表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/56

闇を破る第一撃

立ち止まってしまった人間が、


再び歩き出すには、


きっかけが必要なのかもしれない。


誰かの言葉。


誰かの手。


そして、


もう一度、


自分自身を信じること。


失ったものを取り戻すために、


ヴィクターは、


再び立ち上がる。

闇は、いつだって俺のサンクチュアリだった。


頭の歯車が罪悪感でギシギシ軋らなくていい、唯一の場所。リビングの真ん中にどっかりと座り込んで、電気を全部消したまま……いつも通りに、暗闇が俺を丸ごと飲み込むのに任せてた。でも、もうそれが効かなかった。あれだけのことを知ってしまった後で、薄暗がりに引きこもった孤独な馬鹿のまま生き続けるなんて……そんなの、もう選択肢にはなかった。


急に立ち上がって、ずるずると足を引きずりながら、リビングの電気を一つひとつ点けていった。人工的な光が目に刺さったけど、それでも止まらなかった。テレビの方へ歩いて、それも点けた。音が必要だった。何でもよかった。毎秒、毎秒、俺を裁き続けるあの息の詰まる沈黙より、何だってマシだったから。


点滅する画面をぼーっと見てたけど……思考は全然別のところにあった。


やれやれ……みっともない、な。


いつから、こんなに他人に依存するようになったんだ。楓に、マーカスに……なんで俺は、答えと同情を乞い求めるだけの哀れな阿呆に成り下がったんだ。蓮次郎が、ずっと信じてた男じゃなかったってだけで?拳を固く握り締めると、怒りの波が体の内側を走り抜けていった。もう、うんざりだ。俺は魔術師エンジニアじゃなかったのか。みんな陰で「天才」とか呼んでるんじゃなかったのか。


深く息を吸い込んで、胸が痛くなるまで肺いっぱいに空気を詰め込んで……自分の両手を見た。空だけど、無能じゃない。テレビに視線を戻した瞬間、天啓みたいなものが過負荷の回路みたいな衝撃と共に俺を叩いた。海のために、俺に本当に何ができる?この手で、何が作れる?正確な答えはなかった。でも、何ヶ月も死んで埋葬されてたと思ってたモチベーションが、皮膚の下でじわじわと沸き始めてた。


竜巻みたいに家を出た。深夜だろうと知ったことじゃなかった。グリムストーン邸のラボへ、すぐに行かなきゃならなかった。設計したかった。読みたかった。自分の知識の限界を把握したかった。結局のところ……それが、ずっと俺の望みだったんだろ?頭と手が一番輝くのは、設計図に囲まれてる時、金属を溶かしてる時、他人の役に立つ魔術師の杖を組み上げてる時だった。あのエンジニアリングは蓮次郎との絆だった。でも同時に、俺自身の人生でもあった。過去の崩壊に今を壊させる道理はない。なんであんなに簡単に落ちていったんだ、俺は。


暗い街路を走り始めると、すぐに身体的な疲労がツケを回収しにきた。兵士みたいな体力は、元々持ち合わせていない。でも、俺は魔術師だ、まったく。杖を滑らかな動作で取り出して、足元に烈風の呪文を流し込んで空へ浮かび上がり、屋根の上を全速力で飛び始めた。ラボへ行かなきゃならない。他人のために何ができるか見極めなきゃならない。でも何より……自分のために、何ができるか。


蓮次郎を救えなかったかもしれない。彼はもとから壊れていて、俺がずっと目を瞑ってただけかもしれない……でも、彼と共有した時間、炉の熱の中でアーティファクトを作りながら幸せだったあの日々は……あれは、いつだって本物だったんだ。


夜空の真ん中で、風に包まれながら、俺は野太い叫び声を放った。腹の底から絞り出したような、世界の全てに挑みかかるような咆哮。眼下に広がる光の街、路地と灯りの絡み合い……何ヶ月ぶりかで、笑った。鉛の重石が肩から剥がれ落ちていく感覚がした。


グリムストーン屋敷の敷地に降り立つと、中庭に居た警備の魔術師や助手たちが、ぽかんとした顔で俺を見た。驚いてる者、当惑してる者、俺の唐突な乱入に露骨に苛立ってる者……まぁ、愛想やら外交の類に割く時間はなかった。廊下を一定の歩幅で突っ切って、ラボに入った。


ちゃんとあった。記憶のまま。この時間の間、誰も俺の荷物に手を付けなかったし、空間を侵犯しなかった。それが素直に嬉しかった。


気が狂ったみたいに動き始めた。参考書を引っ張り出して、古いノートを広げて、誰でも頭が飛ぶような速度で読み込んでいった。中央の大きな黒板を引っ張り出してチョークを取った。計算式を組まなきゃならない。アーティファクトの最終形はまだ霧の中だけど、数学的・魔術的な変数を一つ残らず洗い出す必要があった。


