天才の否定と肯定
奇跡とは、
最初から奇跡として生まれるものではない。
誰にも理解されず、
誰にも信じられず、
それでも静かに積み重ねられた時間が、
やがて"奇跡"と呼ばれる。
その小さな変化は、
まだ誰も気づいていない未来へと繋がっていく。
レースのカーテン越しに朝の光が差し込んで、マーガレットと蝶々を刺繍した掛け布団の上に、ふるえるような影を落としていた。何度か瞬きをして、夢と現の境界線でまだ漂いながら、ようやく身を起こした瞬間――目に入ったのは、リリウムだった。
机の前に座り、脚を組んで、小さな磁器の手で一冊の本を広げている。普通の本ではなかった。棚の一番下に置いてある魔導書の中の一冊、魔力の導き方の基礎を説いているもので……リリウムはそのページをゆっくりとめくっていた。不器用ではなく、集中していた。
「おはようございます、エレノア。よく眠れましたか?」
――凍りついた。
途切れがなかった。つかえがなかった。声は変わらず小さく、子供のようだったけれど、言葉が、流れていた。以前のように文字と文字の間に断絶がなく、まるでずっとそうだったかのように、ひとつながりの文章として口から出てきた。言葉を覚えたばかりの幼子が、気づけば完全な文を話しているような、そんな跳躍が。
「リリウム……どうして……」
「わからないわ」
リリウムは言って、ぼんやりした読者が本を閉じるかのような仕草で、静かに表紙を合わせた。
「好奇心を感じるの。とても強く。もっと知りたい。それだけよ」
――それだけ。好奇心。
心の中でその言葉を繰り返した。それだけ、と。
私も幼い頃、好奇心が強かった。知りたくてたまらなくて、魔導書を読みふけって、眠れない夜がいくつあったか分からない。でもリリウムは人間ではなく、人形で――人形が好奇心を持つことなど、あり得るの? それとも、好奇心というものは……伝わるものなの?
答えは出なかった。でも、ずっと信じてきた直感が、静かに囁いた。今日は答えを求めなくていい、と。今日やるべきことは別にある、と。
ベッドから起き上がりながら、胸の中に喜びと戸惑いが混ざり合っているのを感じていた。直感は深く掘り下げるなと言っている。この奇跡をあるがままに受け取れ、と。でも頭のどこかで、いつも自分を他の誰かと比べてしまうあの部分が、問いかけを止めなかった。何が変わったの? 青いエネルギーかしら。何日もそれに晒されてきたことで、何かが……あるいは、単純に。成長したのかもしれない。
シンプルな青いローブをまとい、リリウムを腕に抱いて、屋敷を出た。車が待っていた。魔術師たちの病院も、待っていた。
春花はまだ床に就いているはずで、会いに行かなければという気持ちが、抑えられなかった。直感がそう言っていたから。ベアトリクスに廊下で鉢合わせするかもしれないという恐怖があっても、その声には逆らえなかった。
病院はいつもより静かだった。魔術師たちの視線が影のようにつきまとってきたけれど、気にしないようにした。階段を上り、廊下を歩き、春花の部屋の扉の前に立ったとき――中から声が聞こえた。
春花だけじゃなかった。穏やかな、低い音楽のように漂う声が、もう一人分、室内に満ちていた。
ノックもせずに扉を開けた。
春花はベッドの上に座り、背を床頭台にもたせかけて、傍らに立つ男を見つめていた。背の高い、濃い褐色の髪の男。黒い太縁のフレームの眼鏡が、窓の光を反射して、その目を隠していた。
――見覚えがあった。
数日前、この同じ扉から出てきたのを見た。そのとき直感が告げたことを、今でも覚えている。あの人はマジクス純粋だ。
「お邪魔してごめんなさいね」
言いながら、脚がかすかに震えているのを隠して、しっかりした足取りで室内へ入った。
「私はエレノア・ウィンターフォールよ。春花さんのお見舞いに来たの」
「気にしないで」
春花は言った。前に会ったときより、ずっと落ち着いた声だった。
「覚えているわ。あなたのことも、あなたの人形のことも。私に話しかけてくれた子」
リリウムが腕の中で、小さく手を振った。春花はその仕草に、かすかに微笑んだ。
「……もう良くなった?」
「ええ。良くなりました。あの日のことは申し訳なかったです。あなたが危害を加えに来たと思っていました。正常な判断ができていなかった」
