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真実は恐怖の向こう側に

自分が、


なぜ生まれたのか。


何のために、


ここにいるのか。


その答えは、


最初から決まっていたわけではない。


けれど、


誰かを想う気持ちは、


時に魔術さえも超えてしまう。

紙の繊細な質感が、指先でやけに冷たく感じられた。


手の中にある手紙が、自分にとって深淵の始まりを意味するものだと、頭では分かっていた。


戻れるかどうかも分からないような深みへと続く入り口。差出人は他でもない、大魔導師のストロン。その流麗な文字で、私は魔法使いたちとの面会に正式に招かれていた――人間の理解の縁に住む、古の賢者たちへと。話してくれると約束してくれた。


私の疑問に答えてくれると。でも、その約束の重さが、気がつけば私の胸を圧迫していたのよ。


とてつもない問題に首を突っ込もうとしているのだという実感が、じわじわと全身に広がってくる。


魔法使いたちの前に立つというそれだけのことが、もう胸が痛くなるほど心臓を強く打たせるには十分すぎるほどのことで。気持ちが乱れていた。


どの道を選べばいいのか、正直なところ分からなかったのよ。


大魔導師のストロンがリリウムのことは守られると言ってくれたのは本当のことだけれど……ああいう性質の存在たちが何を考えているのかなんて、誰にも分からないのだから。どんな魔法使いが集まってくるかも、まだ見えていない。その不確かさが、分厚くて暗い外套のように私を覆っていた。


「大丈夫よ」


澄んだ、小さな声が聞こえた。肌がざわりとするような、独特の響きを持つその声に、暗い思考の糸が引っ張られた。ベッドの端へと視線を向けると、リリウムがそこに座っていた。大きな瞳で、ただじっとこちらを見つめている。人間的な温かみとは少し違う目の色をしているけれど、その眼差しの全てが、完全に私だけへと向けられていた。一瞬、罪悪感が胸を塞いだ。それでも体が動いた。ゆっくりと近づいて、そっと抱き上げて、膝の上に優しく落ち着かせた。繊細な磁器を思わせるその小さな関節が、いつものように不思議なほど軽かった。


「どうして私のことになると、いつも悲しそうにするの、エレノア」


リリウムはそう尋ねて、少しだけ首を傾げた。その表情が、小さな困り顔に変わる。


「私に命を与えてくれたのがどうしてかなんて、分からなくてもいいわ。あなたがいたから私は私なのよ。どうやって生まれたかも、その裏に何があるかも、関係ない。大切なのは……あなたのことが好きだということ、エレノア。それだけよ」


その言葉が唇から溢れてくる瞬間、何かがひっくり返るような感覚が全身を走った。熱いものが喉の奥から込み上げてきて、涙が溢れそうになった。気がついたら両腕で力いっぱい抱きしめていた。顔をその小さな髪の中に埋めながら。その瞬間、胸の奥で何かが崩れていく音がした。自分を守るために積み上げてきた、偏見と恐怖でできた壁が。もう苦しむ必要はないのよ、と気がつき始めた。生まれた理由を、魔力の流れに潜む秘密を、そんなことに縛られていなくてもいい。奇跡なのか理論から外れた事象なのかも、関係ない。本当に確かなのは、心の全部でこの子を愛しているということ。わが子と同じように。


少しだけ落ち着いて、頬を伝った涙を拭ってから、そっとリリウムを離して顔を見た。温かさが伝わるように、笑顔を作ろうとした。


「魔法使いたちとのその集まりが……あなたが何者かという真実を明かすかもしれないの、リリウム」


囁くように言いながら、小さな頬をそっと撫でた。


「怖いわ……とても怖いのよ。あなたが生まれた理由を知ることが。その答えが、自分の心が記憶するのを拒んだものかもしれないと思うと、余計に」


リリウムは眉をひそめ、明らかに不満そうな顔をして、小さな硬い指で私の手をぺちりと叩いた。


「またネガティブなことを考えているわよ、エレノア」


「あら、そんなことないわ!」


素早く両手を振って、空気を和らげようとした。


「ただ、現実的に考えているだけなのよ。あの方々と話すことで理解できたなら、ずっと感じてきた空白を埋められるかもしれないと思って。答えを持っているのは彼女たちだもの。ただ、その真実の代価が……少しだけ怖いのよ、分かる?」


リリウムがまた不満げな顔をした、ちょうどその時。廊下から、規則正しいノックの音が会話を断ち切った。


「エレノア様」


廊下から使用人の声が届いた。


「お邪魔して恐れ入りますが、玄関に、どうしてもお会いしたいという方がいらっしゃっています」


思わず驚いた。こんな時間に来客を予想していなかったし、魔術師たちの社会が揺れているこの時期に、誰かが突然訪ねてくるというのは、それだけで緊張を走らせるものだった。


「どなた様かしら?」


「楓・エンバーストロム様でございます」


胸の中で何かがびくりと跳ねた。楓がここに?


