第73話 節術局が、使えと言う日
節術局の朝は、いつもより騒がしかった。
紙を運ぶ音。
戸を開け閉めする音。
廊下で役人が早口に相談する声。
窓の外には、例の看板が立っている。
昼刻は、できれば使ってください。
通行人が今日も立ち止まっていた。
笑う者。
首を傾げる者。
真面目に読んで、さらに首を傾げる者。
人類は、矛盾に見えるものを見ると二度読む。
良い習性だ。
———
局長は表示盤の前で待っていた。
目の下が少し暗い。
昨日からずっと仕事一覧を見ていたのだろう。
「急がない重仕事を集めました」
卓の上に札が並んでいる。
図書庫の大規模複写
王宮記録の写し整理
学校の蓄記結晶の充填
大量集計
染め場の洗浄補助
倉の目録整理
さらに別の札。
朝の受付
昼の厨房
夕方の灯り台
緊急書簡
医療術具
「こちらは動かせません」
「分けたんですね」
「はい。昨日の話を聞いて、まず棚卸しをしました」
良い。
人間は一覧にすると、だいたい少しだけ賢くなる。
———
私は札を見た。
「まず、動かせない仕事を固定します」
朝、昼、夕、夜の刻を表示盤に並べる。
医療術具、緊急書簡、厨房、灯り台。
これは動かさない。
「次に、動かせる重仕事を昼刻へ寄せます」
図書庫の複写。
蓄記結晶の充填。
王宮記録の写し整理。
倉の目録整理。
札を昼へ動かす。
「染め場の洗浄補助は、昼の余り術勢が多い日だけ入れます。大量集計は締め日前だけでいい」
局長が書き取る。
「全部を毎日昼へ入れる必要はありません。余り方に合わせて、仕事の量も変えます」
役人の一人が眉を寄せた。
「節術と積極利用は、矛盾しないのですか」
「矛盾しません。どちらも、刻に合わせて回すための手です」
———
昼刻が近づくと、節術局の空気が少し硬くなった。
陽が強くなり、窓の桟が白く光る。
遠くの陽蓄場から流れてくる術勢の印が、表示盤の上で太くなっていく。
普段なら、ここで余りが出る。
外へ逃がす手順が動き、費えが積み上がる。
今日は違う。
「図書庫、複写開始」
連絡札が光った。
「学校、蓄記結晶の充填に入ります」
別の札が光る。
「王宮記録、写し整理を始めます」
表示盤の余り術勢の線が、少しずつ細くなった。
局長が息を止めて見ている。
「……減っている」
「使っているので」
「使ったほうが、ましなこともあるのか」
「あります」
当たり前のことを当たり前に見るまでが、だいたい長い。
最悪だ。
———
問題はすぐ出た。
図書庫から連絡が来た。
「複写台が詰まりました。昼に一斉に始めたので、紙運びが追いつきません」
学校からも来た。
「蓄記結晶の置き場が足りません」
染め場からは、もっと率直だった。
「急に昼に回されても、人がいない」
局長の顔が白くなった。
「やはり無理では」
「いえ。壊れない入力しか試していなかっただけです」
私は札を見直した。
「術勢だけを見ていました。紙、人、置き場も制約です」
ルドーが横から言った。
「制約を叱るな」
「並びを変えます」
———
まず、図書庫の複写を三つに分けた。
一斉に始めない。
紙運びの人員に合わせ、少しずつずらす。
次に、学校の蓄記結晶は、空き棚のある部屋へ先に移す手順を入れた。
充填だけでなく、置き場を先に作る。
染め場は毎日ではなく、作業員が揃う日だけ昼刻へ入れる。
代わりに、倉の目録整理を今日の昼へ回す。
表示盤の札を置き直した。
「余り術勢は、食わせて減らせます。ただし、口の大きさに合わせて食わせる必要があります」
リゼが隣で頷いた。
「鍋が大きくても、皿が足りなきゃ配れないものね」
「そういうこと」
———
二度目の昼刻。
陽は昨日と同じように強かった。
だが、節術局の部屋は昨日より静かだった。
図書庫の複写が一刻ずつずれて始まる。
