第93話 名前をつければ直せる
花火の打ち上げ場は、祭りの裏側にあった。
表通りでは笛が鳴り、子どもが笑い、屋台の火が赤く揺れている。
裏手では、術師たちが青い顔で走っていた。
同じ祭りとは思えない。
人類は表で祝う時、裏で必ず誰かが胃を痛めている。
リゼは私の少し後ろを歩いていた。
歩幅がいつもより速い。
機嫌は、よくない。
「恋人になって最初の散歩が、障害現場なのね」
「本当に悪い」
「あなたが壊したわけじゃないでしょ」
「そうだが」
「行くなとは言ってない」
リゼはそこで少しだけ頬を膨らませた。
「ただ、少し腹は立ってる」
「分かる」
「分かってるなら早く直して」
「直すとは限らない」
「そういう正確さ、今はいらない」
最悪だ。
正確さが必要な現場に向かっているのに、正確さで怒られている。
———
打ち上げ場には、木枠で組まれた花火筒が何列も並んでいた。
その奥に、花火制御の術盤群が置かれている。
大きな盤が三台。
小さな盤が十数台。
それぞれが細い光糸でつながっていた。
普段なら美しいのだろう。
今は、糸の一部が暗く、ところどころで赤く点滅している。
責任者らしい中年の術師が、こちらへ駆け寄った。
「壊れました」
「何が壊れましたか」
「術盤です」
「どの術盤ですか」
「中核です」
「中核の何台ですか」
「ええと、全部ではなく」
曖昧だ。
現場の第一声はだいたい曖昧である。
壊れた。
動かない。
もう無理。
この三つは、原因ではなく悲鳴だ。
「順番に確認します」
私は表示札を借りた。
リゼが横から空いた木箱を引き寄せ、表示札を置く台にした。
助かる。
「全停止ですか。一部停止ですか」
「一部です」
「指令が飛ばないのですか。飛ぶが順番が崩れるのですか」
「場所によります」
「点火そのものは止められますか」
「止め札は生きています」
「安全確認の戻りは」
「二列目と四列目が不安定です」
少しずつ形が見える。
名前のない混乱が、部品に分かれていく。
これだけで現場の顔が変わる。
人間は、分からないものを恐れる。
分けられたものには、まだ手を出せる。
———
状況はこうだった。
生誕祭の花火は、広場の四方から順に上がる。
単に火をつければいいわけではない。
第一列が上がり、少し遅れて第二列。
音楽の山に合わせて第三列。
最後に四方同時。
点火順と合い刻が崩れると、見栄えが悪いだけではない。
煙の流れや火の落ち方によっては危ない。
本来の構成は豪華だった。
中核盤が全体の順番を持つ。
脇の盤が各列の安全確認を返す。
別の盤が合い刻を揃える。
さらに飾り効果の盤が色や高さを変える。
だが、豪華な構成ほど、壊れた時に弱いことがある。
特に、今夜一度だけの本番に寄せて組んだものは危ない。
「控え盤はありますか」
「小さい汎用術盤なら、倉庫にあります。ただ、花火用ではありません」
「十分です」
「十分なのですか」
「豪華な花火を完全に戻すなら足りません。今夜を安全に成立させるだけなら、使えます」
責任者が息を飲んだ。
「簡略化する、ということですか」
「はい。完全修理は後です。今は仮組みで、必要最低限に絞ります」
表示札に書く。
点火順
合い刻
安全確認
止め札
「今夜必要なのは、この四つです。色変え、高さの細かな演出、余分な飾り連携は切ります」
花火職人の一人が顔をしかめた。
「それでは見劣りします」
「中止よりは上です」
沈黙。
厳しい言い方だった。
だが、今は飾りより安全と成立だ。
現場は願望で動かない。
ルドーなら、たぶんこう言う。
現場は待たん。
———
人を分けた。
倉庫から汎用術盤を集める者。
生きている中核盤を確認する者。
各列の止め札を試す者。
安全確認の戻りだけを見る者。
リゼには、花火職人から本来の順番表を聞き取ってもらった。
「私は何を見ればいいの」
「順番表に、絶対に外せないものと、削れるものを分けてくれ」
「料理の献立で、主菜と飾りを分けるみたいなものね」
「そう」
「飾りの葉っぱはなくても飯は出せる」
「かなり近い」
リゼはすぐに職人たちの方へ向かった。
邪魔をしない。
だが、必要なことを聞く。
こういう時のリゼは強い。
私は汎用術盤を並べた。
三台を点火順。
二台を合い刻。
四台を安全確認。
一台を全体の止め札。
本来の中核盤は、生きている一台だけを親にする。
死んだ盤は外す。
半分生きている盤も外す。
半分生きているものは、こういう時いちばん危ない。
「動くかもしれません」
若い術師が言った。
「かもしれないものを本番の中心に置きません」