「すぐにお茶の間にご案内して」


少し声を高めて、使用人に伝えた。


「すぐに参ると」


「私も行きたい」


リリウムが袖の端をしっかりと掴んで言った。外の誰かとの会話に参加したがるのは珍しいことで、心の中で少し驚いたけれど、優しく微笑んで頷いた。


鏡の前でさっと身を整えた。最近泣いていた痕跡を、上手く隠せるように。それからリリウムを自然な仕草で腕に抱いて、階段を下り、お茶の間へと向かった。


扉を開けると、楓がいた。大きな窓際の椅子に座り、珍しいほど穏やかな姿勢を保っていたけれど、その視線は手の中のティーカップの水面に完全に落ちていた。リリウムを傍らの一人掛けの椅子にそっと下ろしてから、私は向かいに座った。近くで見ると、母性的な直感がすぐに反応した。肩がわずかに落ちていて、目の奥に、普段は決して見せない深い心配の影が見えた。


「楓……こんなに急に来るなんて、どんな理由があったのかしら?」


穏やかに尋ねながら、テーブルに手を伸ばした。


「随分と、気持ちが重そうに見えるわよ」


楓はすぐには視線を上げなかった。静かに息をついて。


「エレノアさんと話したかったの……」


いつものような矜持が削れた声で言った。


「本当のことを言うと……他に誰に話せばいいか、分からなかったのかしら」


「ここにいるわよ」


声のトーンを丁寧に調節しながら答えた。一人じゃないということを、声だけで伝えようとした。


「話したいことは何でも話してくれて構わないのよ。裁かれる心配はいらないわ。あなたが必要とすることなら、何でも支えるから、ね?」


楓は磁器のカップの縁を指でぎゅっと握り、息を吸い込んでから続けた。


「どこから話せばいいかも分からないのね……。数日前に、ある女の子に会ったの。とても恐ろしい子だったわ、エレノアさん。奇妙な名前の。その子の目は……人間的な光が何も宿っていなかった。表情が一つも動かない、まるで機械みたいで。そして私をひどい扱いをしたのよ。今まで生きてきて、あれほど小さく感じさせられたことはなかったくらい」


驚いた。楓の確固たる自信を揺るがせるような人物が存在するなんて。どんな出会いがそこまでの恐怖を与えたのだろうと思いながら、でも今は口を挟まないでいようと決めた。今ここでの役割は、ただ彼女の感情の流れを受け止める器でいることなのだから。


「その子のせいで……自分の周りにあるものが全部、信用できないと感じ始めたの」


楓は続けた。その目が、かすかに潤んでくるのが分かった。


「一族の仕組みも、アカデミーのルールも、私たちの立場も、全部が守ってくれるものだと信じていた。でも初めて、そのどれもが完璧じゃないって見えてしまったわ。コントロールできないと感じた……それが初めてのことで。でも同時に、その経験のおかげで、アキラくんのことを全然違う目で見ることができたの。彼は本当に変わった。誰かに引きずられるでもなく、後退するでもなく、自分の目的のために、自分自身で」


楓は両手でカップを握る力を強めた。割れてしまいそうで、胸がひやりとした。こんなに素直な姿を見せてくれる楓を見ていると、胸の奥が深く揺さぶられた。


「自分自身を本当に理解したいの……心からそう思っているわ」


声が微かに揺れた。


「でもお父様の声を聞くたびに、それができないと感じる。自分を見つめることすら、彼の道具である自分しか見えてこなくて」


少し乱暴な動作で楓はジャケットのポケットを探り、厚い羊皮紙の封筒を取り出して、テーブルの上にしっかりと置いた。


「その手紙は……魔法使いたちが催す舞踏会への招待状よ」


苦々しさを帯びた声で説明した。


「七つの一族の次代の長になる者だけに限定された、特別な集まりへの。そしてそれが原因で……お父様から、その中の誰かに近づいて、言いくるめてから自分のもとへ連れて来いと命令されたの。どんな目的のためかは教えてもらえないけれど」


その表情に、苛立ちが滲んでいた。父親という権威が彼女を締め付ける重さが、どれほどのものか。自分で選ばなかった盤の上で、ただの駒として動くことへの怒りが。機械的な命令に従うことを、心の底から拒否している。楓は突然視線を上げ、まっすぐに私の目を見た。


「だから……一族の禁書庫に入ったの。アキラくんが背中を押してくれたのよ。彼のおかげで踏み出せたわ。そしてそこで、探していたものを見つけた」


その言葉を聞いた瞬間、思考が止まった。手が途中で止まる。エンバーストロム一族の禁書庫。それが何を意味するか、よく知っていた。一族から事実上不可能に近い許可と、古の神秘的な試練を超えなければ入ることができない伝説的な場所。内部に棲む霊的な存在が、入ろうとする者の魂を読み、試練を課すという。楓がその試練を受けたと、今告白してくれているのよ。正直なところ、これは本当に並外れた偉業だと思ったわ。


楓はテーブルの上で両拳を握り、大きく息を吸い込んで、目の中に輝く決意を乗せて話し続けた。


「禁書庫の試練を超えたの、エレノアさん。そしてその瞬間から……お父様に反抗することが、本当にできると分かった。あの存在が目を開いてくれたの。反抗するわよ、でも自分のやり方で。お父様に見せてやる、私は私のアプローチで、私自身の判断でやっていけると。何より……自分でそう決めたから」


その勇気と成熟さを目の当たりにして、胸の奥から誇りの波が満ちてきた。これまで伝えてきたことが、こんなふうに芽吹いているのを感じると、喉の奥が熱くなる。


「あなたのことがとても誇らしいわ、楓……」


声を柔らかく落としながら言った。


「その時の舞踏会への計画は、どういうものなの?」


「出席するわ」


迷いなく答えた。


「魔法使いたちの話を聞く。誰かと話すことになっても構わない。でも、誰もお父様のもとへは連れて行かない。舞踏会が終わったら、すぐに書斎へ行って、言いたいことを全部言うの。もう影の中で生きることには疲れたわ。自分のやりたいようにやる。兄たちがかつて戦ったように、私も戦う。本当の自由のために」