視界の端に、ラボの入口に群れ始めた数人の邸の魔術師たちが映った。こっちを見ながらぼそぼそ言い合ってる。


「あの人が戻ってきた」

「頭おかしくなったんじゃないか」


……無視した。線を描き続けた。変換円と方程式を。


突然、あの甲高い声が集中を引き裂いた。


「――おい! おい、凡才! 聞こえてんのか俺の声が!!」


振り返って、目の汗を瞬きで拭うと……していたあの男の子が目に入って、思わず眉が上がった。前の陰陽師との戦争で、俺の直接監督下に居た。


「ザック……?」


声が、我ながら間抜けだった。


「なんでお前がここに居るんだ、ザック・エンバーストロム」


ザックは腕を組んで、あいつ特有の対抗心丸出しの目で俺を見た。


「なんだ? 俺だって一人前の魔術師エンジニアだろうが、忘れたのか?」


首を傾けた。何語を喋ってるんだコイツは、という顔で。


「ここはグリムストーン一族の主要ラボだ、ザック。お前はエンバーストロムだろ。一族評議会の許可なしに居てはいけない場所だぞ」


「細かいお飾りにこだわる筋金入りのうるさ型だな、本当に!!」


ザックが、地団駄を踏みながら怒鳴った。


「お前が洞穴の中でぐずってた間に、前の陰陽師との戦争以降、上層部は忌々しいラボの規則を変えたんだよ。防衛開発プロジェクトのために、今は一族間のエンジニアの連携が許可されてんだ」


固まった。そんなお達し、一度も聞いてなかった。自分の惨めさと暗闇にどっぷり浸かってたせいで、世界の外側から完全に切り離されてたらしい。でも一族が、いつも秘密に執着してる連中が、相互協力を許したという事実の方がさらに信じられなかった。頭に収まる気がしない。


「それでも……」


目を細めた。


「なんで、わざわざこのラボに来た?なんで俺のところへ」


ザックがすぐに張り詰めた。視線を逸らして、頬を搔いてから、また俺に猛然と目を向けた。


「挑みに来たんだ、このっ!!」


人差し指で俺を指して叫んだ。


「お前の設計図なんかより千倍優れたアーティファクトを設計できることを、一度きりちゃんと証明してやる。お前を超えるんだ、ヴィクター!」


瞬いた。心底、意味が分からなかった。


「超える……?なんでそんなことしたいんだ」


「お前が今一番優秀な魔術師エンジニアだからだろ、馬鹿!!」


ザックが、顔を真っ赤にして怒鳴った。


「だから超えたいんだ!!」


「一番と言うなら、俺は自分の一族で一番なだけで、お前の一族じゃ」


囁くように返した。受け取った言葉を噛み砕こうとしながら。


「一族とかどうでもいいだろうが!!」


ザックが、苛立ちで俺の言葉を遮った。


「俺にとっての最高基準がお前なんだよ。だから倒しに来たんだ!!」


奇妙な、馴染みのない感覚が胸に広がった。こんな形で誰かが俺の力を讃えて、己の分野の頂点として認めてくれるのを聞いたのは……自分が積み上げてきたものが、本当に意味を持ってたんだと、改めて気づかされた。認められた気がした。尊重された気がした。


ザックが黒板に一歩踏み込んで、俺が書き込んだ複雑な方程式を眺めた。


「どれ……どんな狂気に取り掛かってるんだ、今。教えろよ、ヴィクター」


「言えないな……」


背を向けながら答えた。


「詳細を教えたら、極めて深刻で危険な話に巻き込まれる。そこに引きずり込むつもりはない」


「危険なんか知ったことか!!」


ザックが、俺の腕を掴んで主張した。


「同じラインで戦って、俺がどこまでできるか証明したいんだ!」


「別に証明しなくていい、ザック」


ほとんど使わない柔らかさで、あいつを見た。


「お前の言葉は、本当にありがたい……でも、これは完全に一人で歩かなきゃならない道だ」


ザックが手を放した。一瞬、静止した。激しく呼吸しながら。それから重い足取りで近づいてきて、俺のシャツの襟を掴んで、まっすぐに目を見てきた。


「顎を食いしばれ、ヴィクター」


「……えっ?」


――ドカッ!!


拳が顎に直撃した。衝撃で、ラボの古い床に真っ直ぐ倒れた。天井を見上げながら大の字で転がって、完全に思考が白紙になって、痛む顎を擦りながら、目を見開いて固まってた。何も理解できなかった。


「よく聞けこの一流の自我過剰野郎!!」


ザックが、俺の上から震えた拳で怒鳴り散らした。


「俺を舐めるな! 俺の実力を軽く見るな!ここに居る俺の権利を侮るな!でも何より……他人の助けを無駄にするほど大馬鹿な真似は、絶対するなよ!!」


あいつの言葉が、電流みたいに頭に流れ込んだ。床に転がったまま、自分が途轍もない間抜けだと感じた。ほんの少し前まで、誰にも二度と頼るまいと誓って、自力でやることだけが唯一の正しい贖罪だと、勝手に信じ込んでた。でも工学はそんな風には動かない。人生も。傲慢な「俺が一人でやる」でも、卑怯な「あいつらが救ってくれる」でもない。一緒に取り組む努力、同じ目的を追う頭脳の結合だ。


