第62話 雲をつかむような話だが、使える
ルドーが教卓の端に立った。
「問いを立てる」
———
「強い術台を自前で買わずとも、遠方の大きな術場の力を、必要なときだけ借りられるとしたら。それは何を得て、何を失う」
学生たちがざわめいた。
「借りる、とはどういうことですか。術台を」
「自前でないなら、いざというとき使えないのでは」
「見えないところにある術場を、どう信用する」
「海の向こうに術を預けるようなものでしょう」
「そんな都合よく増やしたり減らしたりできるものですか」
五つほど出たところで、ルドーが私を見た。
「ユウ」
「はい」
「はいは一回だ」
講堂が笑った。
———
前に立った。
板書した。
自前術場と借り場の違い
自前術場
・常に使える
・費用は固定
・急に仕事が増えても台数は変わらない
借り場
・必要なときだけ借りる
・費用は使った分だけ
・急増にも急減にも対応できる
「どちらが良いかではありません。仕事の性質によります」
———
「固定の仕事には自前術場が向きます。費用が読めるからです。しかし一時的に大きな仕事が来たとき、自前術場では足りない。増やそうにも時間も金もかかる」
「借り場ならすぐ増やせるのですか」
「借り場はそのためにあります。すぐ起こせる、すぐ返せる。これが利点です」
———
板書を続けた。
借り場の利点
一、自前で巨大術台を抱えなくてよい
二、必要なときだけ借りられる
三、急に仕事が増えてもすぐ増やせる
四、試し運用がしやすい
五、一時的な仕事に特に向く
「ただし、注意があります」
———
別の板書。
注意
一、借りるのが簡単すぎると、増やす判断が軽くなる
二、返す責任が曖昧になる
三、課金は静かに積み上がる
「便利さは、片付けを忘れさせます」
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ルドーが腕を組んで言った。
「便利なものほど、怠けの居場所になる」
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授業が終わって廊下に出たところで、使いの者が待っていた。
「ユウさん、王宮の会議所へ来ていただけますか。原生林社の使節がお見えになっています」
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王宮の第二広間に、見慣れない顔があった。
洗練された長衣を着た三人の男女。腰に細長い革鞄をさげ、立ち姿に迷いがない。
向かいの席には、王都の重役たちが並んでいる。術務を束ねる長官。会計局の副局長。それから何人か。
私は端の席に座った。
———
原生林社の女使節が立ち上がった。流暢だが少し癖のある言葉で話す。
「本日はお時間をいただき、光栄です。遠路参りましたのは、服務的魔術をご紹介するためです」
「服務的魔術とは」
「一言で申しますと、遠方の大術場を必要なときだけお借りいただける仕組みです。強い術台を自前でお持ちにならなくとも、私どもの術場からお使いいただけます。お使いになった時間分だけご請求します。刻み課金と申します」
———
重役の一人が言った。
「雲をつかむような話ですなあ」
使節は微笑した。
「雲、ですか。よい言い方です。私どもも気に入っています。雲は遠くにありますが、水は届きます。つかまなくてよいのです。頼めばよい」
重役がわずかに笑った。
「なかなか言いますな」
———
「実演をご覧ください」
使節が革鞄から道具を取り出した。平たい石板のようなもので、細かい術文様が刻まれている。
「こちらで、原生林社の術場と繋げます。今からその一角を、一時術台として起こします」
石板に術を流した。
しばらく待つ。
石板が淡く光った。
「起こしました。一時術台、一基。借り料は今から積み上がります」
「今のは……どこかで術台が立ったということですか」
「はい。王都から遠く離れた場所にある私どもの術場で、今この瞬間から稼働しています」
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使節が石板を通して、遠方の術台に術を走らせた。何かを計算させている。
「結果が返ってきました。九十四息で」
重役たちが顔を見合わせた。
「本当に動いているのか」
「動いています。こちらで指示を出し、向こうで処理し、結果が返ってくる。今まで自前の術台でしていたことが、遠くの術台でできます」
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「では閉じます」
光が消えた。
「閉じました。借り料はここで止まりました」
「どのくらい溜まりましたか」
「今の実演の分だけです。ごくわずかです」
重役が膝を打った。
「使った分だけか。これは確かに便利だ」
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私は手を上げた。
「一つ聞いてよいですか」
「もちろん」
「今閉じた一時術台、返し忘れたらどうなります」
使節が一瞬だけ表情を変えた。次の瞬間には穏やかな顔に戻っている。
「閉じなければ、借り料が積み上がり続けます。止めるまで」
「誰かが起こしたまま別の仕事に移って、それきり忘れたとしても」
「積み上がります」
「誰が何基起こしているか、どう把握します」
「帳や見張り術を用意しております。管理の作法を設けていただくことをお勧めします」
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もう一つ聞いた。
「借り保管庫はどうですか。空のまま放っておいたら」
「存在するだけで借り料がかかるものもあります」
「動いていなくても」
「はい。場所を確保している以上は」
重役たちが少しざわめいた。
「それは……覚えておかないといけませんな」
「はい。管理の作法は必要です」
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会議が終わって、廊下に出た。
先ほどの女使節が声をかけてきた。
「ご指摘、ありがとうございました。管理の作法についてのご質問、多くの導入先で同じ疑問が出ます」
「実際に問題になったことは」
「……あります。起こしっぱなし、片付け忘れ、誰のものか分からない術台が残る。それで思わぬ請求になるケースは、正直よく見ます」
「管理の道具も提供していると言っていましたが、それを使うかどうかは利用側次第ですね」
「そう言っていただくのが正確かと思います」
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その夕方、王都の各部署に通達が出た。
試験的に服務的魔術を導入する。
対象は、観光局の来訪者集計術、王宮の一時保管庫、術務室の臨時実験台、図書札の一時複写保管の四箇所。
各担当者は概ね好意的だった。
「これは便利だ」
「すぐ起こせるのか」
「試しの術台が一瞬で立つとは」
大好評だった。
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夜、リゼの家に戻った。台所から春菜の炒め物の香りがした。
「おかえり。今日の原生林社の人たち、どうだった」
「技術は本物だ」
「どんな感じ」
「遠方の大術場の術台を、必要なときだけ借りられる。使った時間の分だけ払えばよい。強い術台を自前で買わなくてよい」
リゼが少し考えた。
「つまり、自前で鍋も竈も持たずに、必要なときだけ大食堂の席と火口を借りるみたいなものね」
「そうだ」
「確かに便利だけど……借りっぱなしで帰ったら翌月の請求が来る感じね」
「それが一番の問題だ」
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「王都、ちゃんと返せるかな」
「どうだろう」
正直に言った。
「管理の作法を先に決めないと、後で請求が牙をむく。今日の通達にはそこが書いていなかった」
「心配だね」
「そうなると思う」
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炒め物はやや火が通りすぎていたが、香りは良かった。
服務的魔術は本物だ。遠方の巨大術場を、必要なときだけ借りられる。自前で抱えなくてよい。急増に強い。試しに動かしやすい。これは革命的な便利さだ。
しかし、借りるのが簡単であることと、返すのを忘れないことは、別の話だ。
便利さは判断を緩める。緩んだ判断は、片付けを後回しにする。後回しにした片付けは、静かに課金を積み上げる。
抱えるな。借りろ。だが借りたままにするな。
この順番が守れるかどうかが、服務的魔術を使いこなせるかどうかの全てだと思った。




