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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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第81話 漏れる言葉に、重さばかり足すな

 役所の本人確認窓口は、苦い茶の匂いがした。

 徹夜した役人が飲む茶は、だいたい濃い。

 濃すぎる茶と疲れた人間は、部屋の空気を同じ色にする。


 窓口の前には市民が並んでいた。

 困惑と怒り。

 列の端では、担当者が何度も頭を下げている。


「自分の申請が、誰かに見られたって本当なのか」


「私は差し替えていない。誰がやったの」


「合言葉を変えろと言われても、昨日変えたばかりだ」


 人間は怒る。

 そして、怒る理由がある。


———

 担当官が私たちを奥へ通した。

 リゼも一緒だ。

 授業の後、そのまま捕まった。

 すまない。

 だが、リゼはもう半分慣れている顔をしていた。

 慣れてほしくない。


「被害の一覧です」


 担当官が札束を置いた。


「市民向け盤で本人になりすました閲覧が三件。申請の差し替えが二件。役所内の照会でも一件、他人の合言葉で入られています」


「合言葉はどこから漏れましたか」


「一件は窓口で覗き見られたようです。一件は偽の使いに聞き出されました。残りは、別の窓口と同じ合言葉を使い回していたらしく」


 見事に人間だった。

 機械的な欠陥というより、人間の生活から漏れている。

 最悪だ。


「上役は、もっと長い合言葉を求めています。変える刻も短くすると」


「その発想では、また漏れます」


 言った瞬間、部屋が静かになった。


———

 上役が眉を寄せた。


「合言葉が破られた。ならば強い合言葉にするのが筋ではないか」


「一部は必要です」


 まず認める。

 全部否定すると、人は聞かなくなる。


「ただし、合言葉をもっと重くするだけでは、人が先に折れます」


 表示盤に書く。


人が覚える

人が入力する

人が見られる

人が騙される

人が使い回す


「合言葉方式そのものに限界があります。どれだけ複雑にしても、最後は人が覚え、人が入力します。そこを覗かれ、騙され、使い回される」


 担当官が小さく言った。


「では、合言葉なしでどう認めるというのだ」


「秘密を渡さずに認めます」


 上役の顔が険しくなる。


「謎かけでは困る」


「謎かけではありません。問い札と応答印を使います」


———

 私は王立図書館の古論文を机に広げた。

 紙の端が少し反っている。

 古いものは、扱うだけでこちらの姿勢を正してくる。


「王都には土台があります。体内閉術です」


 表示盤に書く。


体内閉術

秘印

問い札

応答印

意志起動


「秘印を体外へ出さず、体内の閉じた術で問い札にだけ応答印を返す。合言葉を口にしません。紙にも書きません」


 担当術士が論文へ身を乗り出した。


「古典研究です。実用品にはならないと扱われていたものです」


「そのままでは足りないでしょう」


 私は言った。


「ですが、発想は使えます。秘密を渡すのではなく、その場の問いにだけ応じる」


 ルドーが短く言った。


「古い論は戻る」


 担当術士が小さく頷いた。


———

 上役は腕を組んだ。


「体内で処理する、ということか」


「はい」


「無意識でも動くのなら危ないぞ」


「そこが大事です」


 表示盤に大きく書いた。


意志起動


「本人の意思がなければ応答印は生成されません。眠っている、腕を掴まれただけ、外から命じられただけ。これでは動かない」


 リゼが言った。


「鍵を持ってる人の手を無理やり扉に押しつけても、内側から鍵を回さなきゃ開かない、みたいなことね」


「そう」


 私は頷いた。


「単なる身体の特徴ではなく、本人が内側で応じることを条件にします」


 担当官が顔をしかめた。


「縛られて脅されたら」


「魔法だけで脅しを消すことはできません」


 そこは濁さない。


「ただし、眠らせる、盗む、覗く、触れるだけで通る作りにはしない。合言葉より、漏れる面を減らせます」


 部屋の空気が少し変わった。

 完全な安心ではない。

 それでいい。

 完全な安心を口にする技術者は、だいたい危ない。


———

 小さな実演をすることになった。

 協力者は、王宮術士の若い女性だった。

 体内閉術の訓練経験があるらしい。

 この世界、古典研究の層が厚い。

 羨ましい。


 担当術士が問い札を一枚作る。

 同じ問い札は二度使わないよう、刻印とその場だけの印を混ぜる。

 私はそれを協力者へ渡した。


「合言葉は言わないでください」


「分かりました」


 協力者は指先を札へ添えた。

 目を閉じる。

 数息。

 淡い光が流れ、札の端に小さな応答印が浮かんだ。


 確認盤が光った。


認め


 部屋に低いざわめきが起きた。


「合言葉を聞いていません」


 私は言った。


「次に、今の応答印だけを写して、別の問い札へ押します」


 写しを作る。

 別の問い札へ押す。


不一致


「応答印は使い回せません」


———

 さらに試した。


 協力者に何もしないで手を置いてもらう。