笑いが腹の底から込み上げてきた。床に転がったまま、げらげら笑い始めた。顎が痛くて笑うのが辛くなって、呻きながら止まったけど、それでも頭の中の澄み切った感覚は何にも代えられなかった。ゆっくり立ち上がった。ザックが一歩下がって、俺の反応に完全に混乱した顔をしてた。奥の方では、入口を覗いていた助手たちが互いに目配せして、殴打でとうとう頭が飛んだと思ったに違いない。


ザックを見て、広い笑みを浮かべながら、喉の奥に鋭い痛みを感じた。


「……お前の言う通りだ。俺は完全な、一流の馬鹿だった」


右手を差し出して、真剣な目であいつを見た。


「頼む、ザック……手を貸してくれ。お前の知識を俺のに合わせれば、このアーティファクトの成功確率が指数関数的に上がる。お前が必要だ」


ザックが一瞬、言葉を失った。それから、満足げな笑みが顔に広がった。途方もない力で俺の手を握り返して、ぶんぶんと振ってきた。


「そうじゃなくちゃな! 楽にはさせないからな、ちゃんと俺がどこまでできるか見せてやるぞ!!」


「それが見たいんだ」


頷きながら、久しく感じてなかった温かみを感じた。


時間を無駄にせず、設計の概念を説明した。海の名前もモルガナの詳細も伏せたけど、作ろうとしてる封じ込め安定化アーティファクトの構造を解説した。ザックは眉間に皺を寄せて、機械の根底にある目的が曖昧すぎて明らかに困惑してた……これほど大規模な魔力安定器がなぜ必要なのか、本質が掴めてない様子だったけど、プライドに忠実に、余計なことは聞かなかった。ただチョークを取って、隣の黒板に呪文の変形と魔力の熱拡散の計算を書き始めた。


本物のチームとして動き始めた。時間も空間も、二人にとって溶けて消えていった。失敗した変数を消して、変換円を修正して、羊皮紙の設計図の中でアーティファクトのコアに形を与えていった。夜なのか深夜なのか翌朝なのか、もう分からなくなってたけど、疲労はどうにも俺たちの筆の勢いを止められなかった。


と、足音が大勢でこちらへ向かってくる音に顔を上げた。一族の警備に追い出されるかと思ったら……何時間も黙って俺たちを見ていたラボの魔術師と助手の面々だった。その中の一人、年配のアシスタント・エンジニアが一歩前に出て、俺を尊重の眼差しで見た。


「工学の殿、ヴィクターさん……」


頭を下げながら言った。


「不躾ながら、我々もご一緒させていただきたく。このアーティファクトの建造に、お力添えをしたいのです」


そのまま、入口に居た全員が深々と一斉に頭を垂れて、絶対の沈黙の中で礼を保った。


……言葉が出なかった。あいつらは全員、このラボの正式なメンバーで、俺の直接指示か補助として動いてきたエンジニアたちだ。自分がコミュニティの一員だと感じたことは、生涯一度もなかった。義務で動く孤立した部品だとずっと思ってた。でも今、決意の顔で並んでいるあいつらを見て……俺にはグループがあると分かった。本物のチームが。


「……ああ」


声が、僅かに掠れた。


「すぐに取り掛かってくれ。全員が必要だ」


場に喜びのざわめきが走った。助手たちがラボに踏み込んで、サブ炉に火を入れて、るつぼを整えて、ザックと俺が組んだ方針の下で魔力結晶を分類し始めた。アーティファクトの秘密の目的を知る者は誰一人いなかったけど、全員が、何か偉大な魔術工学の傑作を一緒に作っていることを分かってた。壊滅的な魔力の流れを安定させて制御できる魔力レギュレーター……技術的には、ほぼ不可能に近い代物だ。でも、これだけのチームが背後に居れば……本当にできると感じた。


時間が肉体と精神の作業の連続となって過ぎて、ついに極度の疲労が代金を取り立ててきた。眠りが助手たちを一人ずつ打ち倒した。ザックは奥の机で本の山に突っ伏して、うるさい鼾を搔いてた。俺は自分の部屋まで一歩も歩けなくて、作業椅子にそのまま崩れ落ちて、自分のノートと何冊かの参考書に頭を埋めて、ラボの結晶の明かりの下で深く眠りに落ちた。


* * *


目を開けた。最初に視界に入ったのは、銅のパイプと魔力導管が走るラボの天井。ゆっくりと体を起こすと、脊椎が盛大に鳴った。周りを見回すと、疲弊の肖像画そのもので……助手が何人か隅に倒れていて、ザックは設計図の束に頬を押し付けたまま大きな鼾を搔いてた。昨夜の作業が、みんなを丸ごと搾り取ってた。


時間を確認できるものを探して、金属製のデスクの上に古い腕時計を見つけた。針が指してるのは午前十時。


「まずい、寝てたな……」


片手を顔に走らせながら呟いた。


時間は迫ってた、でもスタビライザーの組み立てに向けてノートを整理しようとした時、半開きになったデスクの引き出しの奥に何かが視界に引っかかった。精密工具の下に埋もれて、くたびれた表紙の小さなノートが覗いてた。手に取った瞬間、胃がひっくり返って何年分もの時間を逆に引き戻された。