首を横に振った。
「謝らなくていいわ。あんな目に遭わされたなら、私でも怖いもの」
男が立ち上がった。立つと、思っていたよりもずっと背が高くて、その存在感が部屋の空気を変えた。重くなった、というより、密度が上がった、という感じがした。
「初めまして、だね。私はアザエルというんだよ」
穏やかな、父親が迷子の子を迎えるような声だった。
「春花の保護者のようなものだよ。ある意味では、父親と言ってもいいかな」
――何かが、ひびを入れた。
痛みではなかった。痛みとはまた違う、奇妙な感覚。持っていると知らなかった何かを、静かに手から取られたような。
……彼女の「父親」。彼が、もう、ここにいる。
自分の直感がずっと言っていた。春花を守りたい、と。抱きしめてやりたい、と。誰もいなかった場所に、いたかった、と。でも彼は先にいた。彼はもうここにいる。
笑顔を作った。嘘の笑顔ではなかったけれど、目の奥まで届いてはいなかった。
「……傍にいてくれる人がいると聞いて、良かったわ」
言って、窓際に残っていた唯一の椅子に腰を下ろした。
「春花さんを助けた魔術師の話は耳にしていたよ、エレノア・ウィンターフォール。人形に言葉を与えた、という」
アザエルが微笑んだ。その微笑みは温かく、どこか父親のそれだった。
「……それから、エレノアさん。本当に、あの日のことは申し訳なかったね。あなたを脅威と思ったのも無理はなかったんだから」
「いいえ、大丈夫です、本当に何も起こっていません、春花さん……」
思わず笑ってしまった。力のない笑いだったけれど。
「初めて会う人に脅威だと思われるのは、慣れているわ。私の顔が怖いのかもしれない」
「顔ではないんだよ」
アザエルが言った。その声に、何か分かっているような響きがあって、少し落ち着かなくなった。
「君の存在感の問題だよ。君の中にある何かを、周りの人間は説明できない。だから、怖いんだよ」
どう返せばいいか分からなかった。春花を見た。彼女は静かに頷いた。リリウムを見た。リリウムは紫の硝子の目で、じっとアザエルを観察していた。
「なぜ来たのか、聞いてもいいですか」
春花が言った。
「体調確認だけではないと思って」
「直感が来いって言ったから」
正直に答えた。
「私は直感に逆らわないの」
アザエルが長い間、こちらを見ていた。眼鏡の奥の目が見えなかった。でも見えなくても、こちらを読んでいることは分かった。本を読んでいるような目だった。しかも、内容をすでに知っている本を。
「その人形だけど」
アザエルが言い、顎のわずかな動きでリリウムを示した。
「有名な創造物だね。言葉を覚えた人形。エレノアさん、君は今の時代で最も才能のある霊的魔術師だと聞いているよ。誰も達せなかったことをやり遂げた人、として」
「違うわ」
すぐに首を振った。
「私は何もしていない。リリウムが勝手に話し始めただけよ。私は何もしていないの」
「それこそが天才の言葉だよ」
アザエルは言い、その声に嘲りは一切なく、ただ穏やかな共犯者のような色があった。
「天才というのは自分がどうやっているか分からない。ただやる。それから何年もかけて、その方法を理解しようとする。でも答えはずっとずっと、自分の中にあったんだよ」
反論しようとしたけれど、春花が先に口を開いた。
「本当のことです」
春花の声は、昔の確信を少し取り戻したようだった。
「私も自分を天才だと思っています。でも今の私は、長年の研究と、失敗と、眠れない夜の積み重ねです。あなたは何をしたか分からないまま、それをやり遂げた。それは、どんな努力よりも純粋な才能だと思う」
天才だなんて思えない。そう心の中で繰り返した。リリウムが腕の中でわずかに身じろぎした。そう見られたくない。そういう目で見られたくない。ただ普通に、私のままで見てほしいだけなのに。
アザエルが手を上げて、静かに場を制した。
「少し話させてほしいな、エレノアさん。天才というものについて」
頷いた。断れる気がしなかった。
「マジクスの歴史の中で、力だけでなく、見通す力を持った者たちがいたんだよ。彼らがいたから、魔術は進化した。彼らがいたから、今日私たちが持っているものがある」
「知っています。エンディミオンの図書館で読んだことがあるわ。偉大な魔術師たち、革新者たち」
