属されてからは初めて見た。
「雰囲気の良い旅館ですね。眺めもいいし、温泉も気持ちよくて」
私の疑問なんてまったく関知せず、社長は廊下の窓から外を眺めながら言う。
オーシャンビューというのだろうか、海がすぐ近くにある。春の海は穏やかに凪いでいる。ザザ……ンと波の音が周期的に聞こえてくる。
「こずえさんと、どこか出かけたいな……」
社長が独り言のようにつぶやいた。
「……社長。名字で呼んでください」
「おや、ここは会社ではないですよね?」
「そういう問題ではないです。社員旅行なのですから、業務時間です」
「まあ、そうですけど」
社長は苦笑いをする。
「なんだか最近の能登原さんは、以前よりもよそよそしくなりましたね」
そう言われて、グサッと何かが刺さった気分だった。
「……すみません」
「ああ、そんな顔しないでください。別に責めているわけではないんです」
うつむく私に、慌てた声を出す。
「なにか、わたくしに言えない悩みでもあるんでしょうか?」
「……そんなところです」
社長を狙っている女性たちと奪い合いをしなきゃいけないことに胃痛を感じてるなんて、本人に言えないよなあ。
「なら、無理には聞きませんが……つらくなったら、いつでも頼ってくださいね?」
そのためにわたくしはここにいるのですから。
そう言って微笑む社長の顔は、どんな絵画よりも美しいと思った。
「そろそろ宴会場に行きましょうか。どんな料理が出るか楽しみだな」
社長が腕時計を見ながら言う。浴衣の袖から見える腕がなんか新鮮だ。スーツのときはほとんど露出のない人だから。
私と社長はふたり並んで宴会場へと向かった。