蓮次郎と黄金期に共有してた共同記録ノートだった。


ほとんど震えかけた指でそれを開いた。ページは懐古の渦で……一度も機能しなかった馬鹿げたプロジェクトの図、廃棄されたアイデア、すっかり忘れていた計算式。でも最後のページを捲った時、目が一行に釘付けになった。蓮次郎の急いだ書き方で余白に書き込まれた一連の注記。当時は、単純な抽象的仮説だと思っていた理論的な推論。でも今、プロジェクト・ハートクライの謎めいたについて持っているあらゆる知識を合わせて読み返したら、脳内のピースが稲妻の勢いで噛み合った。


あった。計算式が。蓮次郎が思考遊びとして走り書きした、シンプルで、清潔で、エレガントな魔力変調の計算式。頭の中で、何週間も詰まっていた歯車が耳をつんざくほど高らかにかちりと噛み合った。海の生体コアを崩壊させずに魔力の流れを制御する、その失われた環がここにあった。


歪んだ笑みが口元に広がった。


「このバカじじい……ずっとこれが目の前にあったのか」


自分だけに向けて呟いた後、ノートをパタンと閉じてジャケットの内ポケットに仕舞った。


蓮次郎の屋敷へ、すぐに行かなきゃならない。この新しい変数を持って、カプセルのパラメータを確認する必要があった。踵を返して出発しようとしたところで、ラボの入口でザックと鉢合わせた。目を擦りながら、まだぼんやりしてた。


「どこに飛んでくんだ、ヴィクター?」


眠たげに目を細めながら聞いた。


「やっと起きたとこだろ」


「フィールドの変数を確認しに行く」


あいつを横目に通り過ぎながら言った。


「昨夜の設計図を元に、磁力魔術のシャシーの鋳造を先に進めておいてくれ。すぐ戻る」


「なんだと!? おい! 重い作業を全部俺に押し付けるなよ、このなんちゃって天才野郎!!」


敷居を跨ぐ瞬間まで聞こえてきたのは、ザックの最後の文句だった。邸の敷地を出たところで杖を抜いて、風の呪文を描いた。空気が強く俺を突き上げて、朝の空を全速力で蓮次郎の古い屋敷へ向かって飛んだ。着地して、地下ラボへ繋がる地下室の入口へ走った。でも、そこで足が止まった。


隔離用の重い扉が、隙間なく開いてた。誰かが無理に開けたか、開放周波数を使ったかだ。マーカスがすぐ頭に浮かんだけど……あいつには、禁じられた入口をこんな風に開けっぱなしにするほど迂闊なミスはしない。何かがおかしかった。


杖を強く握って、首筋を伝う冷たい汗を感じながら、壁に背を貼り付けて、影の隅を一つひとつ確認しながら進んだ。罠も、敵意ある魔力の署名も感知しなかった。メインチェンバーへ直接繋がる第二の扉を通り抜けた時……そこに居た。海の体が緑の液体の中に浮かぶ生命維持カプセルのすぐ前に、人影があった。誰かが、近すぎる。


敵か評議会の使者が蓮次郎の秘密を突き止めたという妄想が判断を曇らせた。前に飛び出して、点火の火花で灯った杖を向けて、肺の限り叫んだ。


「そこに居るのは誰だ!? 命が惜しければそのカプセルから離れろ!!」


人影が飛び上がって、勢いよく振り返った。評議会の刺客でも、離反した魔術師でもなかった。アカデミー・エンディミオンの正式な制服を着た一人の少年だった。顔が青ざめていて、すぐに両手を上げた。がたがたと震えながら。


「な……何もしてません! 誓います!」


少年が、目を見開いたまま叫んだ。


杖を一ミリ下げたけど、不信と戸惑いで視線はあいつから離さなかった。


「エンディミオンの生徒か……?」


疑惑を込めた声で言った。


「お前みたいなガキが、立入禁止のラボで何の用がある?」


少年が唾を飲み込んで、落ち着きを取り戻そうとした。


「アキラ……アキラ・アッシュフォードと言います」


その苗字を口にした瞬間、目が細くなった。


「調べ物です」


アキラは続けた。カプセルをちらりと見やりながら。


「魔術師社会で起きてること全ての、本当の責任者を突き止めたいんです。嘘が多すぎる」


「一人で調べ物だと?笑わせるな、ガキ」


杖から手を離さないまま言った。


「本当は誰のために動いてる?誰がここへ送り込んだ?」


アキラがゆっくりと手を下ろして、歯がゆさと誠実さが入り混じった奇妙な表情を見せた。


「正直に言うと……自分でもよく分かりません。最初は一人で始めたのは本当です。でも……俺を、ここまでこの軌跡を追い続けさせた人たちが居て、力が居て……」


じっくりと観察した。プロのスパイには程遠い説明で、構造が全くない。でも、敵意も悪意も感じられなかった。自分には大きすぎる波に流されてきただけの少年に見えた。


ジャケットに杖を仕舞ったけど、口調は厳しいままにした。


「よく聞け、アキラ。ここに座って、知ってること全部を話してもらう。どうやってここへ辿り着いたかも含めてな。一つでも嘘を察知したら、アカデミーの上層部に通報して不法侵入で独房送りにしてやる。喋れ」