「では分かるね」
アザエルが言い、わずかに前に傾いた。
「なぜ君が、その系譜に連ならないと断言できるんだろう? 誰もできなかったことをやり遂げた君が。説明できないのにやれてしまう君が」
心臓が速くなった。この人は知っている。あの感覚のことを。何かに動かされるような、あの感覚を。
「大丈夫だよ」
アザエルは言った。考えていることを読んだかのように。
「一つだけ覚えていてほしいんだよ。天才とは与えられる称号ではない。状態なんだよ。そして君は、その状態にある」
「エレノアさん」
春花が続けた。
「天才に数値的な基準はない。でも、アザエルがそう言ったのは、私自身が天才だから。同じものを見たからだと思う」
言葉が来なかった。リリウムを強く抱き寄せて、床を見つめた。アザエルと春花の言葉が、乾いた土に水が染み込むように、頭の中に落ちていった。
「それから」
アザエルが言い、その声が少し低く、重くなった。影のようなものが、その表情にさっと過ぎった。
「……なぜそんなことを言うんですか、アザエルさん」
「聞いたことがあるかもしれないけれど」
アザエルは静かに言い始めた。
「魔術と魔法の全ての限界を突き破った、五人のマジクスがいる。ただ強い、というだけではない。概念的な異常体だよ。それぞれが魔法の極端な方向性を体現している。私たちは彼らを『超越魔法使い』と呼んでいるんだよ」
背筋に何かが走った。エンディミオンの古い書物で、その言葉を見たことがあった。いつも伝説だと思っていた。
「伝説ではないよ」
アザエルは言い、その声に疑いを挟む余地はなかった。
「実在するんだよ」
指を一本立てた。
「アエテリオン、カレイドスの観察者。複数の現実を見通し、時間軸の分岐を認識し、未来のあらゆる可能性を見ることができる。すでに全ての結末を見た、とも言われているんだよ」
二本目。
「カエルム・アストラル、天蓋の王。星術魔法を支配し、天体を動かし、高度な魔法の符号を書き換え、巨大な規模で現象を変える」
眼鏡の位置を直して、三本目。
「エイドン・ルクス、秘術符号の建築家。自律的な魔法システムを構築し、複雑な魔法の人工物を創り、魔力核を生み出す。現代の魔法技術の多くは、間接的に彼の理論の末裔なんだよ」
四本目。まっすぐこちらを見ながら。
「ナール・ヴェルクリス、不死の腐敗者。回復不能な魔力汚染を生き延びた。その存在自体が周囲の環境を変質させ、禁じられた魔法を自壊せず使うことができる。その肉体はもはや通常の生体の法則に従っていない。直視するだけで魔法的な汚染を受けるとも言われている」
沈黙があった。言葉の重さが空気に降り積もるのを、ただ感じていた。
「そして五人目は、ヴェイル・ノクト、虚空の秘術師だよ」
アザエルは静かに続けた。
「その力は魔法の否定だよ。呪文の打ち消し、魔法円の破壊、魔力の流れの遮断、超自然的な現象の沈黙化。他の全ての超越者に対する自然の対極。その存在がそこにあるだけで、魔法は『死ぬ』んだよ」
冷たいものが、背中を伝った。
「……それは、ただの伝説です。実在する証拠がない」
「証拠がない、というのは認めよう」
アザエルは言った。
「でも実在しないという証拠もない。そして最も重要なことを言うと、エレノアさん。彼らは、それぞれの形で天才だったんだよ。限界を超え、そのままでは収まらないものになった天才たちが。でも君はそこまでいく必要はない。概念的な異常体になる必要はない。ただ、自分が特別であることを恐れないでいてくれれば、それでいいんだよ」
唇を噛んだ。アザエルが正しいのか、それとも私に何かを信じ込ませようとしているのか。分からなかった。
「周りを見てほしいな、エレノアさん」
アザエルは言い、顎のわずかな動きがリリウムを示した。
「リリウムさんは偶然ではない。ただの創造物ではないよ。何か別のものだよ。そのことに君だけが名前をつけられる。それを理解したとき、きっと本当の意味で創ることを始められるんだよ」
立ち上がった。なぜかわからない不快感が、胸の中に広がっていた。春花とアザエルに、どこか力の入りすぎたお辞儀をして、部屋を出た。足が速くなった。
――なぜ来た、と自分で言ったのだったかしら。
* * *
