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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
術負け病編

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第95話 必要な相手だけを結べ

 翌朝の王都は、昨日よりさらに静かだった。

 静けさが深くなったというより、人の我慢が薄くなっている。

 窓を開けた家の中から、遠話鏡に向かって怒る声が聞こえた。

 役所の前には、人ではなく魔文の着信札が積まれている。

 外の役人や商会から届いた文が、受け取り盤の上で次々に札へ写され、未読、返答待ち、差し戻しの印を付けられて山になっていた。

 人を並ばせないために魔文へ逃がした仕事が、今度は札の山として窓口を埋めている。

 誰も集まりたくない。

 だが、仕事は集まってくる。


 王城術務室に着くと、表示札はまだ赤かった。

 内継ぎ盤の周りだけ、光が濁っている。

 悲鳴を色にしたら、たぶんこうなる。


「昨夜より悪いです」


 技術者が言った。

 目の下が黒い。

 寝ていない顔だ。


「台帳が開くまで待たされます。一度切れると最初から。返答も遅い。決裁は止まりかけています」


「原因は増えましたか」


「いいえ。利用者が増えただけです」


「それが十分な原因です」


 人類は「何も変えていないのに壊れた」と言う。

 たいてい、利用人数が変わっている。

 最悪だ。


———

 私は表示札に、昨日の図をもう一度描いた。


外の文書係

外の会計係

外の授業担当

内継ぎ盤

王都内網

文書庫

会計盤

講義盤


 外の全員が内継ぎ盤へ向かう。

 そこから内側へ入る。

 そして、それぞれの目的地へ向かう。


「今の仕組みでは、全員が一度ここへ集まります」


 内継ぎ盤を丸で囲む。


「管理はしやすい。平時なら分かりやすい。ですが、非常時に全員がここへ押し寄せると、ここが詰まります」


 役人が言った。


「では、内継ぎ盤を使わずに内側へ入れるのですか」


「全員を広く内側へ入れる、という発想をやめます」


「やめる」


「文書係は文書庫へ。会計係は会計盤へ。授業担当は講義盤へ。必要な相手だけを、安全に結びます」


 表示札に新しい線を引く。

 外の文書係から文書庫へ。

 外の会計係から会計盤へ。

 授業担当から講義盤へ。

 内継ぎ盤を経由しない線。


「相結び継ぎです」


 部屋が少しざわついた。


「許された相手同士だけが、正しい札を持って互いを確かめる。確かめた相手との間にだけ、安全な継路を直接張る」


 私は線を細く描き直した。


「王都内網の全部へ入れるのではありません。必要な相手とだけ結ぶ」


———

 リゼは遠話鏡越しに参加していた。

 今日も家からだ。

 鏡の中の彼女は、少し眠そうだったが、目は鋭い。


「店の奥にみんなを入れるんじゃなくて、注文する相手だけに小窓を作る感じね」


「近い」


「文書の人は文書の窓。会計の人は会計の窓。厨房まで入れない」


「かなり近い」


「それ、最初からそうすればよかったんじゃないの」


 技術者たちが少し苦い顔をした。

 リゼの直球は、時々かなり刺さる。


「平時は内継ぎ術で足りていました。使う人も少なく、管理も一か所で済みます」


「非常時に勝手口が本入口になった」


「そういうことだ」


「で、今から小窓を急いで作る」


「そう」


 リゼは頷いた。


「全部の窓を一気に作ろうとしたら、また詰まるわね」


「だから、急ぐ業務からです」


 私は表示札の三つに印をつけた。


文書庫

会計盤

講義盤


「まず、止まると社会が困るところから切ります」


———

 導入は、派手ではなかった。

 むしろ地味だった。

 まず、文書係のうち十人だけを選ぶ。

 その十人に、相手を文書庫だけに絞った札を渡す。

 文書庫側にも、その十人だけを受ける札を置く。

 互いに問い札を投げ、応答印を返す。

 合えば、継路が張られる。

 合わなければ、何も開かない。


 次に、会計係。

 会計盤へ触れる者だけ。

 範囲も、必要な台帳だけ。


 次に、講義担当。

 講義盤と学生連絡だけ。


「全員には配らないのですか」


 役人が聞いた。


「配りません」


「不公平では」


「今は、効果の高いところからです。全員へ広く配って失敗すると、また別の混乱になります」


 別の技術者が頷いた。


「まずは重い継ぎを内継ぎ盤から外す」


「はい」


「それで盤の息を戻す」


「はい」


 全部を一気に理想形へ変える。

 言うのは簡単だ。

 だが、社会が壊れかけている時にやることではない。

 今は、血を止める。

 本格的な手術は、そのあとだ。


———

 試験は文書庫から始めた。

 離れた役人が、自宅の小さな術盤から文書庫へ相結び継ぎを張る。

 遠話鏡の向こうで、役人の声が震えていた。


「見えました」


「文書庫だけですね」


「はい。会計盤は見えません」


「それでいいです」


「台帳を開きます」


 少しの沈黙。

 昨日なら、ここで半刻待つ。

 今日は、数呼吸だった。


「開きました」


 術務室に、小さな息が広がった。

 歓声ではない。

 まだ早い。

 だが、確かに空気が軽くなった。


 次は会計盤。

 次は講義盤。

 それぞれ、必要な相手だけを結ぶ。

 内継ぎ盤の赤が、少しずつ橙へ落ちる。

 完全な青にはならない。

