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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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第71話 その傷は、珍しくても軽くない

 大工房の検め室は、金属と油の匂いがした。

 高い窓から朝の光が落ち、長い作業台の上で算術盤の銀線が細く光っている。

 壁際には、納品前の盤がいくつも積まれていた。


 責任者は眠そうな目で私を見た。


「昨日も申し上げましたが、ごく一部です。大多数の使用には問題ありません」


「今日は、大多数ではなく、困る者の話をします」


 ルドーが横で腕を組んだ。


「始めろ」


 短い。

 責任も取らなさそうだ。


———

 作業台に紙を広げた。

 昨夜、学校の算術盤と王宮の練習盤で試した記録だ。

 目が痛くなるほど同じような数が並んでいる。


 人間は細かい表を見ると、だいたい嫌な顔をする。

 大工房の職人たちも例外ではなかった。


「まず、普通に使うと見つかりにくいのは事実です」


 いくつかの除しを盤へ通す。

 正しい答えが出る。


「だから、軽く見たくなる」


 次に、昨日見つけた型を入れた。

 盤が光り、答えを返す。

 手計算の答えと並べる。


 ずれている。


 職人の一人が顔を近づけた。


「……確かに、違う」


「もう一度」


 同じ型で、少し数を変える。

 また違う。


 さらに変える。

 また違う。


 ざわ、と部屋が揺れた。


———

「雑に使えば珍しいかもしれません。ですが、この盤を本気で使う者には珍しくない」


 私は紙の欄を指した。


「この型の除しを繰り返す測量師がいます。土地の境を細かく分ける者です」


 次の欄。


「財計で利の積み上げを見る者がいます。小さな違いが、月をまたいで残ります」


 次。


「研究計算で同じ型を何度も使う者がいます。答えの傾きが少しずつ変わる」


 責任者の口元が固くなった。


「しかし、誤差は」


「問題は誤差の大きさだけではありません」


 遮った。


「傷のある盤を、傷がないものとして売っていたことです。さらに、困る者だけ申し出ろと言ったことです」


———

 責任者は反論しかけて、黙った。

 別の職人が小声で言った。


「でも、本当にこの型だけなのか」


「まだ全部は分かりません」


 正直に言う。


「だからこそ、告知が必要です。分かっている型、確認中の型、困る使い方。まず利用者に知らせるべきです」


「そんなことをすれば、大工房の信用が」


「隠したあとで広がる方が、もっと信用を失います」


 部屋が静かになった。


 ルドーが言った。


「まれと軽いを混ぜるな」


 誰も返せなかった。


———

 午後には、学校の講堂に場所を移した。

 学者、測量師、財計官、術者たちが集まった。

 噂は早い。

 人類は不具合と無償交換の匂いに敏感だ。


 大工房の責任者も来ていた。顔色は悪い。


 私は同じ実演をした。

 普通の除し。

 正しい。


 特定の型。

 違う。


 別の数。

 また違う。


 講堂の空気が変わった。

 測量師の一人が立ち上がった。


「その型、うちで使う。川沿いの境を割るときだ」


 財計官が紙を握りしめた。


「利の分け計算にも近い型がある」


 学者が隣の者と早口で話し始めた。


「再現する。偶然ではない」


 ざわめきが、波のように広がった。


———

 報せ札が動いたのは、その夕方だった。

 術者と学者の間で回る技術の告知だ。

 誰かが検証結果をまとめ、誰かが別の盤で試し、誰かがまた札を回した。


 翌朝には瓦版にも載った。


高級算術盤に除し傷

特定の使い手に実害

大工房、個別対応に批判


 王都の通りで、その見出しを見たとき、私は少し胃が痛くなった。

 望んで火をつけたわけではない。

 だが、火がつく燃料を積んだのは大工房の初動だった。


 最悪だ。


———

 大工房の前には、利用者が集まっていた。

 怒号ではない。

 もっと厄介な、静かな圧だった。


「この盤で測量した土地を、どう扱えばいい」


「うちの帳簿は見直しになるのか」


「困る者だけ申し出ろと言ったが、困るかどうかを調べる手間は誰が持つ」


 責任者は一人一人に頭を下げていた。

 極悪人ではない。

 ただ、初動を間違えた人間の顔だった。


 人類は間違える。

 問題は、そのあと椅子にしがみつくか、立って頭を下げるかだ。


———

 昼過ぎ、大工房は告知を出した。


除し傷のある算術盤を無償で交換する。

既納品も引き取る。

確認済みの型と調査中の型を公開する。

困る者だけでなく、対象の盤を持つ者すべてに知らせる。


 読み上げられると、通りの空気が少し緩んだ。


 責任者が前に出た。

 顔は青かったが、声は逃げなかった。


「盤を信じて使ってくださった方々に、傷の重さを軽く扱う告知を出しました。申し訳ありません。大工房として、引き取りと交換を行います」


 深く頭を下げた。


 誰かがため息をついた。

 怒りが全部消えたわけではない。

 ただ、進む場所ができた。


———

 作業場の奥で、職人たちが交換用の盤を検め始めた。

 銀線を照らし、石板を外し、除しの型を一つずつ通している。

 派手な解決ではない。

 地味で、遅くて、目が疲れる。

 だが、だいたい本当に効く仕事はそういうものだ。


 責任者が近づいてきた。


「ユウさん」


「はい」


「最初から、こうするべきでしたか」


「少なくとも、困る者に証明を押しつけるべきではありませんでした」


 責任者はうなずいた。


「傷そのものより、扱いを誤りました」


「はい」


 今度はルドーに怒られなかった。


———

 夕方、学校へ戻る道で、ルドーが言った。


「小さい傷ほど、火が大きい」


「軽く見られた側が、自分で証明するしかなくなるからです」


「責任は大工房が取る」


「今回は本当に取りますね」


 ルドーは少しだけ口の端を動かした。


「現場こそ授業だ」


 それで締めた。


 便利な言葉である。

 責任は取らないが。


———

 夜、リゼの家に帰ると、台所から煮込みの匂いがした。

 窓の外は暗く、硝子に部屋の灯りが映っている。

 椅子に座ると、体の疲れが遅れて来た。


「顔が細かい数字になってる」


「どんな顔だ」


「食べにくそうな顔」


「最悪だ」


 リゼは皿を置いて、向かいに座った。


「交換になったのね」


「なった。時間はかかるけど、少なくとも告知と引き取りは始まる」


「こういう傷が見つかっても、盤ごと取り替えなくても済むようになればいいのにね」


 私は顔を上げた。


「中の細かい作法だけ差し替える、みたいな?」


「そう。家の柱を全部抜くんじゃなくて、きしむ蝶番だけ替えるみたいに」


「できる傷と、できない傷があるんだろうな。でも、そうなれば楽だ」


 リゼはうなずいた。


「傷が見つかるたびに家ごと建て直していたら、暮らせないもの」


「本当にそう」


———

 食事のあと、少しだけ外の音を聞いていた。

 遠くで荷車が通り、誰かの笑い声が短く流れて消えた。


 高級で速い盤にも傷はある。

 小さい誤りと小さい問題は同じではない。

 まれに起きることと、無視してよいことも同じではない。


 大事なのは、無傷を信じ込むことではない。

 傷が見つかったとき、誰にその重さがかかるのかを見ることだ。


 そして、軽く見られた人間が丁寧に積み上げた証明は、ときどき大きな工房の見積もりをひっくり返す。

 それは少しだけ、悪くない話だった。


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