翌日になっても、アザエルの言葉が頭を離れなかった。あれほど話した後で、こんなに混乱したことはなかった。マジクス純粋であることと、関係があるのかもしれない。あの奇妙な感覚が、今でも残っていた。でも考えている暇はなかった。アキラとアリズに約束していたから。
リリウムを抱いてエンディミオンへ飛び、廊下を歩き回った。教室にいなかった。図書館にもいなかった。食堂にもいなかった。ふとアキラの部屋に行ってみようかと思ったが、その前に裏の庭へ足が向いた。
いた。
古い木の下に二人で座り、脚を組んで、草の上に教科書を広げていた。アキラが何かを説明していて、アリズが珍しく静かに聞いていた。近づくと、二人が顔を上げた。
「エレノアさん!」
アリズが立ち上がった。その弾み方は、いつも感情を体全体で表現してしまう子らしかった。
「来てくれたんだわよ!」
「約束したもの。手伝うって言ったなら手伝うわ」
草の上に腰を下ろした。リリウムがひざに収まった。アシュフォードの研究所への訪問のこと、石のこと、ザイルとの会話のことを話した。ザイルの名前を出したとき、アリズが口を開けたまま固まった。
「……ちょっと待って、エレノアさんってザイルお爺さんと話したの?」
「ええ。何か問題あったかしら?」
アキラとアリズが目を見合わせた。二人だけが分かるような、あの種の視線だった。
「……たぶん今まで一度もそれについて言及したことはないと思いますが……」
アキラが静かに、少し申し訳なさそうに言った。
「ザイルは、僕たちのおじいさんです……」
白くなった。
二人を見た。リリウムを見た。また二人を見た。
「……おじい、さん? ザイルが、二人の……!?」
一瞬の沈黙。それから、三人で笑った。張り詰めていた何かが、風に吹かれた雲のようにほぐれた。
「なるほど」
ようやく落ち着いて言った。
「それは分かった。研究所に近づけない理由も分かった。あなたたちが来たら、すぐに顔が割れるもの」
計画を話した。単純に見えて、精密な計画だった。訪問者用カードを使って研究所に戻り、共同研究への関心を装う。その間にリリウム――どんなポケットにも収まる彼女が――石の保管室まで潜り込んで、封印を解除して持ち出す。アキラとアリズは外から警備魔術師の動きを見張って、何かあればすぐ伝える。
「そのためには」
言って、二人を見た。
「一人で飛べないといけないわ。この前みたいに私の風魔術で運んでいては、毎回は使えない。自分の力でできないと」
二人が互いに見て、頷いた。
「やる」とアキラが言った。
「当然でしょ、やるに決まってるじゃない」とアリズが言った。
その日から始めた。私はアキラとアリズに、風の魔力を足の裏へ集中させる術式を教えていた。空を掴む感覚を身につけるまで、思っていた以上に時間がかかった。何度も転んで、笑って、頭を打った。疲れ果てて草の上に倒れ込み、並んで空を見上げることもあった。
私は木の根元に背を預け、魔導書を脇に置いたまま、青いエネルギーを収めた小箱を取り出して、そっと開いた。
エネルギーは相変わらず、ゆっくりと脈打っていた。
「それって……石のエネルギーの一部ですか?」
アキラが草の上から首だけ持ち上げて聞いた。
「そう。単純な魔力吸収術式で引き出したんだけど、消えないのよ。ザイルによれば、消えているはずなのに」
アリズが身を起こし、こちらを見て言ったわよ。
「その箱、見てもいいですか?」
微笑んで、ためらうことなく青いエネルギーの小箱を差し出したのよ。
アリズは両手でそっと受け取り、指先が震えていた。アキラが彼女の肩に手を置いた。
「大丈夫。開けてみて」
アリズがゆっくりと蓋を取った。青い光が二人の顔を照らし、不思議な輝きで染めた。アリズが手をそっと差し伸べた。内側に触れようとした、その指先が箱の縁に触れた瞬間――
エネルギーが、明滅した。
息を呑んだ。
手だった。青い光の手が、アリズに向かって伸びた。一瞬だけ。でも確かに見えた。
「何……!?」
アリズが手を引いて、呼吸が乱れた。
「光が、明滅したわよ」
「どうしたの?」
アキラが眉を寄せた。
「何か起きた?」
「……反応した気がした」
アリズが言った。
「私に、反応したような」
何も言えなかった。あの光の手の形が、目の裏に焼き付いていた。
なぜ私にしか見えなかったの?