 それでも、悲鳴ではなくなった。


「返答が戻りました」


「決裁札、回ります」


「講義盤、入れました」


 現場の声が変わる。

 昨日の「無理です」から、今日の「動きます」へ。

 この差は大きい。


———

 もちろん、問題は出た。

 一人の役人が、文書庫へ入れるのに古い報告棚が見えないと言った。

 確認すると、その棚は別の保管盤に移されていた。

 相手として許していないので、見えない。

 正しい動きだ。

 ただ、仕事としては困る。


「必要なら、相手を追加します」


「全部見えるようにした方が早いのでは」


「それをすると、内継ぎ術と同じ考えに戻ります」


 私は言った。


「誰が何に触れてよいかを、細かく見る。その手間を省くと、楽ですが危うい」


 役人は少し考えた。


「では、この係には古い報告棚も必要です」


「理由を記録してください」


「はい」


 こういう地味な記録が、あとで効く。

 人類はだいたい、あとで見れば分かると思って記録を怠る。

 あとでは分からない。

 絶対に分からない。


 リゼが遠話鏡の向こうで言った。


「鍵束を大きくするんじゃなくて、必要な鍵だけ足すのね」


「そう」


「面倒だけど、家の全部の鍵を全員に配るよりはまし」


「かなりましだ」


———

 昼過ぎには、王都の離れ勤めは少しずつ回り始めた。

 文書係が文書庫を開く。

 会計係が会計盤へ触れる。

 授業担当が講義盤を使う。

 遠話鏡の声はまだ遅れる。

 たまに切れる。

 だが、昨日のように全部が内継ぎ盤の前で詰まる状態ではなくなった。


 王城の重役が、表示札を見て深く息を吐いた。


「これなら働ける」


 その一言に、術務室の技術者たちの肩が少し下がった。

 安心したのだ。

 分かる。

 今は、美しい設計より、働けることが価値になる。


「完全解決ではありません」


 私は言った。


「分かっています」


 重役は頷いた。


「しかし、昨日より息ができる」


「はい」


「まずは十分だ」


 十分。

 非常時の十分は、平時の完璧より強いことがある。


———

 その日の夕方、遠話鏡で短い授業の続きが開かれた。

 学生たちは、昨日より少し慣れていた。

 返事はまだ被る。

 絵も少し止まる。

 だが、笑う余裕がある。


 ルドーが言った。


「今日の結論」


 短い。

 鏡越しでも短い。


「中央に集めすぎるな」


 学生たちが頷く。


「ユウ」


「はい」


「補足」


「はい」


 私は表示札に書いた。


全員を中へ入れるな

必要な相手だけを結べ

許しは細かく見ろ


「相結び継ぎは、内継ぎ盤を捨てる考えではありません。平時の管理や、広く内側へ入る必要がある仕事には、まだ内継ぎ術が使えます」


 線を二種類描く。

 中央へ集める線。

 相手同士を結ぶ線。


「ただ、すべてを中央へ集めると、中央が折れます。今回のように、必要な相手が限られているなら、相手同士を安全に結んだ方が軽い」


 学生が聞いた。


「では、これが理想形ですか」


「いいえ」


 私は首を振った。


「今はこれで十分助かります。ただ、本当は『内に入ったからだいたい信用する』という作り自体がつらい。誰が何に触れてよいかを、もっと細かく見た方がいい」


 遠話鏡の向こうが静かになった。

 少し重い話だ。

 だが、今は触れるだけでいい。

 次の宿題として。


 ルドーが短く言った。


「守りは細かく」


 今日は、それが締めだった。


———

 夜、リゼの家に戻ると、台所の灯りが温かかった。

 外の通りはまだ静かで、遠くで誰かの咳が聞こえた。

 楽しい音ではない。

 だが、鍋の湯気はいつも通り上がっている。

 日常は、こういう小さいものに支えられている。


「今日は、王都が少し息を吹き返したのね」


「少しだけ」


「全部直ったわけじゃない」


「直ってない」


「でも、台所の勝手口に町じゅうを並ばせるのはやめた」


「そう」


「必要な窓を作った」


「そういうことだ」


 リゼは椀を置いた。


「恋人も、全部を一気に見せればいいわけじゃないしね」


「急に何の話だ」


「必要なところから、少しずつでしょ」


 私は少し黙った。

 反論しにくい。

 いや、する必要がない。


「そうだな」


「よろしい」


 リゼは少し笑った。

 遠話鏡越しではない、同じ台所の笑いだった。

 やはり、近くにいる声は遅れない。


———

 灯りを落としたあと、王都内網の図が頭に残っていた。


 内と外を分ける。

 それは分かりやすい。

 守りやすい。

 説明もしやすい。


 だが、社会が変わると、例外のつもりで作ったものが本体になる。

 出張者のための内継ぎ術が、王都じゅうの仕事を背負わされる。

 細い継ぎ口に、役所も学校も商会もぶら下がる。

 そして、折れかける。


 相結び継ぎは、その荷を少し逃がした。

 必要な相手だけを結ぶ。

 中央を通さず、正しい札で互いを確かめる。

 仕事は回り始めた。


 だが、本当の宿題は残っている。

 内に入った者を広く信用する作り。

 見えすぎる内側。

 大きすぎる鍵束。


 守りは、内と外を分けるだけでは足りない。

 誰が、何に、どこまで触れてよいか。

 そこまで見なければならない。


 非常時は、平時の設計の甘さを照らす。

 王都は今日、それを痛いほど見た。

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