裏話・第8話
わたくしの家にこずえさんを泊めてから、一週間ほどで「社長と能登原さんが付き合い始めた」という噂はまたたく間に広まりました。まあわたくしが広めたのですが。
わたくしとこずえさんが付き合っていることを周知させることで虫除けにしようと思っていたのですが、なぜか逆効果でした。かえって今まで以上に女子社員たちがわたくしに群がるようになったのです。なぜだ。
気を取り直して、もしかしたらこずえさんの嫉妬心をあおることができるかもしれない、そして恋がさらに燃え上がるかもしれないという打算もありましたが、それも予想が外れました。彼女は女性たちを押しのけることもせず、女子社員の壁で隔たれたわたくしの三歩後ろを歩くようになりました。近づきすぎず、離れすぎず。その微妙な距離を保ち続けました。わたくしにとってそれは不可解なものでした。今まで見てきた女性たちは皆、自分こそがわたくしにふさわしいと目の前でキャットファイトを繰り広げるほどわたくしを獲得するために必死でした。正直わたくしは引きましたが。それを考えると、こずえさんがそういったタイプの女性ではなかったことには安堵いたしましたが、このままわたくしを諦めて離れていってしまうのでは、という懸念がありました。
わたくしにとって、砂糖にたかる蟻のようにわたくしに群がってくる女子社員たちは、こずえさんとわたくしの恋を燃え上がらせるためのスパイスとしてしか見れませんでした。……最低な男だとお思いになりますか? しかし、わたくしはこずえさん以外の人間は本当にどうでもよかったのです。こずえさんだけいればそれでよかった。まさしく溺れるようにこずえさんへの愛にのめり込んでいきました。
「こずえさん、お迎えにあがりました」
その日もわたくしは昼休みにこずえさんをお迎えに参りました。相変わらず毎日総務部に通い詰めておりました。こずえさんは困ったような顔をするばかり。その表情もまことに可愛らしい。
「社長、社内では名字でお呼びください」
「ああ、失礼しました」
こずえさんは事務的に言いますが、わたくしはその反応すらも楽しんでおりました。こずえさんと会話できるだけで楽しい。わざと下の名前で呼ぶほどに。
「そんなことより、会議室に参りましょう。時は金なり、一分一秒たりとも無駄にはできません」
喫煙室に女子社員が押しかけて超満員になり、喫煙者の男性社員が迷惑をこうむったので、次の日から会議室を借りる羽目になりました。まあ、その頃にはこずえさんに副流煙を吸わせるのはどうかと思っていたので、丁度いいと言えばそうだったのですが。
なるべく早く総務部を離れて、女子社員の壁を回避しようと思っていたのですが、
「社長、私たちもお邪魔していいですか?」
「社長にカードゲームのこと、いろいろ教えてほしいです」
捕まってしまいました。
「いいですよ。それではみんなで行きましょうか」
わたくしは顔がこわばるのを感じながら、努力して微笑みを絶やしませんでした。
こずえさんの前では、スマートでかっこよくて、優しくてイイヒトでいたい。その一心でした。
廊下を歩くわたくしと、その周りに群がる女子社員、やはりその三歩後ろをついていくこずえさん。
女子社員と会話をするのは、はっきり言って苦痛でした。けばけばしい化粧に、仕事に来ているという自覚のない衣服。こずえさんを見習ってほしい。爪の垢でも煎じて飲め、というやつですね。
隣を歩く女子社員に顔を向けるふりをして振り返ると、何故か急にこずえさんが立ち止まったので、わたくしも止まりました。
こずえさんは握りこぶしを作って何かを決意した顔をしていました。やはり彼女の考えることはまだまだ読めません。もっと精進しなければ。
「能登原さん」
わたくしが優しい声音を作って呼ぶと、彼女はハッとした顔でわたくしを見ました。
「どうしたんです? 立ち止まっていたら、うっかり置いていってしまいますよ」
――置いていくはずがありません。わたくしは、こずえさんのことしか見えていないのですから。
「は、はい! すみません!」
慌てたような、しかし嬉しそうな声色。よくわかりませんが、彼女の機嫌は良かったようで、わたくしも嬉しく思いました。
***
そんな生活を続けて一ヶ月後の春。
我が社の社員総出で社員旅行をする日でした。
部署ごとに分かれてバスに乗り、それぞれの目的地を目指します。部署ごとに行く場所は違いました。
わたくしは秘書に掛け合って、総務部のバスに同乗させていただくことにしました。もちろんこずえさん目当てです。職権乱用もやむなし。
「能登原さん、隣空いてますよ」
バスに乗り込んだこずえさんに、わたくしはニコニコと微笑みかけながら隣の席をポンポンと叩きますが、彼女は困惑した顔でした。
「社長の隣って普通秘書の方が座るものじゃないんです……?」
こずえさんはなんと慎ましい女性なのでしょうか。自分から図々しくわたくしの隣に座るような女性ではないのです。
しかし秘書に話は通してあるので(カードゲームを教えていただいた恩もありますし)、秘書たちは彼女にわたくしの隣の席に座るように促しました。
それでもこずえさんが迷っていると、
「え~、ずるい! 私も社長のお隣座りたい!」
「私も!」
と、その他の女性たちがハイハイと手をあげます。違う、あなた方ではない。わたくしが隣りにいてほしいのはあなた方ではない。
「じゃあ私、後ろに詰めますんで……」
こずえさんはそう言ってそそくさと後部座席に向かいました。慎み深いにもほどがある。それこそ彼女の美徳なのでしょうが。
思わず「あ……」と、わたくしは情けない声を出してしまいました。こずえさんが絡むと、わたくしはかっこつけようと貼り付けたメッキが思わず剥がれそうになります。
バスの後ろの席へと移動してしまうのを見届けるわたくしの横ではじゃんけん大会が始まっていましたが、わたくしは秘書を隣の席に座らせることにしました。こずえさん以外の女が座っても意味がないのです。なんのために席を空けたのか。なんのためにこのバスに乗り込んだのか。
……いや、まだだ。まだ旅館でチャンスがあるはすだ。わたくしは気を取り直して席につきましたが、うしろのこずえさんがどうしても気になりました。
ちらっと後ろの席を見ると、男性社員と笑顔で会話するこずえさんが見えて、感じたのは嫉妬心。カードゲーム仲間の男性社員にまで嫉妬を抱くなんて、わたくしは本当にどうかしている。
こずえさんへの恋心をつのらせ、わたくしは狂わんばかりでした。
前を向き直して、落ち着こうと深呼吸をしても、彼女の他人への笑顔が浮かんで、どうしようもない感情が渦を巻くようでした。まるでヘドロとマグマを混ぜ合わせて煮詰めたような醜い感情です。
なんとかしてこずえさんに発信機なり盗聴機なり付けられないだろうか、などと犯罪めいた考えすら浮かぶほどでした。
「社長、お茶飲みますか?」
秘書はわたくしの心中を察したようにお茶のペットボトルを手渡しました。というか、うしろをチラチラと見るわたくしの様子から察したのだと思います。
「……いただきます」
わたくしはおとなしくお茶を受け取り、口をつけました。




