裏話・第9話
バスは温泉旅館にたどり着き、社員たちは温泉を堪能しました。
わたくしも湯船に浸かりましたが、こずえさんは今頃どうしているだろう、と思うばかりで、ろくに温泉も楽しめませんでした。一緒に温泉に入った男性社員が何か話しかけていた気がしますが、どんな会話をしたのかも覚えておりません。
上の空のまま、わたくしは浴衣を着て廊下を歩いておりました。正直ぼーっと湯船に浸かりすぎてのぼせてきたので、廊下で涼もうと思っていただけでした。
ですから、こずえさんがいるとは予想しておりませんでした。
「あ、こずえさん」
わたくしが声をかけると、少し驚いたような顔をして、ぽーっとわたくしに見惚れているようでした。過去に浴衣を着たときに、「藤井さん和服も似合う」と女性に言われたのを思い出しました。
……わたくしの浴衣姿に見惚れている、とうぬぼれてもよろしいでしょうか。
わたくしは社員旅行についてきてよかったと心底思いました。普段は社員旅行に参加することなく通常通り業務をこなしているのですが、こずえさんの浴衣姿が見られただけで来た甲斐があるというものでございましょう。旅館の浴衣なんて当たり前ながらどれも同じデザインですが、こずえさんが一層美しく華やかに見えました。
「雰囲気の良い旅館ですね。眺めもいいし、温泉も気持ちよくて」
こずえさんと話がしたい一心で、わたくしは話題を振って外を眺めました。
この温泉旅館は海の近くに建てられており、眺めは絶景でした。季節は春だったので、海はとても穏やかでした。やっとこずえさんとふたりきりになれて、わたくしの心もこの海のように凪いでいました。
「こずえさんと、どこか出かけたいな……」
思わずひとりごちると、こずえさんはスン、と表情をなくし、「……社長。名字で呼んでください」とまた事務的な口調になりました。
「おや、ここは会社ではないですよね?」
「そういう問題ではないです。社員旅行なのですから、業務時間です」
「まあ、そうですけど」
真面目な方だな、と思わず苦笑いがこぼれました。
「なんだか最近の能登原さんは、以前よりもよそよそしくなりましたね」
とわたくしが言うと、こずえさんは言われたくないことを言われたような、傷ついたとはまた違う表情を浮かべました。
わたくしは、しまった、と思いました。何か地雷を踏んだような気がします。
「……すみません」
「ああ、そんな顔しないでください。別に責めているわけではないんです」
うつむいて謝罪するこずえさんに、そんなつもりはなかったとわたくしは思わず慌てた声を出しました。
……こずえさんが絡むと、本当にわたくしは情けない部分が表出してしまいます。
「なにか、わたくしに言えない悩みでもあるんでしょうか?」
「……そんなところです」
いえ、懺悔します。わたくしは知っていました。というか、今まで見てきて気付かないほど、わたくしは鈍感ではありませんでした。
やはりわたくしに群がる女性たちとの関係の問題でしょう。わたくしがこずえさん以外の女に関心を示していないとはいえ、彼女たちがこずえさんに危害を加える可能性は前々から感じてはいました。
どうにかしなければ。
「なら、無理には聞きませんが……つらくなったら、いつでも頼ってくださいね?」
そのためにわたくしはここにいるのですから。
――絶対に、貴女はわたくしが守りますから。何を犠牲にしても。
わたくしはその決意を込めて、こずえさんに微笑みかけるのでした。
***
宴会場は、どんちゃん騒ぎでした。
居酒屋でバイトをしていた頃を思い出します。酔った客の相手が大変なんですよね。
こんなに騒がしいなら、今まで参加していなくてよかったと思いました。
しかしカラオケ大会をBGMに、お刺身を夢中で食べるこずえさんを隣で見つめる幸せ。
こずえさんがいなければ、今年も社員旅行に参加することはなかったでしょう。
「能登原さんは歌わないんですか?」
「あ、私ヒトカラ派なので、人前ではちょっと」
「そうですか……」
歌っていただけないだろうか。こずえさんの歌声には興味がありました。
わたくしは例のしょんぼりした顔で上目遣いをしますが、
「そんな顔しても歌いませんよ」
とそっけなく返されました。何度も使うと耐性がついてしまうようです。
まあ、今度一緒にカラオケに行けないか聞いてみよう。こずえさんの歌を独り占めするのも悪くない。
「しゃちょー、なんか歌ってくださいよ~」
酔っ払った女子社員がわたくしにマイクを渡しました。
「え? わたくしですか? いいのかな……」
わたくしはとりあえず困惑した顔をしましたが、――正直チャンスだ、と思いました。
わたくしが歌えば女性は離れていく。これで、もうつきまとわれなくて済む。
こずえさんは、まあ、大丈夫だろうという確信がありました。男が好きなものはだいたいこずえさんも好きですし。
「社長、何歌うのかな?」
「アイドル曲とか似合いそう~」
何も知らない女子社員はキャッキャしていました。
わたくしが選んだ曲は――『鮮血の十字架』。かなりヘヴィーなメタルです。ほとんど知っている者のいないマイナーな曲ですし、これを歌うと必ず女性が離れていくのを、わたくしは知っておりました。
「???」
「???」
「???」
予想通り、宴会場にいる社員たちは皆一様に首をかしげました。こずえさんもこの曲は知らないようでした。
あとは歌うだけ。
イントロを終えて、わたくしは「ヴァァァァァァァァァイ!!!!!!」とデスボイスで叫びました。
「!?」
宴会場は一気にざわつきました。こずえさんも目を見開いて驚いています。
……正直、歌っている間のことは、よく覚えておりません。
「ありがとうございました」
曲を歌い終えてぺこりと頭を下げると、宴会場はシーンと静まり返りました。
「アイドル曲とか似合いそう~」とかのんきに言っていた女たちは皆ドン引きというのでしょうか、そんな顔をしておりました。これで百年の恋も冷めるというものでしょう。
こずえさんをちらりと見やると、彼女の反応は他の女たちとは明らかに違いました。声も出ない状態なのは同じでしたが、こずえさんは目を輝かせ、頬が紅潮していました。
「カッケーーーーーーー!!!!!!」
彼女の声は男性社員たちの雄叫びにかき消されましたが、同様の言葉を言っていたのは口の動きでわかりました。
「ちょ、社長~! どっからそんな声出るんすか!?」
「デスボでシャウトして声枯れてないし!」
「喉が傷まない発声法があるのですよ」
男性社員と話をはずませながら、思わず両手でピースサインして写真を撮られてしまいました。
――計画通り。何もかも計画通り。
わたくしはこずえさんのほうを見て、にっこり笑いました。
もう安心していいですよ、こずえさん。
こずえさんも微笑み返して水を手渡してくださいました。
思いが通じた瞬間でした。