「それは並外れた勇気よ、楓」


心からそう思いながら答えた。温かさを込めた微笑みを向けた。


「これからのどんな一歩にも、全力で応援するわよ」


楓の肩がわずかに力を失った。でも手の緊張は消えていない。まっすぐにこちらを見て来た。


「決意はある……でも、心の奥のどこかにはまだ恐怖があるの、エレノアさん。魔法使いたちと近くで向き合うことが怖い。だから……アドバイスが欲しいのかしら。この恐怖を、どうしたらコントロールできる?」


テーブルの上に手を伸ばして、そっとその手を取った。持てる限りの温かさを、手のひらから伝えようとした。


「恐怖を感じても、大丈夫なのよ、楓。みんなどこかで持っているものだもの。それが私たちを人間たらしめているのよ。あれほど大きな存在の前で何も感じないとしたら……最初にあなたが話してくれた、あの冷たい女の子みたいになってしまうかも。感情が一切ない、あの子みたいにね。恐怖は、自分が何を大切にしているかを教えてくれるものなのよ」


楓の体が、その言葉に反応したかのように微かに揺れた。視線を少しだけ外して、言葉を吸収して、軽く頷いた。


「そうね……恐怖を完全に消そうとするのではなく、警告として使えばいいの、かしら。ありがとう、エレノアさん……」


少しの間、思案してからまた顔を上げた。


「でも……魔法使いたちの前でどうすればいいか、まだ分からないの。彼女たちが私たちに何を望んでいるのか。なぜこのタイミングで、一族の後継者たちだけを呼んだのか。何かが……どうしても腑に落ちないのよ」


ティーカップの中の液体に視線を落として、しばらく考えた。以前に話したことのある、あの非常に風変わりな魔法使いのことを思い出した。その話し方、この世界の現実からかけ離れた様子……あの者たちは全員、どこか根本的に違う。


「以前に、一人の魔法使いと話したことがあるの、楓」


より真剣なトーンに切り替えて告げた。


「彼女たちは私たちには到底及ばない視野を持っているわ。世界の流れ全体を、一つの塊として捉えている。でも同時に……私たちが確かに持っているものを、彼女たちは欠いているように見えた」


楓は目を大きく開けて、静かに待った。


「人間性よ」


はっきりと答えた。


「魔法使いたちは賢く見える、風変わりで、私たちの社会構造よりずっと上位にあるように見える。でも彼女たちは、人間の文化の中で、喪失の中で、絆の中で育っていない。知識として知っていても、胸の中に宿らせているのとは全く違うもの。だから、舞踏会で何が起きようと、あの存在たちが何を語りかけてきても……あなた自身であることを、決して忘れないでね。自分が守ると決めた価値観を」


楓は完全に静かになった。深く考え込んでいる。私はゆっくりと一口、お茶を飲んだ。液体の中に視線を沈めながら、確かに魔法使いたちは予測がつかない存在だと改めて思った。魔術師の社会が脅かされているこの時期に、彼女たちが次の指導者たちと会おうとしているのは……事態をさらに複雑にするだけだと、胸の奥で感じていた。


不意に、背筋に冷たいものが走った。


古い直感が戻ってきた。何かが悪い方向に向かう時にだけ、こうして私を呼び覚ます、あの感覚が。あの招待状には、何か深く暗いものが潜んでいる。


気がつけばテーブル越しに楓の両手を掴んでいた。切迫した気持ちが目の中に出てしまったようで、楓が少し驚いた顔をした。


「楓……本当に気をつけてね。直感が、あの舞踏会の裏に何か危険で暗いものがあると告げているの。何があっても、絶対に警戒を緩めないで」


「どうすれば……自分を守れる、のかしら、エレノアさん?」


楓は私の不安に感染したように尋ねた。


数秒間考えた。記憶の中の魔術理論を引っ張り出しながら、高度な防御の術式の構造を思い描いた。腰のあたりに手を添えて、杖を取り出した。


「よろしければ、今すぐ呪文をかけてあげるわ」


楓は杖を見て、明らかに困惑した表情になった。


「呪文? それほど強力な存在たちに、それが意味をなすと思うの?」


「高度な呪文で見えない結界を張るのよ」


穏やかに表情を和らげながら説明した。


「直接的な攻撃や魔力の吸収から守ってくれるわ。舞踏会の間、誰にも気づかれない。潜伏状態で発動しているから。でも一つ聞かせて……その舞踏会はいつなの?」


「明後日よ」


「それなら十分に間に合うわ。今かける呪文は三日間持続するもの。舞踏会の間ずっと、安全でいられる。いいわね?」


空中に杖先が円を描くとともに、なめらかで調和のとれた動きで術式が編み上げられていった。白みがかった青の魔力の輝きが楓の輪郭を包み、やがて静かに肌の奥へと溶け込んだ。


「これで、直接的な攻撃から守られるわ」


楓は自分の腕を見つめ、少しだけ不安そうな表情を見せた。


「どうしてそこまで、物理的な攻撃への対処に絞ったの? 本当に、直接的な危害を加えようとしてくるつもりだと思っているの?」


少し動揺した。その問いが、かつてのベアトリクスとの、あの苦い記憶を呼び覚ましてしまった。楓に同じ思いをさせたくない。


「念には念を入れておく方がいいと思って……」


視線をわずかに逸らしながら答えた。


楓がもっと深く問おうとしたその時、ずっと静かに全てを見届けていたリリウムが椅子の上に立ち上がった。磁器の小さな手を楓へと向けて、二人を驚かせるほどの真剣な顔で言った。


