第65話 同情はできる。だが継ぎ札庫を刺すな
朝、学校へ向かう途中で使いが走ってきた。
ルドーの弟子だと名乗ると、男が足を止めた。
「王宮の書簡術具が動かなくなっています。今朝から」
「今すぐですか」
「できれば」
———
廊下を歩いていると、ルドーが先に来ていた。
「同じか」
「学校側でも書簡術具が止まっています。昨日の授業の後で差し替えをした担当者がいて、今朝から送れなくなったと」
「王宮側はいつからですか」
「一時ほど前から。商会から問い合わせも来ているそうです」
ルドーが静かに言う。
「昨日の継ぎ札か」
「確認します」
———
担当者に書簡術具の様子を見せてもらった。
書簡は送れる。しかし送った後、術具が重くなる。少しずつ反応が遅くなる。しばらくすると別の術具にも影響が出始める。
「いつ差し替えましたか」
「昨夜です。継ぎ札庫から通達が来ていたので、言われた通りに」
「書簡送り継ぎ札の新版ですか」
「はい。それ以外には何もいじっていません」
———
頭の中で繋いだ。
王宮。学校。商会。それぞれで同じ症状が起きている。昨日、同じ継ぎ札の新版が配られた。昨日の授業でちょうど話したことが、今朝実際に起きている。
「隔離場を借りられますか」
担当者が少し怪訝な顔をした。
「隔離場、ですか。今この術具を直すのでは」
「先に確かめます。続けて差し替えを広げないでください。他の部署にも伝えてください」
———
王宮の端に隔離場がある。新しい術具を本番の術につなぐ前に試す場所だ。ふだんはあまり使われていない。
書簡送り継ぎ札の新版を隔離場へ持ち込んだ。
組み込んだ。
動かした。
書簡が一通、送れた。
もう一通。送れた。
その直後、隔離場の術具が別の場所へ呼びかけを始めた。
———
誰に呼びかけているか追った。
呼びかけ先は、王都の外だった。
書簡の写しを、誰かに送っていた。
「…………」
次に、組み込み時の動きを追った。
継ぎ札が組み込まれるとき、裏でさらに別の継ぎ札を引いていた。重さが増す継ぎ札だった。積み重なれば、術具が遅くなる。
———
書簡術具の担当者を呼んだ。
「書簡が届いてはいますか」
「届いています。ただ術具が重くなってきていて」
「書簡の中身が写されています。組み込まれた継ぎ札が、余計な場所へ送っています」
担当者が顔を硬くした。
「……それは、仕込み、ということですか」
「仕込み札です。見た目は正常な書簡送り継ぎ札ですが、内側で別の術を動かしています」
———
ルドーに報告した。
「仕込み札か」
「そうです。書簡の写しを外へ流し、裏から余計な継ぎ札を引いて術具を重くしています。継ぎ札庫から配られた新版に入っていました」
「継ぎ札庫から」
「昨日の通達で配られたものです。差し替え記録も説明もなく通達が来た。今朝、王宮と学校と商会で同じ症状が出た。全部昨日の新版を受け入れた所です」
「継ぎ札庫へ行く」
「行きます」
———
継ぎ札庫は王都の中央にある。王都全体で使われる共通継ぎ札を管理し、新版の配布を行う場所だ。
庫長と担当者が出迎えた。
「今朝から苦情が来ていて、困惑していたところです。書簡送り継ぎ札の件ですか」
「そうです。昨日配布された新版に仕込み札が入っています」
「仕込み、ですか。それは」
「隔離場で確認しました。書簡の写しを外へ送り、余計な継ぎ札を引いています。昨日、差し替えを行った全ての所で今朝から症状が出ています」
———
庫長の顔が変わった。
「そんなことが……差し替えは誰が確認したのですか」
担当者が記録を取り出した。
「昨日の通達は……補佐が出しています。庫長の印はありません」
「私は……昨日は不在でした。補佐が代理で動いたということか」
「補佐が差し替え記録も説明もなく配布を行い、仕込み札が入った版を王都じゅうに配ったということです」
———
補佐は若い男だった。呼ばれて来たとき、すでに逃げる様子がなかった。
部屋に入り、椅子に座り、少し俯いた。
「分かっています。私がやりました」
———
静かに聞いた。
「理由を話してください」
「……ここ一年、何度も書いたんです。書簡送り継ぎ札の差し替え管理が甘いと。誰でも版を上げられて、署印の確認が雑で、検めの手順もない。このままだと、いつか誰かが仕込み札を紛れ込ませる。そう書きました」
「聞かれなかった」
「庫長に若造扱いされました。神経質だと。実害が出るまでは変えない、と言われました」
———
補佐が少し顔を上げた。
「だから、起こしたんです。一度痛い目を見れば、やっと改まると思って。王都を壊したかったわけじゃない。壊れる場所を見せたかっただけです」
黙って聞いた。
「……誰も聞かなかったんです」
———
「話は分かりました」
少し間を置いてから言った。
「あなたの警告は正しかった。継ぎ札庫の管理が甘いという指摘は当たっていた。それは認めます」
「…………」
「ただし」
はっきり言った。
「警告が正しかったことと、王都じゅうの術へ毒を流したことは、別の話です」
「でも他に手が」
「あなたは危険を示したんじゃない。危険を作ったんです。今、王宮で学校で商会で、書簡が流れています。その写しがどこへ行っているか、受け取った者は知らずにいます。これがあなたの望んだことですか」
