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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
術負け病編

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第94話 例外用の継ぎ口は本流ではない

 王都の朝は、いつもより静かだった。

 静かすぎた。

 通りには荷車の音がある。

 パン屋の煙も上がっている。

 だが、人の距離が少し遠い。

 誰もが、隣の肩を避けるように歩いている。


 数日前から、王都で妙な熱が広がっていた。

 治癒魔法が効きにくい。

 近くにいた者へ触れ移る。

 重い者は床を離れられなくなる。

 王城はそれを術負け病と呼び、御触れを出した。


 集まるな。

 近づきすぎるな。

 対面でなくてもできる仕事は、離れ勤めへ切り替えよ。

 学校の授業も、一部を離れ講義へ移せ。


 魔法が万能だと思っていた人々ほど、顔が硬い。

 術が負ける、という言葉はよくできている。

 人類は名前をつけることで恐怖を小さくしようとする。

 だが、名前をつけても熱は下がらない。


———

 リゼの家の台所にも、少しだけ緊張があった。

 窓は開けてある。

 朝の冷たい空気が入ってくる。

 湯気の匂いと、薬草を煮た匂いが混ざっていた。


「学校も行かなくていいの」


「今日は遠話鏡で受ける」


「家にいるのに授業なのね」


「そういうことだ」


「休みみたいで休みじゃない」


「かなり正確だ」


 リゼは椀を置いた。

 最近、彼女は私の隣に座る距離を少しだけ近くした。

 恋人になったから、と言えばそうなのだろう。

 ただし今は、近づきすぎるなという御触れが出ている。

 世界は本当に加減を知らない。


「遠話鏡って、声と絵を遠くへ飛ばす鏡よね」


「ああ」


「便利そうだけど、みんなで一斉に使ったら、鏡の向こうが渋滞しそう」


「たぶん、今日の授業はそれを見ることになる」


「授業前から嫌な予告しないで」


 私も嫌だった。

 だが、嫌な予告ほど当たる。

 最悪だ。


———

 講堂は、今日は講堂ではなかった。

 私の前には小さな遠話鏡。

 鏡面には学生たちの顔が小さく並んでいる。

 背景はばらばらだ。

 寮の部屋。

 実家の食堂。

 工房の隅。

 なぜか物置のような場所にいる学生もいる。


 ルドーの顔も映っていた。

 いつもより少し粗い。

 声も半拍遅れる。


「聞こえるか」


「はい」


「はい」


「は、はい」


「はい」


 声が重なった。

 遠話鏡の中で返事がぶつかり、少し歪んだ。


「はいは一回だ」


 ルドーが言った。

 だが、その声も遅れて届いた。


「はい」


「はい」


「今のは遅れた返事です」


「はい」


 混乱。

 遠隔の「はいは一回だ」は、かなり難しい。

 ルドーの眉が少し動いた。

 珍しく、やりにくそうである。


 リゼの顔も片隅に映っている。

 彼女も正式な学生として、他の学生に混じって離れ講義を受けている。

 遠話鏡越しでも、いつもの講堂と同じように、少し後ろの席にいるような顔をしていた。


「なんか、同じ部屋にいるのに、隣の家から喋ってるみたいね」


「同じ部屋ではない」


「そういう意味じゃないわよ」


 鏡の向こうで、何人かが笑った。

 その笑いも少し遅れた。

 遅れて届く笑いは、少しだけ不安になる。


———

 授業は始まった。

 始まった、はずだった。

 まず一人の顔が止まった。

 別の学生の声だけが先に進み、絵が追いつかない。

 三人が同時に喋り、全員が黙り、また同時に喋った。

 人類は譲り合おうとすると、同じ拍で譲る。


「本日の題」


 ルドーの声が少し割れた。


「離れ勤め」


 短い。

 ただし今日は、その短さすら遠い。


「ユウ」


「はい」


「はいは一回だ」


「今のは一回です」


 鏡の中で数人が笑った。

 ルドーは無視した。


「説明」


「はい」


 私は手元の小さな表示札を遠話鏡へ向けた。

 線で描く。


王都内網

内継ぎ盤

外の者


「王都の情報基盤は、基本的に内側で守る前提で作られています」


 王都内網の枠を描く。

 中に台帳、文書庫、会計盤、講義盤を書く。


「外から仕事をする者は、まず内継ぎ術で王都内網へ継がなければなりません」


 外側から内継ぎ盤へ線を引く。

 そこから内側へ線を分ける。


「平時なら、これでよかった。出張中の役人、一部の外勤者、急な確認が必要な術師。使う人が少なかったからです」


 表示札の外側に、小さな点をいくつか置く。


「しかし今は違います」


 点を増やす。

 役人。

 術師。

 教師。

 学生。

 商会の連絡係。

 全員が、同時に内継ぎ盤へ向かう。


「接続確認、継路の確立、中継処理、内部術盤への橋渡し。それら全部が、内継ぎ盤に集中します」