* * *
三日間の練習が終わった。アキラもアリズも、基礎は掴んでいた。今日、石を盗む。
朝は灰色で、雲が低く垂れ込めていた。早めに起きて、頭の中で段取りを繰り返した。手紙が届いていた。陰陽師たちとの戦争に関する知らせらしかったけれど、今は読む気になれなかった。そのまま玄関へ向かおうとして、使用人が立ちはだかった。
「エレノア様、お客様がいらしています。ベアトリクス・クロスが、どうしてもとおっしゃって……」
血の気が引いた。今日じゃなくていい。今日だけは。
「会わないと伝えなさい」
「伝えたのですが……かなり、強くおっしゃっていて」
息をついて、応接間へ歩いた。
ベアトリクスがいた。立っていた。周囲に十数人の使用人魔術師たちが杖を向けていたが、彼女は少しも動じていなかった。微笑んでいた。普通の笑顔ではなかった。笑みというより、歪みだった。その目に宿る光も、自然のものではなかった。
「エレノア」
彼女は言った。久しぶりに会う親友に声をかけるような、そんな口調で。
「ようやくお目にかかれましたわ。ご連絡しても一向にお返事がなくて、何かあったのかしら、と心配していたんですの」
「……スマートフォンは使っていないから、あなたの言う連絡が何のことか分からないわ」
ベアトリクスは何も言わなかった。ただ笑ったまま、こちらを見ていた。
「話すことは何もないわ。帰って」
「でも、話すことがございますわ」
ベアトリクスは言い、一歩前に進んだ。使用人たちが緊張した。彼女はそれを空気のように無視した。
「計画のことでございます。器のことです。魂のことです。エレノア、ずっと考えておりましたの。研究もしてまいりました。やり方が見えてきたんですの。貴方様のお力がなくとも、進められます」
「魂を盗むことに協力しません」
「盗むのではありませんの」
ベアトリクスの声が速くなった。高くなった。どこか、聞いていて落ち着かない色があった。
「再利用でございます。死んだ魂は散って、消えて、何にもなりません。でも私たちが磁器の体を与えれば、新しい命として、新しい人生として、目を覚ます。美しいとお思いになりませんか。神聖とさえ言えませんか」
「それは冒涜よ」
静かに言った。
「命への冒涜」
ベアトリクスが長い間、黙ってこちらを見た。笑顔が消えた。顔が白くなった。目が落ち窪んで見えた。
「では」
彼女は言った。もはや囁きではなく、しゃがれた声だった。
「今日から、私たちは敵同士ですわ。構いませんの。一人でやります。誰の手も借りなくて。私の器たちが命を持ったとき、何百もの人の魂が磁器の体の中で目を覚ましたとき――あの日あなたがここにいたことを思い出しますわ。大きなことに加われた日に、断ったことを。そのとき、後悔なさるかしら、エレノア」
振り返って、歩いた。誰も止めなかった。誰も止められなかった。
ベアトリクスは来たときと同じように、ただ去った。後に残ったのは重い、不快な沈黙と、何かが近づいているという確信だけだった。
彼女が出て行った場所を、しばらく見つめていた。直感が言っていた。まずいことになる、と。
でも今は、それを考えていられない。
リリウムを抱き上げた。車が待っている。石を盗みに行かなければ。
――運命は、時として選ぶ暇さえ与えない。
守りたいもの。
奪われたくないもの。
その想いが交差した瞬間、
止まっていた歯車は激しく動き始める。
次回――
砕けた石、託された欠片。
失われたものは、
決して一つではない。




