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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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第88話 自分の術で、自分を編め

 朝、リゼの家の台所には、煮た果実の甘い匂いが漂っていた。

 窓の外では、職人たちが道具箱を鳴らしながら通りを歩いている。

 何かを作る人間の朝は、だいたい音が細かい。


「今日は何」


「術語の独り立ちの話」


「言葉が独り立ちするの」


「する」


 リゼは匙を止めた。


「今までは他人の家に間借りしてたけど、これからは自分の家で暮らせる、みたいなこと?」


「かなり近い」


「自分の言葉で、自分の家を建てる」


「そう」


 朝から比喩が強い。

 今日の授業の半分が、もう台所で終わった気がする。


「でも、一人暮らしできるようになっても、仕事は続くわよ」


「そこも今日の話」


 リゼは皿を置いた。


「祝って終わりじゃないのね」


「終わらない」


 技術の祝祭は、だいたい翌朝から普通に仕事がある。

 最悪ではない。

 それが生活だ。


———

 講堂には、二つの小さな術編み台を置いた。

 一つは古い外の術で動く台。

 もう一つは、今日だけの小さな術語で書かれた未完成の台だ。


 学生たちは、台の周りを見て少しざわついている。

 術語の話は、いつも少し空気が違う。

 道具の話であり、思想の話でもあるからだ。


 ルドーが前に立った。


「問う」


 講堂が静かになる。


「術語を作ったとして、その術語で己の編み機を編めるようになることに、何の意味がある」


 学生の一人が手を上げた。


「自慢になります」


「浅い」


 二人目。


「見栄えがいいです」


「弱い」


 三人目。


「今動いていれば十分です」


「短い」


 四人目。


「外の術で編めるなら、それでよいのでは」


「半分」


 五人目。


「独り立ちは気分の問題です」


「違う」


 ルドーがこちらを見た。


「ユウ」


「はい」


「はいは一回だ」


「……はい」


 今日は返事が少し遅れた。

 独り立ち以前の問題である。


———

 私は表示盤に書いた。


新しい術語

外の術編み台


「新しい術語は、最初から自分だけで立てるわけではありません」


 小さな術語の札を掲げる。

 まだ、この術語で動く術編み台はない。

 だから、外の術で書かれた台に食べさせる。


「最初は外の術に頼ります。既存の術編み台の助けで、自分の術式を動かせる形へ編む」


 学生の一人が言った。


「それは未熟ということですか」


「成長段階です」


 私は答えた。


「恥ではありません。立ち上げには土台が要ります」


 表示盤に書く。


借りた土台

最初の足場


「赤ん坊が自分で家を建てないのと同じです」


 講堂に小さな笑いが起きた。


———

 次に、未完成の術編み台を示した。

 小さな術語で書かれた、自分自身の術編み台だ。

 まだ外の術編み台で編む必要がある。


「最初は、外の術編み台で、この術語の術編み台を編みます」


 外の台が動く。

 淡い光が走り、小さな術編み台が形を持つ。


「次に、その出来上がった術編み台で、同じ術編み台をもう一度編みます」


 学生たちが静かになった。


 自分の術で、自分を編む。

 言葉にすると少し不思議だ。

 だが、ここに大きな意味がある。


 新しい台が動いた。

 外の術ではない。

 自分の術語で書かれた、自分の術編み台が、自分自身を編み上げる。


 光が一つに揃った。


自編み


 表示盤に、そう書いた。


———

 講堂の空気が変わった。

 派手な爆発はない。

 魔獣も倒していない。

 だが、何かが立った瞬間だった。


「自分の術で、自分を編めるようになるのは、独り立ちです」


 私は言った。


「それは見栄ではありません。依存を減らし、自前で前へ進めるという意味があります」


 表示盤に書く。


外への依存が減る

改良の循環が閉じる

自分の思想で育てられる


「外の台が変わるたびに振り回されにくくなります。自分の術語で、自分の術編み台を改良し、その改良した台で次を編める」


 学生の一人が息を吐いた。


「輪が閉じるのですね」


「はい」


 私は頷いた。


「使う者も、この術語はもう立っている、と感じられる」


 技術には、そういう節目がある。

 性能表だけでは測れない節目だ。


———

 リゼが後ろから言った。


「つまり、一人暮らしを始めたみたいなものなのね。今までは他人の家に間借りしてたけど、これからは自分の家で自分を回せる」


 その比喩は、朝よりさらに磨かれていた。


 その言い方で、講堂の空気が少し柔らかくなった。

 学生たちにも伝わったらしい。


自分の家

自分の道具

自分の改良


「自編みは祝祭です」


 講堂が静かになった。


「ただの記念ではありません。言葉が、自分の世界を自分で支えられるようになる瞬間です」


 学生たちの筆が動く音がした。

 祝祭という言葉は、少し強い。

 だが、今日は強くていい。


 技術者にも、祝っていい日がある。


———

 ただし、祝祭で話を閉じると、現場に殴られる。

 私は表示盤の端に、小さく書いた。


祝祭のあと


「自編みは大きな達成です。ですが、それ自体が速さや使いやすさを保証するわけではありません」


 学生たちの筆が少し止まる。


「独り立ちしたあとにも、別の苦しみがあります」


 ルドーが短く言った。


「次の苦労だ」


 そう。

 立てたら終わりではない。

 立ったものは、次に走らされる。


 人間も術語も、だいたいそうだ。


———

 授業の終わり際、王城の使いが来た。

 最近、扉が開く音だけで胃が反応する。

 最悪だ。


「水晶術語工房から相談が来ています」


 使いが言った。


「王都で広く使われる水晶語は、すでに自編みを達成しています。学校、役所、商会で広く採用されております」


 講堂が少しざわついた。

 水晶語。

 学生の多くも使っている術語だ。


「ですが最近、大規模術式庫の検め、学校の大量課題、役所の巨大な術式群の再編で、術編み台の遅さに不満が出ています」


 祝祭のあと。

 まさにそれだった。


「工房は、自編みの誇りを守りたい。一方、現場は速くしてほしい」


 ルドーがこちらを見た。


「行け」


 短い。

 拒否権はない。


「見に行きます」


 私は小さな術編み台を見た。

 自分で自分を編めること。

 その価値は本物だ。

 だが、本物の価値も、現場を待たせ続ければ別の問題になる。


———

 水晶術語工房は、白い石壁の建物だった。

 窓際に水晶片が並び、光を受けて淡く揺れている。

 工房の中には、誇りと疲労が同じ量だけ漂っていた。


 壁には、古い記念札が飾られていた。


水晶語、自編み達成の日


 その札の前で、工房長が腕を組んでいた。


「水晶語は、己の術で己を編める術語です」


 工房長は静かに言った。


「それが我々の誇りです」


 隣の机では、学校の課題束が積み上がっていた。

 奥には役所の巨大な術式群。

 商会の術式庫の検め札もある。


 どれも、待っている。

 祝祭の飾りの下で、現場の札が山になっている。


 私はその山を見た。


「誇りは分かります」


 工房長の顔が少し硬くなった。


「ただ、現場の待ち時間も見せてください」


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