学校の蓄記結晶は、置き場が空いてから充填に入る。
倉の目録整理は、余り術勢が最も太い刻にだけ動く。
表示盤の線が滑らかになった。
余り術勢は完全には消えない。
だが、外へ逃がす量は明らかに減っている。
朝夕の混雑も少し薄くなった。
夕方に押し込まれていた集計の一部が、昼に片付いているからだ。
局長が手元の帳面を見た。
「逃がし費えが、昨日の半分以下です」
役人たちがざわめいた。
「夕の灯り台への負担も下がっています」
「先送りの複写も進んでいます」
誰かが小さく言った。
「余る刻に寄せるだけで、ここまで違うとは」
———
看板を書き直すことになった。
ただ「使ってください」では足りない。
浪費してよいという意味に見える。
それは違う。
局長が筆を持った。
昼刻は、急がぬ重仕事を寄せてください。
余り術勢を活かす刻です。
通りに出すと、前より笑う人が減った。
代わりに、立ち止まって読む人が増えた。
商会の男が言った。
「倉の目録整理も昼に回せるな」
図書館の女が頷いた。
「複写の予約刻を変えます」
染め場の職人は腕を組んだ。
「人を昼に置ける日なら、使える」
看板が、珍文句から運用に変わった。
———
夕方、節術局の部屋で局長が深く息を吐いた。
「今まで、足りない時にどう我慢させるかばかり考えていました」
「足りない時の節術は必要です」
「はい。ただ、余る時の使い方を考えていなかった」
「余剰は困りごとではなく、置き場所を間違えた資源です」
局長はその言葉を書き留めた。
「節術局の標語にしても」
「やめた方がいいです」
即答した。
標語が増えると、だいたい現場の仕事が増える。
ルドーが少し笑った。
「不足を削るだけが知恵ではない」
局長が頭を下げた。
「余る刻に仕事を寄せるのもまた、知恵ですね」
———
帰り道、リゼと並んで歩いた。
夕方の空は薄い金色で、石畳には昼の熱がまだ残っている。
通りの店先では、昼に終えたらしい目録札を束ねている商人がいた。
「つまり、今まで『今ある刻に仕事を押し込む』しか考えてなかったけど、『仕事のほうを良い刻へずらす』って発想なのね」
「そう」
「節約しろって言うばかりじゃなくて、食べきれない時間にちゃんと食べさせるのも、結局は同じ家計の話か」
「かなり近い。余る刻に食わせれば、苦しい刻も楽になる」
リゼは空を見た。
「もっと遠くへ送る話もしてたわね。陽のある土地へ」
「日向追い。今回は王都の中だけだけど、いずれ必要になると思う」
「昼を追いかけて仕事するの、忙しそう」
「忙しい。けど、向いている仕事もある」
「家事も、晴れた日に洗濯を寄せるものね」
「世界はだいたい家事で説明できる」
「それはそう」
———
夜、リゼの家の台所は涼しかった。
昼の熱が壁から少し抜け、窓の外で虫の声がしている。
卓には冷たい茶と、薄く切った果物が置かれていた。
「疲れた顔」
「札を動かしすぎた」
「盤の上で動かしただけでしょう」
「現場では人も紙も棚も動く」
「それは大変だ」
リゼが果物の皿を押してくる。
「食べなさい。余ってるうちに」
「今それを言うのか」
「良い刻に使うんでしょ」
反論できなかった。
皿から一切れ取る。
冷たくて甘い。
「うまい」
「家計も術勢も、余ったら腐る前に使うのよ」
「本当にそう」
———
その夜、灯りを落としたあともしばらく考えていた。
不足時の節術だけが、制御ではない。
余る時の積極利用も、同じく制御だ。
自然の波は、消せないことがある。
陽は沈む。
風は止まる。
人は朝夕に動く。
なら、仕事の刻を変えればいい。
さらに大きく見れば、場所を変える手もある。
制約は敵ではない。
設計の目印にもなる。
波を叱っても、波は変わらない。
並びを変えた方が、たいてい早い。




