第64話 便利な継ぎ札ほど、刺さると広く痛む
今日の授業には、机の上に何も置いていなかった。
板書の準備だけある。学生たちが席に着いて、それに気づいた。
「今日は何を見せるのですか」
ルドーが手を挙げた。
「まず問いを立てる」
———
「術者が皆、同じ継ぎ札を借りて術を書く。その継ぎ札が一枚、悪いものへ差し替わったらどうなる」
学生たちが顔を見合わせた。
「有名な継ぎ札なら信用できるのでは。皆が使っているうちに問題が出れば気づきます」
「人気がある継ぎ札が安全だとは言い切れません」
「では、使う前に中を見ればよい」
「見ますか。全部を」
「……全部は難しいですが、大事な部分は」
「どこが大事な部分か、事前に分かりますか」
沈黙があった。
「一度信用した継ぎ札は、差し替わっても同じと思って使い続けます」
「差し替わったとき、それに気づかなければ」
「……気づかない、かもしれません」
「新しい版が出たらすぐ差し替えればよい。古い版より安全なはずだ」
「新しい版が安全だという保証はありません」
「では逆に、心配なら差し替えなければよい」
「差し替えないと、古い版の傷を抱え続けます」
六つ出たところで、ルドーが私を見た。
「ユウ」
「はい」
「はいは一回だ」
講堂が笑った。
———
前に立った。
「継ぎ札から話します」
板書した。
継ぎ札とは
一、術者が自分で書かずに借りて使う、仕上がった部品札である
二、書簡送り、帳面管理、記録整え、外国文字均し、など用途は様々
三、誰でも同じものを借りて使えるため、広く普及する
四、一から書く手間が省け、よく試された部品を活かせる
「一から書かないでいいのは便利です。試された部品を使うのは合理的です。継ぎ札は便利だから皆が使う」
———
学生が手を上げた。
「でも、わざわざ借りなくても、それぞれ自分で書けばいいのでは」
「書けます」
少し間を置いた。
「試しに考えてみましょう。書簡送りの処理を、王宮も学校も商会も、それぞれ自分で書いたとします」
板書した。
それぞれが自分で書いたとき
一、書簡送りの処理が三つできる。それぞれ微妙に違う
二、一つで傷が見つかっても、残りの二つには知らせないと直らない
三、一つで改善があっても、残りの二つには届かない
四、新しい術者が入るたびに、同じ書き方を一から覚える必要がある
五、結果として、同じ傷を持つ実装が王都に散らばる
「全部を自分で書く方が自由に見えます。しかし、同じ処理を何か所にも書き、同じ傷を何か所にも持ち、直すときも何か所も直す。しかも直し忘れが起きる」
ルドーが言う。
「継ぎ一枚が直れば、使う者全員が直る」
「そうです。共通の継ぎ札が一枚直れば、借りている全ての術がその恩恵を受けます。それぞれが別々に書いていれば、三つあれば三つ全部直さなければならない。直し忘れたものは傷を抱えたまま残る」
「それは確かに、共通にした方が楽ですね」
「楽で合理的です。だから皆が使う。継ぎ札を使うこと自体は間違いではありません」
———
「ところが」
板書を続けた。
皆が使うことの意味
一、王宮、学校、商会、観光局が同じ継ぎ札を使っている
二、その継ぎ札が汚染されたとき、被害は全部に飛ぶ
三、小さな部品でも、広く使われていれば影響は大きい
四、便利な継ぎ札ほど、刺さると広く痛む
「一枚の継ぎ札が差し替わるだけで、王都じゅうの術が一度に影響を受ける可能性があります」
リゼが手を上げた。
「つまり、皆が同じ便利道具を使ってるから、その道具が一本おかしくなると、皆いっぺんに転ぶのね」
「そうです」
———
「では実際に、書簡送り継ぎ札を例に説明します」
板書した。
書簡送り継ぎ札の正常な動き
一、書簡の内容を受け取る
二、送り先の帳面を引く
三、書簡を送り先へ届ける
四、完了を告げる
「これが正常な動きです。単純です。だから皆が使う」
———
「仕込み札は、この動きに余計なことを足します」
板書した。
仕込み札の動き(見た目は同じ)
一、書簡の内容を受け取る
二、送り先の帳面を引く
三、書簡を送り先へ届ける ← ここまでは同じ
四、書簡の写しを、余計な場所へ送る ← これが増えている
五、完了を告げる
「見た目の結果は変わりません。書簡は届く。ただし写しが余計な場所に流れている。あるいは、余計な継ぎ札をさらに呼び込む。余計な印を残す。どれも外からは見えにくい」
「内側を見ないと分からない」
「そうです。動いているから問題ないとは言えません」
———
別の学生が言う。
「受け取るときに中を見ればいいのでは」
「どこまで見ますか」
「……全部、でしょうか」
「継ぎ札が別の継ぎ札を引いていることがあります。その下にさらに別の継ぎ札が連なっていることもある。一枚借りたつもりで、裏では何枚もの継ぎ札が連なって動いています」
「全部は見きれない」