 鏡の向こうで、学生が言った。


「盤を増やせばいいのでは」


「増やせるなら、有効です」


「なら」


「ただし、今すぐ十分には増やせない」


 私は内継ぎ盤の周りを赤く塗った。


「例外用の仕組みが、急に本番の主力にされた。これが問題です」


———

 リゼが遠話鏡の向こうで首を傾げた。


「台所の勝手口みたいなもの」


「勝手口」


「普段は家族が少し出入りするだけ。でも、急に町じゅうの人が勝手口から店に入ろうとしたら詰まるでしょ」


「近い」


「表の店を閉めたから、みんな勝手口へどうぞ、って言われても無理よ」


「かなり近い」


 学生たちが頷いた。

 勝手口の比喩は強い。

 私の線より分かりやすいかもしれない。

 少し悔しい。


 別の学生が聞いた。


「内継ぎ盤は、王都の中へ入るためのものですよね」


「はい」


「なら、全員が入れれば解決では」


「全員が入るまでが重い。入った後も重い。さらに、一度内側へ入った者を広く信用する作りになっている場合、別の危うさもあります」


「危うさ」


「今日は、まず詰まりの話に絞ります」


 全部を一度に話すと、授業も盤も詰まる。

 人間の頭にも帯域がある。


———

 授業の途中で、王城から魔文が届いた。

 こういう時の魔文は、だいたい良い知らせではない。

 私は遠話鏡の端に表示した。

 ルドーが短く言う。


「読め」


「はい」


 魔文には、短い悲鳴が並んでいた。


 離れ勤めが遅すぎる。

 台帳が開かない。

 書類に触れるまでが長い。

 接続が切れる。

 一度切れると、最初からやり直しになる。

 決裁が回らない。

 仕事にならない。


 最後に、王城術務室の技術者からの追伸があった。


 内継ぎ盤を増設したいが、工房は混乱で半年待ち。

 今すぐどうにかしたい。

 相談したい。


 遠話鏡の中が静かになった。

 さっきまでの軽い混乱とは違う。

 これは、本物の現場の音だ。


「行くの」


 リゼが聞いた。


「行く」


「熱は」


「可能な限り離れて見る。現場も人数を絞るはずだ」


「無茶はしない」


「しない」


「本当に」


「本当に」


 恋人になってから、こういう確認が少し増えた。

 悪くない。

 ただ、今は急ぐ。


 ルドーが言った。


「現場こそ授業だ」


 遠話鏡越しでも、その言葉だけはあまり遅れなかった。


———

 王城術務室は、いつもより人が少なかった。

 少ないのに、疲れた気配だけは濃い。

 窓が開けられ、机の間隔が広げられ、書類は紐で吊るして受け渡されている。

 非常時の工夫は、だいたい見た目が少し情けない。

 だが、情けない工夫が人を助けることもある。


 技術者は、私を見るなり表示札を広げた。

 内継ぎ盤の利用状況。

 赤。

 橙。

 また赤。


「朝からずっとこの状態です」


「利用者数は」


「平時の二十倍を超えています」


「接続確立の失敗は」


「増えています。つながってもすぐ切れる者がいます」


「中継処理は」


「詰まっています。特に文書庫と会計盤へ向かう継ぎが重いです」


 役人が横から言った。


「台帳を開くだけで半刻待ちます。開いたと思ったら切れる。最初からやり直しです」


 別の役人が続けた。


「決裁札が戻りません。誰が持っているのかも分からない」


 誰かが悪いわけではない。

 平時の設計が、非常時の荷重に負けている。

 それだけだ。

 それだけなのに、社会は止まる。


———

 私は表示札を見た。

 全員が、いったん内継ぎ盤へ向かっている。

 そこから王都内網へ入り、さらに目的の台帳や術盤へ進む。


 確かに、内継ぎ盤を増やせば少し楽になる。

 だが、半年待ち。

 しかも、根本はそこだけではない。


「文書係は、主にどこを使いますか」


「文書庫です」


「会計係は」


「会計盤です」


「授業担当は」


「講義盤と学生連絡です」


「全員が王都内網の全部へ入る必要がありますか」


 術務室が静かになった。


「……ありません」


 技術者が答えた。


「では、皆をいったん王都の中へ継いでから仕事をさせる発想自体が、今は重すぎるのかもしれません」


 口にした瞬間、表示札の赤い線の意味が変わった。

 装置不足だけではない。

 構造の問題だ。


 一本の喉首に、王都じゅうの仕事がぶら下がっている。

 それが今日の王都だった。


 ルドーなら、たぶん短く言う。

 継ぎすぎだ。


 私は表示札を閉じた。


「明日、別の結び方を試しましょう」


 技術者が顔を上げた。


「盤を増やさずにですか」


「増やせないなら、通し方を変えるしかありません」


 完全解決ではない。

 だが、今この社会を止めないための糸口は見えた。

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