アキラが神妙に頷いた。少し間を置いて思考を整えてから、話し始めた。言葉がラボの沈黙を埋めていくにつれて、最初の懐疑心が純粋な衝撃に変わっていった。このガキの話は、不条理と悲劇の連続で、ホラーとミステリー小説から出てきたみたいな展開だった。別の状況なら顔に向かって笑い飛ばしてた。でも目を見たら……嘘のない事実だった。見すぎた者の重みと、折れない意思が顔に出てた。


本当に俺を打ちのめしたのは、あいつの話が俺自身の今と繋がる人たちを巻き込んでいる部分だった。楓との複雑な関係、エレノアとの顔合わせ、さらにはマーカスと春花と秘密裏に協力した場面まで話した。断片的にしか知らなかったパズルが、この生徒の語りと完璧に嵌まった。


でも、話が終わった時、論理的な疑問が一つ、頭を潰した。


「度胸は認める」


あいつを好奇心で見ながら言った。


「でも一つ引っかかってる。なんでそんなに簡単に全部俺に話した?俺は、お前にとって完全な他人だろ」


アキラが眉を片方上げて、答えが当然じゃないのかという顔で俺を見た。


「だって……杖を向けて焼き払う構えのまま、アカデミーの当局に突き出すと脅されてたので。選べる選択肢がそんなになかったと思います」


その圧倒的かつ現実的な論理の前で、俺は固まった。乾いた笑いが一つ、口から漏れた。


やれやれ……少なくとも現実的なやつだ。それは気に入った。それに正直なのか、それとも単純に脇が甘いのか……分からないけど、な。


でも、話の中で一つ引っかかってた内容が、強い不安感として蘇ってきた。


「さっき言ってたな……石のことを。通常の魔術工学の常識を超えた性質を持つ鉱物の破片だと」


アキラが頷いた。でも表情が暗くなった。


「ここへ来たのは、蓮次郎の最も暗い秘密を掘り起こすためでした。そして……見つけました」


悲しげに、カプセルの中の海の体を指し示しながら言った。


「でも、あなたがこの扉を通る前から、深く気になってることがあります」


「どういうことだ? はっきり言え」


「この石の破片を常に持ち歩いています」


アキラが説明して、肩から鞄を下ろした。メインポケットを探って、布に包まれた物を取り出した。それを包みから出すと、ラボが天上の輝きに染まった。電気的な青さで光る石の欠片で、眩しくなるほど強烈だった。光を放つだけじゃなく、心臓の速い鼓動みたいな一定のリズムで明滅してた。


「このラボに足を踏み入れた瞬間から、石が振動し続けています」


アキラが、声に怯えを滲ませながら言った。


「こんなに激しく反応したことは今まで一度もない。もう……制御不能に近い状態です」


引き込まれた。発光の純度に催眠状態にさせられた。この波長のエネルギーを放射する鉱物は、魔術師エンジニアとして過ごした全ての年月の中で、一度も見たことがなかった。


「見せてくれ……触ってもいいか」


ほとんど本能的に右手を伸ばした。


「気をつけてください」


アキラが一歩退きながら警告した。


「石が直接触れようとする人を激しく弾く可能性があります。それ以上のことが起きるかもしれない……」


警告を無視した。科学的好奇心に制圧されてた。でも指先が表面に数ミリまで迫った瞬間、女の声が頭の中に爆発した。アキラも頭を抱えて呻いた。テレパシーの周波数で送られてきた、海の声だった。


「――ダメよ、ヴィクター! その忌まわしいものに触れないで!」


彼女が叫んだ。一度も聞いたことのない、完全な恐慌の響きで。


飛び退いて、目を見開いたままカプセルを見た。


「海!?なんで止める? これはどういうことだ?」


「あの石は……あの呪わしい石は、私が何者かを完全に知っているのよ」


海の声が、努力で弱まりながら返ってきた。


「どうしてあなたたちがあの牢獄の破片を手に持っているのか、理解できないわ」


「説明してくれ」


アキラが割り込んだ。二人が同じ繋がりを共有していると気づきながら。


「その石について知ってることを教えて!」


「なぜこの知識を持っているのか、正確な理由は分からないの……」


海は認めた。モルガナの古代の記憶の断片が意識に滲み出てるのだろうと、直感した。


「でも、知っている。本当に、あの破片の裏にある真実を聞きたいのなら……あるがままに受け入れなければならないわ。私の言葉を疑わないで。あの中にあるものは、あなたたちが知っていると思っているすべてを否定するのだから」


アキラが一歩前に出て、拳を握り締めた。俺が年齢を考えると驚くほどの確固たる意思で。


「何も疑わない。教えて」


横目であいつを見て、その落ち着きに少し感心した。それからカプセルを見た。


「話してくれ、海。怯まないから」


言葉が出てくる前に、重い沈黙が空間を支配した。そして海の声が俺たちの頭の中に再び響いて、血が凍るような真実を明かした。


「あの石は……普通の鉱物じゃないのよ。かつて人間たちの間に生きていた古代の神を、特別に封じ込めて閉じ込めるために設計された、高密度の神秘的な容器なの」


肺から空気が全部吐き出された気がした。足が一瞬だけ揺らいだ。神? 生徒の鞄の中の石ころに封じられた神? あらゆる論理的な基盤を否定する狂気だ。


「その封印を執行した実体や原始的な集団の正体は分からない」


海は続けた。俺の衝撃にはお構いなしで。


「でも、そこまで極端な手段を取ったなら、単なる気まぐれじゃないわ。その実体が引き起こした行為は、永遠の幽閉を宣告するに値するほど凄惨だった。明滅する青い発光……それはただ、その神の瀕死の神聖な力が外へ滲み出ようとしている残滓。でも……あのエネルギーの署名に、私を深く困惑させる異常がある」


