第98話 書く場所は一つでいい
術負け病の王都には、毎日同じ時刻に同じ種類の報せが流れるようになっていた。
どの町区で増えたか。
どの地方で落ち着いたか。
配給所の開き方は変わるか。
学校や役所はどこまで動くか。
人々はそれを見る。
不安を増やすためではない。
明日の動き方を決めるためだ。
その朝、私の遠話鏡の横で魔文の着信札が光った。
差出人は王都報導社。
若い記者の名が添えてある。
内容は短く、疲れていた。
毎日の疫病関連の地域別報せが、現場の負担で崩壊寸前。
地方支局から数字を集め、王都でまとめ、図板工房が夕刻報せ用の報せ図板を作っている。
だが、転記と確認が追いつかない。
数字が錯綜する。
締切前に魔文が飛び交い、誰も何が正しいか分からなくなる。
最後に、こうあった。
対面は避けたい。
まず魔法映像会議で相談できないか。
正しい。
この時勢で、最初から現地に呼ばないのは正しい。
人類は追い詰められると雑になるが、この人はまだ踏みとどまっている。
———
魔法映像会議の鏡面には、三つの場所が映った。
王都報導社の編集室。
地方支局の一室。
図板工房。
編集室は、静かではなかった。
人の数は絞っているはずなのに、魔文の着信札が机に並び、控え帳が積まれ、遠話鏡の呼び出し音が短く鳴っている。
若い記者が頭を下げた。
「突然すみません」
「状況を見せてください」
「はい」
まず地方支局が映った。
支局員が紙を見ながら、今日の数字を読み上げる。
王都側の担当者がそれを控え帳へ書き取る。
別の担当者が、控え帳から一覧札へ清書する。
さらに、その一覧札を図板工房の職人が見て、報せ図板へ数字を写す。
数字は一つだ。
だが、手は多い。
口から耳へ。
耳から紙へ。
紙から一覧札へ。
一覧札から図板へ。
そのたびに少し遅れ、少し揺れ、少し間違う。
締切前になると、鏡面の空気が変わった。
誰かが言う。
「北三町区の数字、昨日のままでは」
「西支局から訂正の魔文が来ています」
「どの数字が最新ですか」
「図板工房にはもう古い方を渡しました」
「待ってください、こちらの控えと違います」
走れない時勢なのに、気配だけが走っている。
最悪だ。
———
私はしばらく黙って見た。
相手を責める材料を探していたわけではない。
流れを見ていた。
若い記者が苦い顔で言った。
「みんな、かなり頑張っています」
「分かります」
「怠けている者はいません」
「分かります」
むしろ、頑張りすぎている。
頑張りで隙間を埋める設計は、長引くと人を削る。
「問題は努力ではありません」
私は表示札を出した。
地方支局
控え帳
一覧札
図板工房
報せ図板
その間に矢印を引く。
「同じ数字を、何度も別の手に渡しています」
矢印の上に、聞く、書く、写す、整える、と書く。
「一つの数が、聞かれ、書かれ、写され、整えられるたびに遅くなります。間違える場所も増えます」
図板工房の職人が言った。
「では、こちらで地方支局に直接聞けば」
「聞く手が増えるだけです」
「では、一覧札をもっと丁寧に」
「丁寧にしても、写す回数は減りません」
若い記者が、表示札の矢印を見ていた。
「流れが悪い」
「はい」
言い方は冷たいが、現場の人を責めるよりずっと正確だ。
人の性格ではなく、流れを直す。
その方が、たいてい効く。
———
会議を終えたあと、私はリゼに事情を話した。
リゼは報導社には同行しない。
この時勢で、不要な同行はしない方がいい。
家の台所で、鍋の湯気越しに聞いていた。
「料理の注文を、受ける人、書く人、運ぶ人、読み上げる人で全部分けてるみたいね」
「かなり近い」