「私も……楓に、守りを与えたいわ」


驚いて、そちらを見た。楓も同じように目を丸くしていた。


「リリウム……護術の術式の組み方を、知っているの?」


首を傾けて尋ねた。


「あなたの古代理論の教本を読んで覚えたのよ、本棚のものを」


平然と答えて、楓を真っ直ぐに見た。


「許可をくださる、楓?」


楓は少し緊張しながらも、ゆっくりと頷いた。


リリウムは小さな手を厳かに伸ばした。次の瞬間、深い紅の術式陣が指先の前に浮かんだ。どこか揺らぎもなく、その声が詠唱を紡ぎ始めた。


「『静寂の鏡よ、

迷う思いを映し出すな。

風のざわめきを閉じよ、

影の囁きを弾け。

我が心は深い湖、

波立たず、月の永遠の光に守られた』」


最後の音節が終わると、紅の術式陣は前方へと展開し、一瞬だけ楓の頭上に漂ってから、細かな光の粒となって肌の中へと溶けた。その流麗さに、心の底から驚いた。


「リリウム……一体どんな守護を彼女に与えたの?」


「心への守護よ、エレノア」


自然な仕草で座り直しながら答えた。


「絶望に意志が折れないように。他者の糸によって操られないように。楓は楓のままでいられるわよ。誰かが心の奥で望まないことをさせようとしても、ね」


楓は自分の手を見つめた。最初の恐怖の残りが、みるみる何か新しいもの、内側からの強さのようなものに変わっていくのが分かった。瞳の中に、大きな動機が灯った。椅子から立ち上がって、私たち二人を見た。


「エレノアさん……リリウムさん……本当にありがとう」


そう言って、私の前で立ち止まった。


「エレノアさん……魔術師の世界で、私が一人じゃないと初めて感じさせてくれた人は、あなただったのよ」


その言葉の重さが、胸の中に静かに降りてきた。


「あなたのおかげで、見えなかったものが見えてきたの。最初にあなたが優しくしてくれて、それからアキラくんの変化があって……あなたがいなければ、今でもお父様の手の中で動くだけの、感情のない人形でいたかもしれない」


「私は特別なことなど何もしていないのよ、楓」


ぐっと込み上げるものを感じながら答えた。


「禁書庫に踏み込んだ勇気も、反抗すると決めた意志も、全部あなた自身のものよ」


楓は出口へ向かいながら、一度だけ振り返った。


「エレノアさんは、自分が思っているより、ずっと強いのよ。破壊的な力とか、重厚な家名とか、そういうことじゃなくて……大きな心を持っているから。この冷たい世界で、それが本当に特別なことなの。忘れないでね」


その言葉を残して、楓はお茶の間を後にした。静かな空気が部屋に満ちた。窓の外を見つめながら、しばらく動けなかった。長い間、私は偽物だと思っていた。自分自身の悪魔から目を逸らすために、取り繕い続けている怖い女だと。自分の攻撃的な力の無さが、今の危機の中では無価値だと信じていた。でも楓の言葉が、その認識を静かにひっくり返した。偽物じゃない。一族の重さに押し潰されようとする魂を、支え続ける人間だった。私の強さは壊すことではなく、支えることの中にある。今にも崩れそうだったのに。リリウムをもう一度強く抱きしめた。初めて、魔法使いたちとのことも、これから来る運命も、向き合えると感じた。


* * *


夕暮れが大きな窓を銅色に染め始めていた。その静けさが、逆に心を内側へと引き込む。楓の声の余韻がまだ頭の中で響いていた。彼女の告白も、あの目の中の勇気も、胸に刻みつけられたようにそこにある。そんな感情の波の中に漂っていると、扉を叩く遠慮がちな音が、現実に引き戻してくれた。


「エレノア様」


使用人が控えめに顔を覗かせた。


「午後のお休み中に恐れ入りますが、またお客様がいらっしゃっています」


一瞬、楓かと思った。何か言い忘れて戻ってきたのかもしれないと。でも次の言葉が、その想像を一蹴した。


「春花・ナイトシェイド様でございます」


頭の中が真っ白になった。春花? こんな時期に、どうして? 気がつくと、もうベッドから立ち上がっていた。ドレスの皺を慌ただしい手つきで伸ばしながら、胸の奥の不安を抑えようとした。


階段を早足で下り、客間に入ると、そこに彼女がいた。春花はあの大きなソファに、いかにも彼女らしい姿勢で座っていた。だらしなく、でも妙に引きつけられる。彼女の存在感は、いつも部屋の空気に馴染まない。最後に会った時の記憶が重なる。あの混乱と危険の中に彼女がいた時のことが。こうして静かな場所で顔を合わせるのは、どこか現実感がなかった。


そっと近づいて、向かいのソファに座った。


「エレノアさん……」


春花が口を開いた。カジュアルな表面の下に、珍しいほど真剣な色を帯びた声だった。


「こうして来たのは……ちゃんとお礼を言いたかったからです。本来なら一族の礼節に従って来るべきところを、そういった形式を踏まずに来てしまいました。本当に申し訳ありません」


「あら、春花さん……そんなに気を遣わなくていいのよ」


少しだけ笑いながら答えた。


「私に対して、礼儀なんて必要ないんだから、本当に」


「でも、そうしたかったんです」


彼女は手元のテーブルに小さなサテン地の袋を置いた。


「これを……ほんの少しのお礼として持ってきました。大したものじゃないですけれど。あなたがいなかったら……あの陰陽師たちに殺されていたところでした。今、こうして生きていることができているのは、エレノアさんのおかげです」