「何がおかしいんですか?」


アキラが、明滅する破片を見つめながら訊いた。


「あの牢獄が放つエネルギーの署名が……人間のそれと、完全に一致しているの」


恐ろしいめまいを感じた。あれを聞いた瞬間、禁忌を侵してる気がした。地球上で生きる存在としての自分の存在感が、神性を人類と繋ぐ何かが存在するという啓示の前で、些細な取るに足らないものに収縮していく気がした。


「理解できないわ」


海が、不満の色を滲ませながら認めた。


「なぜ永遠の牢獄に封じられた、禁じられた神が、人類と同一のエネルギー署名を持っているの? 意味が分からない」


「待って……正確にどんなエネルギーのことですか?」


アキラが眉を寄せながら訊いた。


「魔力のことじゃないですよね?」


「違う。モルガナの記憶の中では、その純粋で霊的なエネルギーの流れは特別な言葉で呼ばれていたの……『霊輝』、と」


海が言った後、深い静寂が残された。


霊輝? 一度も聞いたことがない。


「魔術的な能力を持たない人間が持つ、本質的な生命力よ。私たちも、魔術師も、人類と同じ遺伝的な基盤を共有してる。だから私たちの体内にも、霊輝の潜在的な痕跡がある。だから……神の牢獄がそのエネルギーに反応するのは、絶対的な矛盾なの」


純粋に技術的な疑問が脳内に形成されて、割り込まずにはいられなかった。


「海、これには科学的な厳密さが必要だ」


はっきりと言った。


「あの石の中に神が居るということを、なぜそこまで断言できる? 高位の魔術的生物か、異常な何かじゃないと言える根拠は?」


「なぜなら、モルガナ自身が古代にその過程を目撃していたから、ヴィクター」


海が、厳しいトーンで返した。


「腐敗した神々が引き起こす災禍の故に、そいつらを鉱物の牢獄に封じることだけを専門にしていた原始の人間の一派が存在したの。あの牢獄の幾何学的な署名を、私は知っている。その破片が砕かれて変形していても、内部のマトリクスは見紛うことがない。この地上の界において、あの性質を宿すことができる容器は他にない。ヴィクター。疑わないで」


アキラは青みがかった破片を見つめて、自分が背負っていた危険の大きさを噛み締めていた。


「この石が神の牢獄の砕けた破片だとしたら……なぜ、あの実体はまだ解放されていないんですか? 構造が損傷しているなら、封印は崩壊しているはずじゃ」


「その点については、仮説しか出せない」


海が答えた。


「完全な解放には石そのものの完全な破壊が必要なのかもしれないし、あるいはその実体の目覚めには外部の触媒、封印の残滓を活性化させる生物的な鍵が必要なのかもしれない。牢獄の開放プロトコルは分からない。ただその構造の性質を識別できるだけ」


……何も言えなかった。完全な放心状態だった。単純な安定化装置の変数確認に来たのに、一時間も経たないうちに神学的な規模の陰謀と鉢合わせた。頭がぐるぐるした。


でもアキラは別の筋を追っていた。一歩だけカプセルに近づいて、海を見た。


「海さん、一つだけ確かめたい疑問があります。従姉が、この破片が特定の人物の前で強く反応することを発見して……別の人物には反応しないことも確認しました。その選択性は何が原因なんですか?」


精神的な繋がりが長い沈黙を保ってから、海は正直に答えた。


「ごめんなさい、アキラ……その詳細については、私の知識では及ばないわ。特定の魔力系統に対する牢獄の自動防御メカニズムかもしれないし、あるいは私の理解を超えたもっと深いところと関係があるのかもしれない」


アキラが頭を下げて、具体的な答えがないことへの明確な失望を見せた。肩が落ちた。俺は、ガキの手の中で明滅する青い破片をじっと見つめてた。俺のエンジニアの脳が、最初の衝撃を脱ぎ捨てて、純粋に実用的な周波数で動き始めた。


あの石が神の残留エネルギーを宿していて……人間と生物的に互換性のある霊的エネルギーの流れを持っているとしたら……なんで俺が怖がらないといけない? なぜその数学的な異常を利用しない?