「しかも、途中で『やっぱり肉が一つ減った』とか『隣の卓と間違えた』とか言い出す」
「近い」
「厨房は怒るわね」
「図板工房が怒っていた」
リゼは椀を置いた。
「注文を書く場所を一つにすればいいんじゃないの」
「そう」
「受けた人がそこに書いて、厨房も配膳もそこを見る」
「そういうことだ」
私は頷いた。
「毎日決まった形で出すものを、毎日最初から手で作るのは無駄だ。書く場所は一つでいい」
「使う先は多くても」
「書く場所は一つ」
リゼは少し笑った。
「また台所が先に結論を出した」
「かなり出している」
最近、これが多い。
悔しいが、助かる。
———
改善案は単純だった。
単純だが、単純なものほど現場には効く。
各地方支局が、その日の数字を直接書き込む共通集計板を作る。
王都側は、その板を見る。
図板工房も同じ板を見る。
夕刻報せ用の報せ図板の雛形を用意し、共通集計板の数字が自動的に差し込まれるようにする。
人間は、最後の確認と微修正を行う。
数字を運ぶために走らない。
数字を写すために目を擦り減らさない。
若い記者は、魔法映像会議の向こうで半信半疑だった。
「支局が直接書くのですか」
「はい」
「王都で清書しない」
「しません」
「図板工房も同じ板を見る」
「はい」
「それで、図板まで」
「雛形へ差し込みます」
図板工房の職人が腕を組んだ。
「毎日の報せ図板は、形がほとんど同じです。地域名、増減、注意書き、配給所の開き方」
「なら、雛形にできます」
「でも、見せ方の調整は要ります」
「そこに時間を使ってください」
職人は黙った。
少しだけ、表情が変わった。
数字を写す人ではなく、伝わる形を作る人に戻れる。
その可能性に気づいた顔だった。
———
それでも、一度だけ現地確認は必要だと判断した。
鏡越しでは、机の並びや札の置き場所、誰がどこで詰まるかが見えきらない。
ただし短時間。
必要最小限。
リゼは同行しない。
「本当に行くの」
「一度だけ」
「長居しない」
「しない」
「触れ札は」
「持った」
「戻ったら手を洗う」
「分かった」
恋人というより、現場へ出る前の確認係である。
だが、こういう確認は大事だ。
人類は慣れると手順を飛ばす。
王都報導社の入口では、薄い薬草水の霧を浴び、簡単な体調確認を受けた。
触れ札も確認された。
中へ入る人数は絞られている。
編集室の窓は開き、机の間には布紐が張られていた。
現場は、鏡越しで見るより疲れていた。
控え帳が多すぎる。
一覧札が多すぎる。
同じ数字が、少しずつ違う字で何か所にも書かれている。
私は一枚ずつ見た。
北三町区。
西支局。
港町。
増えた数。
落ち着いた数。
配給所の開き方。
同じ値が、少なくとも四回写っていた。
「やはり入力元を一本化するべきです」
若い記者が、疲れた顔で頷いた。
「明日の夕刻報せで、試せますか」
「試しましょう」
完璧な準備を待っている時間はない。
今日の疲弊は、明日も来る。
なら、明日少しでも減らす。
———
その夜、報導社から新しい魔文が届いた。
共通集計板の枠を作った。
地方支局には、明日の朝から直接入力を頼む。
報せ図板の雛形も、図板工房が仮組みした。
差し込み術はまだ不安定だが、試せる。
私は返信した。
最初から完全を目指さない。
未着とゼロを分ける。
速報と確定を分ける。
締切時刻を決める。
修正が入ったら分かるようにする。
魔文を送り終えると、外は静かだった。
疫病下の夜は、音が少ない。
だが、遠くのどこかで、報導社の灯りはまだ消えていないはずだ。
明日、本当にこれで夕刻報せが回るのか。
数字を運ぶための人の疲れを、少しでも減らせるのか。
答えは、まだ出ていない。