その言葉を聞いた途端、目線が手の方に落ちた。自分の指が、膝の上で静かに絡んでいる。深いところで居心地が悪かった。春花にそんなふうに感謝されることが。あの夜のことを思い返すたびに、胸に重なるのは誇りではなく、罪悪感に近い何かだった。あれが崇高な救済だったのかと問われたら……正直、そうとは言えない。引き金は、自分自身の利己的な何かだった。必死な、欲求のようなものが、あの行動を動かしていた。振り返れば振り返るほど、そう思えてしまう。


「で?」


春花の声が急に変わった。あの、少し刃のような、皮肉まじりの調子が戻ってきた。


「もう、自分は天才じゃないなんて考えるのはやめた? エレノアさん」


思わず乾いた笑いが漏れた。頬がほんのり熱くなる。


「何のことかしら……春花さん」


クッションに手を添えながら、目を逸らした。


「顔に出てますよ」


ちゃんと視線をよこさないまま、彼女は続けた。


「自分の才能を認めることから、まだ逃げてる。相変わらずそのくだらない考えから抜け出せてない」


「それについては今は話したくないの、春花さん……」


できるだけ柔らかく伝えようとした。声に叱責の色が出ないように。でも、自分の声が少し揺れたのが分かった。


春花は軽く手を振って、その逃げを無効化した。そしてまっすぐにこちらを見た。


「言わせてください。私にとって、エレノアさんは本物の天才です。あなた自身がどう思っていても、あなたの言い訳がどれだけあっても、私の目にはそう映っています」


胸の奥底で、何かが引火するような感覚がした。苛立ちとも、戸惑いとも、違う何かが。指がそっと握り締められた。歯をわずかに食いしばった。


「天才じゃないわよ、春花さん……」


できるだけ声が震えないようにしながら繰り返した。


「そう呼ばれる理由が分からないの、本当に」


春花は小さく笑った。心底楽しんでいる様子で、頬杖をついた。


「だから天才だって言うんですよ、エレノアさん。あなたは答えに囚われているから」


首を傾けた。その言葉の意味が捉えられない。


「答えに、囚われている……? どういう意味かしら?」


「簡単な例を出しましょう」


春花はソファにもたれながら説明した。


「あなたは自分の人形を作った時のことを本当には知らない。でも、ある意味では知っている。問題は、それが起きている最中に、プロセスを観察しなかったこと。書き記さなかった、一つ一つを計画通りに並べなかった、そしていざ予想外の結果が起きた時に十分に注意を払わなかった。だからその後、記録もなく、方程式もなく、ただ結果だけが手元に残った。そしてあなたの頭はその結果に対して答えを探し続けた。でも答えへの道筋が見えなかったから……自分を否定した」


一瞬の間があった。


「本当の問題は単純なこと。実験のメモを残さなかったから、きちんとした方法論に従わなかったから、奇跡が起きた時にそれを理解できなかった。だから自己否定した。でも結果は存在している、エレノアさん。現実を変えた。それが天才のすることですよ」


その言葉が部屋の空気に溶けた瞬間、頭の中で何かが静止した。空気が、急に重くなったように感じた。春花の論理は、隙がなかった。完全に、壊滅的なほど正確だった。ずっとそうだった……成果を拒絶し続けてきたのは、それが自分の固い思考の枠に収まらなかったからで。でも知性は、必ずしも数式の形を取るわけではない。直感の流れの中で息をしていることもある。それを一生、偶然の産物と呼び続けてきた。でも、そうじゃなかった。


「それはともかく……」


春花の声が変わった。今度は別の色が滲んでいた。初めて見るような、純粋な喜びが。


「今日は幸せを誰かと分かち合いたくて来ました。あなたに来ようと思ったのは……あなたが命を戻してくれたから、こうして喜べている訳ですし」


「そんなに嬉しいことがあったの、春花さん?」


彼女の表情に引き寄せられて、心が自然に明るくなった。


「何かお祝いでも?」


「そうです」


彼女は答えた。その目が、見たことのない若々しい光を帯びていた。


「ずっと続けてきた変身のプロジェクトが……やっと完成間近なんです。全部が整った」


驚いた。高度な研究に取り組んでいるとは聞いていたけれど、彼女がここまで感情的になるのを見るとは思っていなかった。


「こんなに幸せだと感じたことは、今まで一度もなかった……本当に」


静かに、でも力強く言った。


「ずっと戦い続けてきたものが、ようやく手の届くところに来た。これだけ努力してきたことが……今の自分の手の上にあると思うと……本当に、純粋な幸せの縁にいる気がします、エレノアさん」


そのプロジェクトへの情熱を、こんなふうに輝かせて話す彼女を見ていると、胸に深い喜びが広がった。彼女への誇らしさが、自分の不安を少しずつ薄めていく。


「あなたがそんなふうに笑っているのを見て、私も嬉しいわ……」


心からの言葉が自然に出た。


「本当に、これだけの努力をしてきたんだもの。世界中の幸せを受け取る資格があるわよ」


春花は少し斜めに笑って、膝の上のものを手に取った。濃い色の上品な封筒。ナイトシェイドのシール、銀の三日月が押されていた。テーブルの上にそっと置いた。


「プロジェクトの最終結果を発表する場に来てほしいんです。これが正式な招待状です。場所と時間の詳細が入っています」


「必ず行くわよ、約束する、春花さん」


その封筒をそっと手に取り、大切に持った。


春花はまた背もたれに寄りかかった。でも視線が、少し遠くなった。霧がかかったように、ぼんやりとした目になった。


「正直に言うと……このプロジェクトが終わったら、次に何をすればいいか全然分からないんです。ずっと前に進む方向を教えてくれたものが完成してしまったら……どこへ向かえばいいのか。あなたなら分かると思って来ました。全部が終わった後、聞いてほしいんです」