圧倒感は引いて、冷たく、計算された科学的野心の奔流に変わった。アキラに一歩近づいて、青い光から目を離せないまま。


「海……」


俺の声のトーンが、アキラを顔を上げさせた。


「そのエネルギーが俺たちと遺伝的な潜在的互換性を持つなら……抽出する技術的な可能性は? ルーン的な金具でその『霊輝』を導管化できるか?」


「それについての実証データは持っていないわ、ヴィクター」


海が、躊躇いながら言った。


「実現可能かもしれないし……ラボ全体を分解するほどの過負荷を引き起こすかもしれない。開放プロトコルを教えることはできない、ただ性質を識別できるだけなの」


「でも、数学的確率は存在する」


畳み掛けた。笑みが唇に広がり始めながら。


「じゃあこれを聞く。あの石のエネルギー署名を使って、お前のカプセルの流れを安定させて、そこから一度で全部出す、その可能性はあるか?」


海の反応は即座で、完全な恐慌が込められていた。


「頭でもおかしくなったの、ヴィクター!? 禁じられた神の力で生命維持を供給しようとしてるの!?」


答えなかった。耳障りで壊れたような笑い声が喉から飛び出て、ラボの金属の壁に高く響き渡った。純粋な、絶対的な、祝福された安堵の笑いだった。


運命は、このうえない喜劇の天才だ。何週間も機械のために純粋で安定した十分なエネルギー源を探し続けて……エンディミオンの生徒が学校の鞄で持ってきた。


屈んで、アキラと目の高さを合わせた。顔が強張っていて、俺を精神病院送りの狂人として見ていた。肩に手を置いて、耳から耳まで笑顔で言った。


「この場所を踏み荒らしに来てくれたことに、無限に感謝するよ、アキラ」


心から礼を言った。


「お前自身の悪魔を抱えてて、ただのエンジニアの俺には石の謎を解いてやれる力はないかもしれない……でも人生のこの馬鹿げた偶然が、必要だった最後のピースを持ってきてくれた。ありがとう」


アキラが数回瞬きして、突然の温度変化に完全に打ちのめされていた。


「ど、どういたしまして……?」と、ぎこちなく返した。


「好きなだけここを嗅ぎ回ってくれ」


付け加えながら、立ち上がってジャケットを直した。


「役に立つ蓮次郎の設計図があったら持ってけ。リディアでも春花でも誰でも、話したい奴に話してくれ。俺はもう、その情報をどう使おうと一切構わない。なぜなら俺は、俺自身の答えをやっと見つけたから」


カプセルに向いて、揺るぎない決意で海の輪郭を見た。


「すぐ戻ってくる、海。そしてお前をその閉じ込めから引き出す機械を持ってくる。確実にそうする」


海は精神的な返事を寄越さなかった。俺が実行しようとしている狂気を消化していた。踵を返して大急ぎで出発しようとしたら……扉の敷居で心臓が一瞬止まった。


マーカスが框に腕を組んで凭れて、俺の血を凍らせる何とも言えない視線でこっちを見ていた。


「マーカス……」


思わず一歩退いた。


「いつからそこに突っ立ってたんだ?」


「アキラが自分の波乱万丈な冒険を、我々の仲間についても交えて語り始めた、まさにその瞬間からだ」


マーカスが、穏やかだが危険なほど深みのある声で答えた。


鳥肌が立った。本能的に、アキラの前に出た。真剣な顔でマーカスを見た。


「このガキに手を出すな、マーカス。自分なりの答えを探してるだけだ。俺たちのラボの件とは関係ない」


マーカスがゆっくりと俺の方へ歩いてきた。俺の言葉を無視して、横に立ち止まって、重い手を俺の肩に乗せた。反論を許さない力で、ぐっと押さえた。


「どんな怪物だと思ってるんだ、俺のことを、ヴィクター?」


マーカスが、微妙だが冷たい笑みを浮かべて言った。


「当然、坊やには一切危害を加えない。でも、彼と俺の間には、彼が協力した人たちについて、長い会話が必要なのは明らかだ」


マーカスの視線がアキラへ移って、鷹のような目を向けた。


「アキラ、俺の友人ヴィクターを少し連れていく。ここで待っていろ。この部屋にあるものには何も触れるな。俺は今から、奴と二人だけで話さなければならない重要なことがある」


返事をする間も与えられないまま、マーカスが俺をしっかりと廊下に押し出して、アキラに一言も聞こえないように扉を閉めた。


「そんな大げさな話があるのか、マーカス?」


扉が閉じた途端に、腕を組んだ。


マーカスが重い息を吐いて、廊下の壁に背中を預けた。


「黒木への尋問は、上層部が望む進展が出ていない」


話し始めた。天井を見上げながら。


「でも、もう少しでいけそうだ。俺たちは話してる……互いのこと。過去のこと。こんな混乱が始まる前の、あの頃がどんなだったかを」


戸惑いとストレートな心配が入り混じった目で見た。


「厳格な尋問の代わりに、黒木と旧友みたいに公園で雑談してたってことか? 本当に妙な奴だな、マーカスは」


「上の連中がまもなく大幅に方針を転換するからこそ話している」


マーカスは俺のコメントを無視して続けた。


「上の連中はもう黒木には関心がない。奴はただ、真実を覆い隠す布だと分かった。本当の責任者から俺たちを引き離すための駒だった」


「なんでそれを俺に言う? 俺はただのエンジニアだが」


「お前なら、この情報を扱えると知ってるから。お前にはお前の繋がりがあって、俺には俺の繋がりがある」


マーカスが、裏の意図が込もった視線で俺を見ながら答えた。


すぐ分かった。マーカスは、この情報を楓へ非公式に届けるために俺に渡してた。直接手を汚さずに駒を動かす彼なりのやり方だ。


「もう一つ、俺をずっと悩ませていることがある」


マーカスが付け加えた。そしてはじめて、本物の恐れの滲みを声に感じた。


「アカデミーへの攻撃以来、動きが一つもない。レオは完全な謎だ。次がどこから来るか、誰にも予測できない。その静止が一番怖い。しかし、エンディミオン内の侵入者と話した生徒の件が、正式に俺に割り当てられた。龍牙・ドラゴンズベインという名の生徒だ」