「量によっては見きれません。だから、どこを見るかを決めることが大事です」
———
板書した。
継ぎ札を借りるときに確かめること
一、誰が差し替えたか
二、いつ差し替わったか
三、何が変わったか
四、裏でさらに引いている継ぎ札がないか
五、重要な術へ入れる前に、隔離場で試したか
「全部を詳しく見るのは難しいですが、この五つを確かめる手順を持っているかどうかが、持っていないかの差は大きいです」
———
「次に、差し替えの話をします」
板書した。
差し替えの板挟み
一、新版をすぐ飲む
→ 新版に仕込みが入っていたとき、すぐ踏む
→ 出たばかりの版は、問題が出るまで時間がかかる
二、差し替えを寝かせる
→ 数日から一週ほど待つ
→ 問題が出れば先に踏んだ者が気づいてくれる
→ 重要な術へ入れる前に様子を見られる
三、しかし、古い版に傷が見つかったとき
→ 寝かせることが毒になる
→ 既知の傷を抱えたまま待つことになる
「新しい札をすぐ飲まぬのは臆病ではありません。王都の術を守るための間です。ただし、古い札に穴が見つかった時は、その間が毒にもなります。だから常に即差し替えも、常に寝かせるも雑です」
———
リゼがうなずいていた。
「新しい札をすぐ飲まないのは臆病じゃなくて、王都の術を守るための間ってことか」
「そうです」
「でも古い版に穴が見つかったら、待ってる場合じゃない」
「だから決め方が要ります。どの更新は急ぐべきか、どれは寝かせられるかを分けて考える必要があります」
———
板書した。
差し替えの作法
一、急いで塞ぐべき傷が見つかった更新
→ 速やかに差し替える。ただし、隔離場で先に試す
二、機能追加や小改善の更新
→ 数日から一週ほど寝かせる
→ 問題報告がないか確認してから入れる
三、重要な術への継ぎ札
→ 固定継ぎ札束を決め、勝手に最新を引かない
→ 承認済みの組みだけを使う
四、新しく採用する継ぎ札
→ 隔離場で組み込み時の動きを確かめる
→ 余計な術を起こさないか、余計な継ぎ札を引かないかを見る
「どれも手間です。しかし手順を持たないよりはずっとましです」
———
「まとめます」
板書した。
継ぎ札の信頼管理
一、継ぎ札は便利。使うこと自体は悪ではない
二、だが、便利な継ぎ札ほど広く使われ、刺さると広く痛む
三、部品を信じるな、ではない。信じ方を決めるのだ
四、差し替えにも作法が要る。急ぐべきと寝かせるべきを混ぜるな
五、信頼は気分ではなく、確かめる手順で管理する
「最後にルドー先生に締めていただきます」
「急ぐべき更新と、急ぐと危うい更新を混ぜるな」
短く、はっきりと言った。
———
授業が終わり、廊下を歩いていると、担当者が走ってきた。
学校の運営を支える担当者で、顔見知りだった。
「ユウさん。継ぎ札庫から通達が来ていまして」
「何の通達ですか」
「書簡送り継ぎ札の新版が出たそうです。各所で差し替えを始めてよいとのことで」
「……いつ出たのですか」
「今朝です」
少し止まった。
「差し替え記録と、何が変わったかの説明は届いていますか」
「……え、そういうものが来るのでしたか。届いている分には何も添付が」
「継ぎ札庫への確認はどうやってしますか」
「足を運ぶか、書簡で問い合わせるか……」
———
夜、リゼの家に戻った。台所から煮豆の匂いがした。
「おかえり。今日は顔が難しいね」
「少し引っかかってる」
「授業の内容でしょ。聞かせて」
椅子に座りながら話した。
「今日の授業で、書簡送り継ぎ札を例に使った。皆が同じ継ぎ札を使っているから、一枚差し替わると広く影響が出るという話だ」
「うんうん」
「その授業の帰り道に、その書簡送り継ぎ札の新版が今朝出たと聞いた」
リゼが手を止めた。
「それは、たまたまの重なり?」
「そうかもしれない。ただ、差し替え記録も何が変わったかの説明も届いていなかった。皆がそれを普通の差し替えとして受け入れようとしていた」
———
「どこかおかしい?」
「継ぎ札庫の管理が丁寧ではないと感じた。それだけかもしれない。ただ、今日の授業でちょうど話したことそのままだったから」
「何を確かめるの」
「明日、継ぎ札庫へ行って差し替えの記録を見せてもらう。それだけだ」
「それで問題なければよし、何かあれば早い方がいいしね」
「そう」
———
煮豆は柔らかく、味がよく染みていた。
継ぎ札の便利さは、誰でも同じ部品を使えることにある。書かなくていい。試されている。積み重なった改善がそのまま使える。
しかし、皆が同じものを使うとき、その一枚に傷が入ると傷も広く広がる。使い方の便利さが、広がり方の速さでもある。
差し替えの管理が緩いことと、差し替えが頻繁なことは別の問題だ。管理が緩いまま差し替えが続けば、入った傷に気づかないまま広まる。
明日、何も出てこなければそれでいい。ただ、確かめない理由がなかった。