少し驚いて、彼女を見た。


「どうして私に聞きたいと思ったの、春花さん?」


首を傾けながら、優しく問いかけた。


春花はまっすぐにこちらを見た。その目から、いつもの硬質な表面が少しだけ剥がれていた。


「あなたを見ていると……信頼できる人がいると感じるから。友人のいる感じがする……本当の友人が。今まで一度も、そんな人はいなかったんです」


静寂が部屋を包んだ。その言葉が、胸の奥の最後に残っていた警戒の壁を、静かに溶かしていった。


「ええ、春花さん……いつでも聞くわよ。これからもずっとね」


手をそっと伸ばして、一瞬だけその手に重ねた。


春花は最後に笑顔を残して、客間を去った。一人になって、彼女のいた場所をしばらく見つめていた。深いところで、新しい考えが形を持ち始めた。自分の知性には価値がないと、ずっとそう思ってきたけれど……今日、二人の迷子が同じ日に訪ねてきた。それは偶然じゃないのかもしれない。共感から生まれる理解、魂のつながりを通じた知恵。それが私の本当の強さなのかもしれない。そして春花との間に生まれたものは、もはや魔術の縁で結ばれた義務関係ではなかった。本物の友情だった。互いを理解し合う、深いものが。


* * *


その日が来た。


アカデミーの廊下を歩きながら、胸の奥に奇妙な皮肉を感じていた。明日は楓と魔法使いたちの集まりがある。そして春花から渡された招待状は、同じ日付だった。


あの変質のプロジェクトの発表が、一族の後継者たちの集まりと重なるだなんて……まさか同じ場所だとしたら、さすがに笑えない偶然だと思いながら。


それから一つ、気になっていることがある。楓が会う魔法使いたちと、今から会う魔法使いたちが同じ存在かどうか、まだ確認できていない。


でも考えれば考えるほど、おそらく同じだと思う。魔法使いが地上に来ること自体、異例中の異例だもの。別のグループがわざわざ来るとは考えにくい。


リリウムを腕に抱き直した。その小さな重さから、少しだけ平静を借りながら、アカデミーの主翼へと向かった。


到着すると、高位の魔術師たちがすでに厳かな表情で待っていた。深い礼をして迎えられ、すぐに大会議室へと案内された。


扉を潜った瞬間、空気が変わった。重い。密度が違う。呼吸が、少しだけ苦しい。


部屋の中央には長大なテーブル。そこに、四人の魔法使いが座っていた。


肌が総毛立つ感覚がした。高位の魔法に触れた経験がある人間が本能的に感じる、圧倒的な何かが、この部屋全体から滲み出ていた。


最初に目に入ったのは、誇張されたほど大きな魔女帽子をかぶった女性。深い紫を基調とした装飾が施されている。その瞳は、この部屋で起きていることに全く興味がないかのように、虚空のどこかを見ていた。


次に、暗い色に支配された女性。ローブも、髪も、まとった空気も、全て黒に近い。グレーの鋭い目が、室内を品定めするように動いていた。何かを見たくて仕方がない、という渇望が、見ているだけで伝わってくるようだった。


三番目の人物は男性で、穏やかで落ち着いた容貌をしていた。でも、その唇の端に浮かぶ薄い笑みが、どこか不穏だった。何も言っていないのに、全身が「近づくな」と告げている。そういう種類の笑顔だった。


そして四人目。女性が、私が入った瞬間にこちらへ視線を向けた。


反射的に、目を逸らした。


うまく言葉にできない。でも分かった。この四人の中で、その女性が一番怖かった。理由は説明できない。ただ本能が、そう決めつけていた。


ちょうどその時、背後から大魔導師のストロンが入ってきた。部屋の緊張に少しだけ亀裂が入る感じがした。


「やっと……長い調整の末に、ここに集まることができた」


大魔導師のストロンはテーブルへと手を向けながら告げた。


「エレノア、そなたの前に座るのは、マジクスの世界の天才の輪、その四名じゃ」


圧倒された。魔法使いというだけでも十分すぎるほどなのに、その中でも特別な位置にいる者たちだという。


「リリウムのことは、すでに彼女たちにお伝えしておいた」


大魔導師のストロンは穏やかに続けた。


「そなたの小さな存在に、みなが本物の関心を示しておる」


四人を改めて見た。敬意と恐怖の間で揺れながら。


大魔導師のストロンは一人目の女性を紹介し始めた。大きな魔女帽子の女性から。


「こちらはセレスティア・ヴェイン、『虚空の天文学者』じゃ。魔法理論、魔法占星術、そして秘術幾何学の絶対的な専門家じゃよ」


セレスティアは冷え冷えとした目でこちらを見た。


「いう人形を分析するためだけに来たわ。それ以外に私を動かすものは何もない」


でもその言葉を言い終えた直後、彼女の視線が一瞬だけ、隣の仲間たちへと滑った。本当に短い時間だったけれど、その中に何かがあった。居心地の悪さのような。なぜそんな目線を向けたのか、すぐには分からなかった。