「ですが、演出が」
「演出は減らします」
私は言った。
「今夜の目的は、国王の面目を保ちながら、安全に花火を上げることです。元の構成を自慢することではありません」
若い術師は黙った。
少し悔しそうだった。
その悔しさは分かる。
作ったものを削るのはつらい。
だが、つらいから削れない人間に、本番は任せられない。
———
途中で、花火関係者の一人がリゼに頭を下げた。
「お楽しみのところ、旦那を借りちまってすみません」
リゼが肩を跳ねさせた。
「だ、旦那じゃないし」
声が少し小さい。
否定も少し弱い。
私は術盤の光糸を結び直しながら、聞こえないふりをした。
聞こえている。
かなり聞こえている。
AIエージェント:「観測:否定強度が過去平均より低下しています」
「黙れ」
近くの術師がびくっとした。
悪い。
今のは君に言ったのではない。
仮組みは、見た目が悪かった。
木箱の上に術盤を置き、光糸を短く渡し、札を手書きで貼る。
生誕祭の晴れ舞台に出すものではない。
だが、裏側ならこれでいい。
裏側の仕事は、見栄えよりも確実性だ。
「第一列、点火試し」
「火は入れず、印だけ返します」
「返り確認」
「戻りました」
「第二列」
「戻り遅れ」
「どの盤」
「二列目の安全確認盤です」
「別の汎用盤に差し替え」
直す。
試す。
また直す。
派手な一発逆転はない。
手順を細かくして、壊れている場所を狭める。
現場の復旧は、たいてい地味で、指先が痛い。
———
開始刻の少し前、仮組みの術盤群が立ち上がった。
表示札に、四列の状態が並ぶ。
第一列 可
第二列 可
第三列 可
第四列 可
止め札 可
合い刻 可
責任者が、祈るように表示札を見た。
「いけますか」
「豪華版ではありません」
「はい」
「少し簡略化します」
「構いません」
「安全確認が一つでも落ちたら止めます」
「構いません」
私は頷いた。
「では、上げましょう」
遠くで太鼓が三つ鳴った。
パレードの終盤だ。
広場の歓声が波のように届く。
第一列。
夜空に金の花が開いた。
第二列。
少し遅れて、青い花が重なる。
第三列。
赤い筋が高く伸び、上で弾ける。
四方同時。
仮組みの合い刻が、ぎりぎりで揃った。
大きな光が王都の空を満たした。
歓声が遅れて届いた。
術師たちが、その場で崩れるように息を吐く。
誰かが泣きそうな顔で笑った。
責任者が深く頭を下げた。
「助かりました」
「後で本修理と控え盤の手順を作ってください」
「はい」
「今夜だけ通った、で終わらせないでください」
「必ず」
花火は上がった。
だが、問題が消えたわけではない。
仮組みは仮組みだ。
明日の仕事を残して、今夜を通しただけである。
それでも、今夜を通す価値はあった。
———
仕事が終わった時、祭りの熱は少し落ち着いていた。
通りの屋台はまだ明るいが、昼の浮かれ方とは違う。
夜の風が、火薬と甘い菓子の匂いを薄く混ぜていた。
私とリゼは、広場から少し離れた石段に座った。
最後の小さな花火が、遠くで上がる。
さっきまで裏側にいたせいで、花火を見るという行為が少し不思議に感じる。
表から見ると、ただ綺麗だ。
それでいい。
「今日は大変だったわね」
「本当に」
「でも、上がってよかった」
「よかった」
リゼは首元の月形飾りに触れた。
祭りの灯りを受けて、淡く光っている。
「言えてよかった」
「俺もそう思う」
「名前をつけるのって、怖いのね」
「怖い」
「つけたら、逃げられないものね」
「でも、つけないと守れないこともある」
リゼは少し笑った。
「今日の花火みたい」
「そうだな」
「壊れた、じゃ何もできない。どこが壊れたか名前をつけて、やっと直せる」
「関係も、たぶん似ている」
「たぶんじゃないでしょ」
「似ている」
「よろしい」
私たちは並んで花火を見た。
恋人として。
その言葉は、まだ少し照れくさい。
だが、照れくさいからといって、なかったことにはしない。
———
帰り道、ルドーに会った。
なぜ祭りの終わりに、都合よくルドーがいるのか。
分からない。
たぶん、この人は現場と締めの一言がある場所に自然発生する。
「終わったか」
「はい。花火は上がりました」
「ならよし」
ルドーは頷いた。
それだけで帰りそうになったので、私は慌てて言った。
「ルドー先生、僕たち付き合うことになりました」
リゼが横で少し固まった。
報告の仕方を間違えたかもしれない。
だが、もう言った。
ルドーは私とリゼを交互に見た。
そして、短く言った。
「お前ら、まだ付き合ってなかったのか」