眉を寄せた。本当に訳が分からなかった。


「ドラゴンズベイン一族の人間がレオの仲間と関与? ドラゴンズベイン一族は何年も前から、厳しい制限と厳重な監視下に置かれてる。そのルーツのガキが、どうやってそんな離れ業を?」


マーカスがすぐに答えて、その龍牙に関する経緯と詳細を、簡潔だが的確に説明した。俺は首の後ろに手を走らせて、圧倒される感覚を覚えた。


今日は間違いなく、一番多くの機密情報と馬鹿げた啓示を耳にした日だ。誰でも息が詰まるような話の数々。でも俺は元々、知識を吸収する海綿みたいな性質だ。世界の見えない糸の動き方を知ることは、怖がるどころか、唇にかすかな笑みを浮かばせた。


マーカスがそのしぐさに気づいて、一方の眉を上げた。


「何がそんなにおかしい、ヴィクター?」


「特に何も」


ジャケットを直しながら答えた。


「でも、この情報の奔流は俺に大いに有益だった。心配するな、俺の伝手がサポートに動けるよう、細部まで伝える。ただ、深刻な時間の問題がある。今すぐラボに戻らなきゃならない」


「そんなに早く?」


「海をカプセルから解放する手段をやっと見つけた」


誇りを込めて宣言した。


「現在の技術で彼女の意識をモルガナから切り離せるかどうかは分からない。でも、身体を壊さずに生命維持から取り出す、数学的・魔術的な明確なビジョンがある」


マーカスが目を見開いて、本物の喜びを見せた。


「それは素晴らしいニュースだ、ヴィクター」


振り返って扉を開けて、メインチェンバーに戻った。アキラはまったく同じ場所に立ったまま、俺たちの戻りをおとなしく待ちながら辺りを見回していた。真正面から近づいた。敵意は全部、消えていた。


「アキラ。その石が必要だ、機械のために」


少年は即座に一歩引いて、鞄を胸に抱えた。


「……それは、渡せません」


「お願いだ」


踏み込みながら言った。


「カプセルの中の女の子を救うためだ。海をあの閉じ込めから取り出すのに、そのエネルギー源が必要なんだ。ぎりぎりのところまで、時間がない」


アキラが視線をカプセルへ向けて、液体の中に沈む海の動かない体を見た。顔に深い迷いが映し出されて、内側で葛藤が渦巻いていたが……最終的に、首を横に振った。


「本当に申し訳ないんですが……渡せません。この石を何があっても守るのが、俺の責務です」


力ずくで奪うつもりはなかった。このガキはもう十分すぎるほど経験してきた。でも現実問題、あの鉱物が絶対に必要だ。沈黙が三人の間で、地下ラボの真ん中で、重くよどんだ。


「石の一部だけ欠けさせようとしたら、どうだ?」


マーカスが唐突に言って、扉口から完全に自然なトーンで緊張を破った。


アキラと俺が目を合わせた。沈黙の中で。マーカスの案は、圧倒的な論理を持っていた。安定化装置には完全なマトリクスは必要ない。純粋なエネルギー署名のサンプルだけで十分だ。少年がその選択肢を秤にかけて、少し間を置いてから、かすかに頷いた。


蓮次郎の棚に積まれた道具箱の中を急いで漁った。キャリパーを幾つか退かすと、魔力フィラメントの鍛造に使う小さな精密ハンマーが出てきた。アキラが明滅する鉱物を鞄から細心の注意で取り出して、中央の金属テーブルに置いた。青い輝きが力強く脈打ち続けていた。横に立ち位置を取って、結晶の自然な亀裂を計算して、外科医の技術精度で、ハンマーを正確に一打ちした。乾いたパキっという音と共に、小さな破片が剥がれた。母体から切り離されても、その小さな欠片は電気的な強度で輝き続けていた。機械のコアを調整するには、十分すぎる量だ。


破片を丁寧にコートの内ポケットにしまって、ハンマーをテーブルに置いた。


「これで十分だ。ありがとう、アキラ」


荷物を肩に掛けて、マーカスに短く頷いて別れを告げた。グリムストーン邸のラボに、今すぐ戻らなきゃならない。ザックと残りの助手たちが最終組み立てフェーズを待っていた。出口へ向かいながら、何ヶ月も完全に失くしたと思っていた温かみを胸に感じた。


海の未来も、自分自身のこれからも、そしてずっと探し続けていた答えも……やっと、この手の届くところにある。

――終わりだと思っていた。


けれど、


別れの先には、


新しい始まりが待っている。


過去と向き合い、


許すことで、


人は前へ進める。


次回――


再会


そして、


新たな任務が、


マーカスを待っている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