次に、黒い服の女性。


「こちらはミレイア・ノクティス、『屍録博士』じゃ。魔法記憶、魂、記録、そして呪物の専門家じゃよ」


ミレイアは透き通ったグレーの目をまっすぐ向けて来た。その白い肌の上で、その目はやけに目立つ。そして、好奇心に満ち満ちた笑顔を向けてきた。


「人形の本当の真実を明かすことができるのは、あたしかもしれないよ、エレノア。もっと近くで見てみたいな、本当に」


その声は穏やかで、でもどこか引力があった。反射的に、リリウムを胸に引き寄せた。強く。ミレイアがそれを見て、小さく笑った。


「怖がらなくていいよ、ねぇ。持っていったりしないから。ただ……この件、すごく面白いし、個人的な理由もあって来たの」


次に、静かな笑みの男性を紹介した。


「ケイル・ヴェイル、『魔力の建築家』じゃ。魔導技術の極致を操る者じゃよ」


ケイルはわずかに頭を下げた。


「よろしく」


それだけだった。短い。でも目が、一度も開かなかった。常に閉じたまま笑っている。見れば見るほど、その表情が奇妙に思えてくる。黙って頷くことしかできなかった。


そして最後に、あの四人目の女性の前に立った。


「セレネ・ヴァールコル、『閾の魔女』じゃ。禁断魔法、並行界、そして魔力腐食の専門家じゃよ」


セレネが笑った。血が冷える笑い方だった。そして視線を向けてきた。


「失望したわよ、汝の用意してきたものには」


何のためらいもなく言った。


息が一瞬止まった。唾を飲み込んで、なんとか問いかけた。


「それは……どういう意味ですか、セレネ様」


「腕の中に抱えている人形が、我が期待していたものとは全く異なるものだったということ」


冷めた口調で答えた。


「一目見れば、何者かはもう分かる。既に」


その言葉が頭の中に落ちた瞬間、全身が石になるような感覚がした。知っている。この人は、答えを知っている。ずっと探してきたものを。でも同時に、その口から出てくる言葉を、どこかの自分が恐怖していた。


「望むなら今すぐ教えてあげてもいい。その人形の本当の正体を」


セレネは目でこちらを試すように言った。


言葉が出てこなかった。知りたいという気持ちと、怖いという気持ちが、胸の中で押し合っていて。


ちょうどその時、セレスティアが声を挟んだ。


「たった数分見ただけで分かると言うの?」


腕を組んで、明らかに不満そうに言った。


「それは理論的な厳密さが完全に欠如しているわよ」


「文句を言ってもいいけれど、あなたよりこの分野で上なのは事実よ、セレスティア。受け入れなさい」


セレネはあっさりと返した。


セレスティアの上品な怒りが、きちんとした形で溢れ出した。


「見るだけでは足りない。分析して、確認してから主張するべきよ。それが魔法の基本でしょう」


「あなたの信条は信じない。だからもう何も言わないわ」


セレネはため息をついた。


「それに、そもそもあなたはこの会合に招かれてすらいなかったでしょう? 地上に何しに来たの、本当に」


セレスティアが張り詰めた。


「それはあなたの関与することではないわ」


と静かに切り返した。


「どうでもいい。もっと優先することがあるから退席するわ」


セレネはそう言って立ち上がった。何も付け足さずに、扉へと向かった。


それを見て、ミレイアもすっと立ち上がった。


「セレネがもう分かったって言うなら、あたしはセレネに聞けばいいかな。直接聞いた方が早いよね」


スカートを整えながら、楽しそうに言った。


「じゃあね」


セレネの後を追うように出ていく。


次にケイルが立った。セレスティアを見た。その視線は長かった。まるで何かを計っているようで。


「ホストのところへ行く。先約がある」


それだけ言って、静かに退室した。


残されたのは、セレスティア、私、そして静寂。


大魔導師のストロンが深く息をついた。それだけで、彼の落胆が十分に伝わってきた。


「申し訳なかった、エレノア。こういった形になるとは……思ってもみなかったのじゃ。今から彼女たちに話をしてみよう。もし可能であれば、また集まれるかもしれぬ」


「大丈夫、必要ないよ」


振り返って、今度はこちらをやわらかく見た。


「そなたも、焦らずともよい……じゃが、一つだけ覚えておいてくれ。人生というのは短いものじゃ、エレノア。特に、地の上に生きる者にとってはの。未来のことを遠くに置いておくうちに、気がつけばそれが目の前に来てしまうものじゃ。備えのないままその日が来てしまえば……それは誰にとっても災いになる」


その声が、穏やかに、でも確かに突き刺さった。


「わしは多くを見てきた。多くを後悔してきた……全員を助けることはできぬ、どこにでもいるわけにもいかぬ。それが現実じゃ。じゃから頼む……今のそなたが手にしている機会を、無駄にせんでくれ。怖くても、迷っていても、真実というものは向き合うべき時に向き合わねばならぬ」


大魔導師のストロンは一礼して、扉の向こうへ消えた。


一人残された部屋の中で、笑いたい気持ちがこみ上げてきた。なんの皮肉かと思って。答えを求めてここに来て、手ぶらで帰ることになるなんて。そして大魔導師のストロンの言葉は、いつも胸の柔らかいところを狙って来る。まるで自分の半生を、ゆっくりと無駄にしてきたと言われているようで。


