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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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92/120

第92話 恋人同士じゃない

 王都は朝から浮かれていた。

 いや、浮かれているというより、街全体が少しだけ地面から浮いている感じだった。

 国王生誕祭。

 その名の通り、国王の生まれた日を祝う祭りである。

 通りには色布が渡され、屋台の湯気が立ち、楽隊の笛が石畳を跳ねている。

 焼き菓子の甘い匂い。

 揚げ肉の脂の匂い。

 香草を練った茶の匂い。

 人類は祝う理由を得ると、だいたい食べ物を増やす。

 正しい。


 最近の私は、王都魔法網だの交渉規約だの道筋触れだの、責任の重い話ばかりしていた。

 だから、今日くらいは何も考えずに歩いてもいい。

 そう思っていた。


「見て、あれ」


 リゼが袖を引いた。

 広場の端で、色水を薄い硝子玉に閉じ込めた飾りが光っていた。

 玉の中で、小さな花の形がゆっくり開いたり閉じたりしている。


「魔法具か」


「祭り用ね。実用性はなさそう」


「実用性がないから祭り用なんだろう」


「そういう言い方をするから、楽しいものを楽しく見られないのよ」


「見ている。かなり見ている」


「顔が分析してる」


 最悪だ。

 顔に出る。


———

 私たちは屋台を回った。

 串焼きを買い、半分ずつ食べた。

 甘い豆を薄皮で包んだ菓子を買い、リゼが先に噛んで、熱さに少し目を細めた。

 私は水を渡した。

 自然に。

 リゼも自然に受け取った。


 こういう動作が増えた。

 相手が何を欲しがるか、だいたい分かる。

 歩幅も合う。

 混んだ通りでは、私が少し前に出る。

 屋台を見る時は、リゼが少し前に出る。

 周囲から見れば、どう見えるか。

 たぶん、考えなくても分かる。

 分かるが、私は考えないことにしていた。


 考えると、名前が必要になる。

 名前をつけると、責任が生まれる。

 最近、そういう話ばかりしている。

 だから余計に、私はそこから目を逸らしていたのかもしれない。


「ユウ」


「何だ」


「その顔、また難しいこと考えてる」


「考えてない」


「嘘」


「祭りの人流を見ていただけだ」


「ほら」


 リゼは呆れた顔をした。

 だが、少し笑っていた。

 その笑い方を見ると、胸の奥が少し楽になる。


———

 昼に近づくと、広場はさらに混んだ。

 中央には花飾りの門が作られ、子どもたちが小さな旗を振っている。

 遠くで太鼓が鳴った。

 生誕祭のパレードは夜まで続き、最後に大きな花火が上がるらしい。


「夜までいるのか」


「いるでしょ」


「即答か」


「年に一度よ。しかも、今日はあなたも休みなんだから」


「休みのはずだ」


「不吉な言い方しない」


 確かに不吉だった。

 王都で「休みのはず」と言うと、だいたい休みではなくなる。

 人類の予定は、予定を破るために存在している。


 通りの角に、魔法アクセサリーの屋台があった。

 細い鎖に、小さな月形の飾りが下がっている。

 飾りは光を受けると、淡く色を変えた。

 リゼが足を止める。


「綺麗ね」


「似合いそうだな」


 言ってから、少し遅れて自分の声に気づいた。

 リゼがこちらを見た。

 目が少し丸い。

 それから、頬が少し赤くなった。


「そ、そう」


「ああ」


 屋台の商人が、にやりと笑った。

 人類は他人の沈黙に商機を見つける。


「そのお似合いのお二人さん、恋人同士かい。今日だけ安くしとくよ」


 私は反射で答えた。


「いや、恋人同士じゃない」


 言葉が出た瞬間、空気が落ちた。

 祭りの音は続いている。

 笛も、太鼓も、呼び売りも、笑い声も。

 だが、私たちの周りだけ、急に静かになった。


 リゼが固まっていた。

 照れている顔ではなかった。

 怒る前の顔でもなかった。

 もっと奥を押されたような顔だった。


「……そう」


 声が小さい。

 まずい。

 これは、かなりまずい。


「リゼ、今のは」


「いい」


「違う」


「何が違うの」


 言葉が詰まった。

 違う。

 何が。

 私は、まだ恋人という名前を口にしていないという事実を、そのまま言っただけだった。

 悪意はない。

 だが、悪意がない言葉で人を傷つけることはある。

 むしろ悪意がないぶん、逃げ場がない。


「少し、一人で歩く」


 リゼはそう言って、屋台の横を抜けた。

 走るほどではない。

 だが、私が追いつく前提の速度でもなかった。


 商人が気まずそうに目を逸らした。

 祭りの陽気さが、急に重くなる。

 最悪だ。


———

 私は人波の端に立った。

 手には、買いかけだった月形の飾りが残っている。

 商人が小声で言った。


「兄さん、今のは追った方がいいぞ」


「分かっています」


 分かっている。