 確認盤は光らない。


無応答


 次に、外から術士が軽く起動を命じる。

 光らない。


無応答


「接触だけでは動きません。外から命じても動きません」


 上役が息を吐いた。


「なるほど。秘密を見せずに済むのか」


「はい」


「しかも、毎回違う問いにだけ応じる」


「そうです」


 担当官が札束を見た。

 覗かれた合言葉。

 騙し取られた合言葉。

 使い回された合言葉。

 それらが急に古く見えたのだと思う。


 古く見えることは大事だ。

 人間は、古く見えたものをようやく手放せる。


———

 ただし、すぐ全置換は無理だ。

 それを言わない提案は、ただの夢になる。


 私は表示盤に書いた。


一、重要盤から試す

二、役所内の高権限から試す

三、市民向け盤は希望者から始める

四、合言葉は当面残す

五、意志起動の検査を必ず行う


「王都全体を明日変えるのは無理です」


 上役が頷いた。


「だろうな」


「まずは重要盤と役所内の高権限から試験導入してください。市民向けは、体内閉術を使える者から始める。訓練も必要です」


 担当術士が言った。


「異世界人のユウさんは」


「私は訓練中です。幼い頃から魔力制御に慣れている人の方が向いています」


 少し笑いが起きた。


「つまり、これは私だけの便利術ではありません。王都側の古典研究と、現場の術士が進めるべきものです」


 ルドーが言った。


「橋を架けろ」


 短い。

 だが、今日はその通りだった。


———

 上役はしばらく黙っていた。

 窓の外で、列の声がまだ続いている。

 怒りは消えていない。

 消えるはずもない。

 漏れた情報は、漏れなかったことにはならない。


「合言葉を長くするだけでは足りない、か」


「はい」


「すぐ全置換は無理だが、試す価値はある」


「あります」


「重要盤と役所内の高権限から、体内閉術を使った認め方の検討を始めます。古論文の写しを正式に提出してください」


「分かりました」


 担当官が言った。


「市民への説明は」


「今日の被害説明とは分けてください。まず謝罪と復旧。新しい認め方の話は、試験導入の準備が整ってからです」


 技術の話で謝罪を薄めてはいけない。

 それをやると、だいたい炎上する。

 火に油を注ぐのが好きな人類は多い。

 最悪だ。


———

 復旧作業に入った。

 リゼが被害札を整理する。


「リゼ、覗き見、聞き出し、使い回しで分けて」


「わかった」


 担当者たちは本人確認を取り直す。

 差し替えられた申請を元へ戻す。

 閲覧された記録を隔離し、該当者へ連絡する。

 合言葉は一時的に変える。

 ただし、長さを増やして終わりにはしない。


 応急処置は応急処置だ。

 それを恒久対策の顔にしてはいけない。


 窓口の列は少しずつ進んだ。

 怒りは残った。

 だが、怒りが説明を聞く形になった。

 それだけでも、現場では大きい。


———

 夕方、上役がもう一度確認盤の前に立った。

 問い札を出す。

 協力者が応答印を返す。

 確認盤が光る。


認め


 次の問い札。

 別の応答印。

 また光る。


認め


「毎回違うのに、本人だと分かる」


 上役が言った。


「合言葉を聞かないのに」


「はい」


「長く見れば、合言葉よりましだな」


 ようやく、その言葉が出た。


 ルドーが短く締めた。


「口先から切り離せ」


 王都の認め方は、少しだけ次へ進むことになった。


———

 夜、リゼの家へ戻る頃には、雨は上がっていた。

 道の石が月明かりで薄く光っている。

 台所には、昼に残した豆の煮物が温め直されていた。


「今日は合言葉が壊れたの」


「壊れたというより、漏れた」


「水桶みたいね。桶を重くしても、穴が空いてたら漏れる」


「そう。だから桶を抱えて走る人を責めるだけでは足りない」


 リゼは器を置いた。


「秘密を教えるんじゃなくて、秘密を持ってるって証明だけ返す」


「そう」


「でも、眠ってる時でも勝手に使えたら意味ないものね」


「そこは意志起動で止める。本人が内側で応じないと動かない」


「人に毎回ちゃんと覚えさせるより、最初からそういう作りのほうがずっと優しそうね」


「優しいし、たぶん強い」


 リゼは少し笑った。


「たぶん?」


「完璧とは言わない」


「そこは言わないほうが信用できる」


 そういうものか。

 たぶん、そういうものだ。


———

 灯りを落としたあとも、確認盤の小さな光が頭に残っていた。


 合言葉は漏れる。

 見られる。

 聞かれる。

 騙し取られる。

 使い回される。


 それは人間が弱いからだけではない。

 秘密を口へ乗せ、相手へ渡す作りだからだ。


 秘密を渡さない。

 秘印は体内に閉じる。

 その場の問い札にだけ、応答印を返す。

 そして、本人の意思がなければ動かさない。


 王都の認め方は、口先の合言葉から少しずつ離れていくべきだった。

 強い秘密を人に背負わせるより、秘密を渡さずに済む仕組みへ移る。


 それは派手な魔法ではない。

 でも、人を少し楽にする。


 良い仕組みとは、たぶんそういうものだった。

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