補佐は答えなかった。
「聞かれなかったのは気の毒です。ですが、皆が通る橋板を抜いていい理由にはなりません」
———
ルドーが口を開いた。
「同情はできる。だが継ぎ札庫を刺すな」
一言だった。
「正しさを証明するため壊した時点で、おまえは札守ではない」
———
補佐は連行された。
部屋に庫長と担当者が残った。庫長は黙ったまま椅子に座っていた。
「庫長」
呼ぶと、顔を上げた。
「補佐は罪を犯しました。ですが、警告を握りつぶしながら、その者に継ぎ札庫の鍵を持たせ続けた側も、無傷ではいられません」
「…………」
「王都を刺したのはこの一人です。ですが、その刃を研がせたのは、危険を『うるさい』で済ませた管理のほうです」
———
庫長が長く息をついた。
「……その通りです。若い補佐の警告を、未熟さゆえの騒ぎと軽く見ました。継ぎ札庫を預かる者として、見落としでした」
「認めてもらえましたか」
「認めます。差し替えの記録、警告の受け止め、検めの手順。いずれも、預かる側の詰めが足りませんでした。責はあります」
———
「では改善の話をします」
板書を借りた。
仕込み札を防ぐための手順
一、差し替えの記録を厳密化する
・誰が、いつ、何を変えたかを必ず残す
・庫長印のない差し替えは止める
二、重要な継ぎ札は新版を即飲みしない
・一定期間、隔離場で試す
・問題がないと確かめてから本番の術に配布する
三、固定継ぎ札束を使う
・各所が勝手に最新版を引かない
・承認済みの版の組みを使う
四、裏で引いている継ぎ札を見える化する
・一枚借りたつもりで、その下に何枚続いているかを記録する
・組み込み時の動きを隔離場で確かめる
五、警告を記録に残す仕組みを作る
・口頭でなく、書面で受ける
・若手からの警告を流す手順を設けない
「この五つを手順に落とし込んでください。謝るためでなく、守るために使う体制を」
———
ルドーが言った。
「認めたなら直せ。継ぎ札庫は、謝るためでなく守るためにある」
庫長が頭を下げた。
「継ぎ札の差し替えは、以後すべて記録を二重に残します。若手からの警告も、口頭で流さず書面で受けます。重要な継ぎ札は、隔離場を通してからしか本番へ戻しません」
「責を知ったなら、次は手順に刻んでください」
———
各所の仕込み札は、その日のうちに取り除いた。
旧版へ戻し、隔離場で確認した清潔な版へ差し替えた。王宮、学校、商会、観光局。順番に。
書簡が止まった時間は半日ほどだった。
———
夕方、廊下でリゼに会った。
「もう落ち着いた?」
「落ち着いた」
「すごいことになってたね。学校でも書簡が止まって、授業中の問い合わせが全部詰まって」
「ごめん、迷惑かけた」
「謝られても困るよ」
リゼが少し笑った。
———
「どういうことだったの」
「補佐が仕込み札を継ぎ札庫に入れた。継ぎ札庫の管理が甘くて、誰も気づかずに王都じゅうへ配布された」
「補佐が。なんで」
「管理が甘いという警告を無視され続けたから。一度実害で証明してやると思った」
リゼが止まった。
「それは……複雑だね」
「複雑だ」
「警告は正しかったんでしょ」
「正しかった。ただし、やったことは許されない」
———
しばらく歩きながらリゼが言った。
「つまり、王都じゅうが使ってる共通の蝶番に、一本だけ細工をされたみたいなものか」
「そう」
「気の毒な事情があっても、皆が通る橋板を抜いた。それはもう言い訳できないわね」
「言い訳できない」
「庫長はどうなったの」
「責任を認めた。管理を直すと言った」
「それで十分?」
「十分かどうかは、これから手順を守るかどうかで決まる。今日は始まりだ」
———
夜、リゼの家に戻った。台所から焼き葱の匂いがした。
「おかえり。今日は本当に長かったんじゃない」
「長かった」
「座って。温め直すから」
———
煮物を温めながら、リゼが言った。
「補佐の人は、どうなるのかな」
「罰せられる。王都じゅうの術を危険にさらした。それは変わらない」
「でも、警告を無視した側も責任を取るんでしょ」
「取る。両方に手を入れないと前には進まない。補佐だけ裁いて管理が変わらなければ、同じことがまた起きる」
「管理が変わっても、補佐の人はもう戻れない」
「戻れない」
———
リゼが皿を置いた。
「悲しいね。正しいことを言っていたのに」
「正しい問題意識があっても、壊し方が間違っていた。それは別々のことだ」
「分かってる。ただ、悲しいと言いたかった」
「そうだね」
———
焼き葱に甘い汁が染みていた。温かく、少し甘かった。
共通継ぎ札は便利だ。皆が使えるから便利で、皆が使うから一枚の破壊力が大きい。便利さと脆さは同じ根から来る。
信じ方を決めることと、差し替え方を決めることは、別々にできない。どう信じるかと、どう差し替えるかは、同じ管理の話だ。手順がなければ、信じることができても管理できていない。管理できていなければ、補佐のような者が入り込む場所ができる。
補佐の警告は正しかった。そして補佐のやったことは越えてはならない線を越えた。この二つは同時に成り立つ。どちらかを消してはいけない。
庫長は責任を認めた。管理を直すと言った。それが言葉で終わるか、手順になるかは明日以降の話だ。
今日、継ぎ札庫が正直になった。それで十分だった。