そこで、セレスティアの視線を感じた。


「人形を、見せてもらえる?」と彼女が言った。


リリウムをぎゅっと抱えた。反射だった。セレスティアはそれを見て、少しだけ表情を和らげた。


「何もしないと約束するわ。ただ見たいだけ」


迷ったけれど、ゆっくりとリリウムをテーブルの上に置いた。セレスティアは近づいて、低い声で小さな唸りを繰り返しながら、細かく観察し始めた。やがて、どこか不満そうに離れた。


「全く……この人形の異常性が何に由来するのか、正直さっぱりよ」


と認めた。


「セレネの方が見る目があるのかもしれない。それが一番悔しい。彼女に一泡吹かせたいわ。私だってこの人形が何なのかを明かせると証明してやりたいの」


「リリウムは実験台じゃないのよ、セレスティア様……」


穏やかに、でもはっきりと言った。


「分かってる、聞いてたわよ」


面倒そうに言いながら、また息をついた。でも彼女の目は、リリウムではなく、もっと遠い何かを捉えているように見えた。


「……何かお気持ちが乱れていること、あるの?」


気がついたら口から出ていた。


セレスティアが止まった。私を見た。その顔に、苛立ちではなく、珍しい何かが滲んだ。


「元々……私はこの地上への旅に、招かれていなかったの。ケイルのおかげで、ごり押しで来ることができただけよ」


「では本当の目的は、何なの?」


「彼たちには二つの目的がある……私の知る限りでは、ね」


少し間を置いた。


「セレネ、ケイル、ミレイアは、ある意味グループなの。私は……仲間外れよ」


苦みが滲んでいた。それが本物だということは、すぐに分かった。


「彼たちを呼んだのは地上の誰かよ。その人物が話を持ちかけた。それから人形のことを聞いて少し興味を持ったけれど……実物を見たらすぐに興味を失った。そういうこと」


考えた。招いた人物、ということは。地上にいる魔法使い。もしそうなら、顔が浮かぶ。あの人しかいないという気がしてくる。


「セレスティア様……同じ方々かしら? 後継者たちを集める舞踏会に招待された方々と」


セレスティアが眉を上げた。


「そんな話は知らなかったわ」


確認できた。楓の集まりに来るのは、ここにいた四人。でも、セレスティアだけが外されている。


「もし彼女たちだけが招かれているなら……まあ、あのグループに私が含まれていないのは、いつものことよ」


吐き捨てるように言った。


見つめながら、不思議に思った。こんなにも人間的だと思わなかった。遠ざかって、誇りで傷ついて、仲間に入れてもらえなくて。リリウムのことを考えた。この論理を当てはめると、リリウムの内側はどこまでも本物だと言えると思った。磁器の体が何を示していようと、あの感情は本物の人間のものだと、今なら確信を持って言える。


「あんな奴らに除外されてたまるもの! 今すぐ言いに行くわ!」


セレスティアが立ち上がり、扉へと向かった。


「セレスティア様、少し待って!」


振り返った。


「さっきホストのことを言ってたけど……誰なんだ?」


「マジクスの世界から、彼たちよりずっと前に地上に来た誰かよ。私は直接話したことはない。何度か見かけたことはあるけれど」


「名前は?」


セレスティアは少し考えた。


「今すぐは思い出せない……でも確か、セレネたちと非常に近しい人物だったはずよ」


候補が一人に絞られていく。でもその確証を得る前に。


「急いでいるのよ! 失礼するわ!」


セレスティアは宣言するように言い放って、廊下へと消えた。


広い会議室に、私とリリウムだけが残された。


これだけあった不安がある程度整理されると思っていた。でも今、抱えているものはむしろ増えている気がした。答えは一つも手に入れられなかった。


その時、リリウムがゆっくりと近づいてきた。膝の上によじ登って、磁器の小さな手を、そっと私の頬に当てた。大きな瞳で、まっすぐに見つめてくる。


「怖がらないで、エレノア……前にも言ったでしょう。これからも言い続けるわよ。私が何者かを知ったとしても……あなたへの気持ちは何も変わらない」


そう言って、リリウムは小さな体を少しだけ傾けた。そして、磁器の唇が、私の頬にそっと触れた。


その瞬間。


何かが、頭の奥で音を立てた。


繋がった。


隠していたのではなかった。忘れていたのでも、なかった。ただ……怖くて、見ないようにしていた。


分かった。どうしてリリウムが生まれたのか。どうして彼女がこれほど人間的な感情を持っているのか。


専門は霊的魔術だった。人形に魂を宿す術も、命を吹き込む式も、知っている。でも他の誰かが作った人形と、リリウムは違う。その差は技術ではなかった。


愛だった。


リリウムを作った時、この子を愛していた。完成する前から、まだ形が整う前から、全身で愛しいと思っていた。その感情が、術式の中に自然に流れ込んだ。意図せず、でも確実に。愛が、魔力に溶け込んで、人形に意識を与えた。それだけでなく……本物の魂を。


難しい理論など、なかった。禁術でもなかった。ただの、愛の話だった。


胸の中に積もっていた罪悪感が、音もなく崩れた。恐怖も、謎への執着も、全部が一気にほどけていくような感覚があった。


気がつくと、リリウムを力いっぱい抱きしめていた。涙が頬を伝っていた。止めようとも思わなかった。


「エレノア……? どうしたの?」リリウムが困惑した声で言った。


答えられなかった。ただ抱きしめ続けた。広い、がらんとした会議室で、声も出さずに泣きながら。

知らなかった。


世界には、


こんなにも多くのものがある。


音も。


味も。


自由も。


そして、


この胸に芽生えた感情も。


次回――


「休日」


春花は初めて、


世界を知る。

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