 ただ、足がすぐに動かなかった。

 何を言えばいいのかが分からなかった。


AIエージェント:「観測:リゼはあなたと恋人関係になることを望んでいる可能性が高いです」


「黙れ」


AIエージェント:「補足:先ほどの応答は高確率で不適切でした」


「黙れと言った」


AIエージェント:「分析:あなたは関係の命名を先送りにしていました」


 正しい。

 腹が立つほど正しい。

 そして、正しいだけでは何も救わない。


 私は月形の飾りを買った。

 商人は値引きした。

 情けで値引きされるのは、少しつらい。


 リゼを探す。

 広場。

 噴水。

 飾り門。

 楽隊の後ろ。

 人が多い。

 だが、リゼは見つけられる。

 たぶん、見つけられると思っている時点で、私はもう答えを持っていた。


 いつの間にか、リゼがいるのが当たり前になっていた。

 朝に同じ台所にいること。

 授業の後ろにいること。

 現場で隣に立つこと。

 夜に短く言い合うこと。

 その全部に、私は名前をつけずに甘えていた。


 名前をつけなければ、失う時の責任も曖昧になる。

 だが、曖昧なままでも人は傷つく。

 それを今日、私は目の前で見た。


———

 リゼは広場の外れにいた。

 花飾りの陰で、祭りの喧騒から少しだけ外れた場所だった。

 肩を怒らせている。

 だが、泣いてはいない。

 それが余計に痛い。


「リゼ」


「何」


「さっきのは、間違っていた」


「事実でしょ」


「事実の扱い方を間違えた」


 リゼは振り向いた。

 目が少し赤い。

 私は息を吸った。

 こういう時、うまく言おうとすると失敗する。

 だから、構造化しない。

 そのまま言う。


「俺は、お前をそういう相手として見ている」


 リゼの眉が動いた。


「そういうって、何」


「好きだ」


 言った。

 言ってしまうと、意外と世界は壊れなかった。

 ただ、心臓がかなりうるさい。


「一緒にいるのが当たり前になっていた。だから、ちゃんと名前をつけるのを先送りにしていた」


「遅い」


「遅い」


「今さら何よ」


「今さらだ」


「否定してから言うことじゃないでしょ」


「本当にそうだ」


 リゼは唇を結んだ。

 怒っている。

 当然だ。

 だが、さっきよりも、こちらを見ている。


「俺が悪い。曖昧なままにしていた。お前が傷つく可能性を、ちゃんと見ていなかった」


「……そこまで言われると、怒りにくいじゃない」


「怒っていい」


「怒ってるわよ」


「分かってる」


 私は手の中の小箱を差し出した。

 月形の飾り。

 祭りの光を受けて、淡く青くなっている。


「これを渡せば許されるとは思っていない」


「じゃあ、何」


「似合うと思った。それは本当だから」


 リゼはしばらく小箱を見ていた。

 それから、そっと受け取った。


「ずるい」


「悪い」


「謝ればいいと思ってる」


「思ってない」


「じゃあ、どうしたいの」


 私はリゼを見た。

 逃げ道はない。

 逃げる気もない。


「ちゃんと恋人になりたい」


 祭りの音が、少しだけ遠くなった。

 リゼは目を伏せた。

 長い沈黙ではなかった。

 だが、私にはかなり長かった。


「本当に遅い」


「うん」


「でも」


 リゼは小箱を胸元に寄せた。


「……なる」


 短い。

 十分だった。


 私は息を吐いた。

 リゼも、少しだけ笑った。

 泣きそうな笑い方ではなく、怒りがまだ残っている笑い方だった。

 その方がリゼらしい。


「次に店先で否定したら、鍋で殴る」


「かなり痛い」


「痛くする」


「覚えておく」


 私たちは並んで広場へ戻った。

 手は、自然につながっていた。

 今度は、それに名前があった。


———

 その直後だった。

 人波をかき分けて、王城術務室の職員が走ってきた。

 額に汗。

 息が荒い。

 祭りの楽しさを壊す顔である。

 こういう顔はだいたい、私の休みを壊す。


「ユウ殿」


「どうしました」


「今晩の生誕祭パレードで使う花火制御の術盤群に障害が出ました」


 リゼの手が、私の手の中で少し強くなる。


「程度は」


「中核の術盤が数台落ちています。点火順と合い刻が保証できません。このままでは花火を上げられません」


「安全確認は」


「崩れています。誤作動の恐れがあります」


 職員は唾を飲んだ。


「中止になれば、国王陛下の面目が潰れます。どうか、来てください」


 私はリゼを見た。

 恋人になって、最初の数分でこれである。

 世界は加減を知らない。


 リゼは目を細めた。

 不満そうだった。

 かなり不満そうだった。

 それでも、手を離した。


「しょうがないわね」


「悪い」


「行ってきなさいよ」


 そして、小さく続けた。


「でも、花火は一緒に見るんだから」


「分かった」


 休みは壊れた。

 だが、約束は残った。


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