第59話 延命と解決を、同じ顔で呼ぶな
王国観光局の一室には、昨日と同じように帳面の束があった。
ただし今日の束は違う種類の行き詰まりだ。旅人の名簿ではない。宿屋からの苦情。商会からの問い合わせ。不正確認の依頼。外から届かなかった通信の記録。どれも根は一つに見えた。
「先にいくつか聞かせてください」
観光局の局長と担当者数名が向かいに座っている。
「どの問題から」
「全部から」
———
担当者が一枚ずつ説明した。
「まず宿屋予約術具の件です。外からの予約が届かないと宿屋側から言ってきています。外から呼びかけても応答がないと」
「予約術具には外印が直接割り当てられていますか」
「継ぎ門からの貸し替えです。他の術具と共有しています」
「次」
「商会間の記録の件です。取引の記録を追うとき、外印が複数商会で共有されていて、どの商会のやり取りか後から見えにくくなっています」
「記録に枝番と時刻と内印を控えていますか」
「……枝番は控えていますが、時刻と内印の対応は雑で」
「次」
「不正確認の件です。ある外印から不審なやり取りがあったと報告が来たのですが、その外印は複数の商会が共有していたため、どの商会の誰かまで追えていません」
「継ぎ門の記録は」
「時刻の精度が粗く、対応が取れていません」
ルドーが静かに言う。
「問題はいくつある」
———
「三つではありません」
指で数えた。
「問題は一つです。形が三つあるだけで」
「一つ?」
「貸し替えの代償が、雑な運用のせいで実害になっています。それだけです」
局長が少し黙った。
「三つの問題が、全部同じ根から出ているということですか」
「そうです。外印を共有すれば、外からの個別性は落ちます。記録が雑だと追跡もできなくなります。それを分かった上で運用していれば、あらかじめ対処できた話です」
———
板書した。
貸し替えの代償が噴く条件
一、外から直接呼ばれる必要のある術具を、共有外印に押し込む
二、継ぎ門の記録に枝番・時刻・内印の対応が残らない
三、不正確認や記録追跡が必要な用途に、記録なしで使い回す
四、これらを「どうせ回っている」と見て見ぬふりをする
「四つ目が一番重いです」
担当者がその文字を見ていた。
「回っているから問題ない、と思っていた」
「回っているうちは問題が見えません。だから蓄積する。そして一度に噴きます」
———
「では今日どうするのですか。全部は直りませんよね」
「全部は直りません」
はっきり言った。
「今日やることと、長期でやることを分けます」
———
板書した。
当面の改善
一、継ぎ門の記録を厳密にする
・枝番、時刻、内印、外印の対応を全て控える
・遡れる期間を定め、古い記録を整理する
二、外から直接呼ばれる必要のある術具に、専用の外印を優先割当する
・宿屋予約窓口
・王国案内術
・緊急呼出し術具
など、外からの到達が前提になっているものは共有外印から出す
三、継ぎ門の枝番管理を整理する
・雑な使い回しをやめる
・枝番の重複を減らす
担当者が読みながら言う。
「宿屋予約術具への専用外印割当は、今から手配できますか」
「外印が余っていれば、今日でもできます。残り枚数を確認してください」
「……少ないですが、数枚は確保できそうです」
「重要なものから先に割り当ててください。全部に配れるほどはありません」
———
「記録の件は、過去に遡れますか」
「継ぎ門の記録が残っていれば遡れます。残っていなければ遡れません」
「今回の不正確認は」
「時刻の精度が粗かったと言っていましたね」
「はい」
「ある程度は絞れるかもしれません。ただし確実ではないです。残念ですが今回は追いきれない可能性があります」
担当者が少し沈んだ顔をした。
「それは仕方がないですか」
「記録がなければ追えません。記録をつけておかなかった結果です。以後はつけてください」
———
しばらくして、局長が言った。
「あの……継ぎ門の貸し替えをもっと増やせば、もう少し楽になりますか。外印をさらに効率よく使い回せれば」
「なりません」
「なりませんか」
「貸し替えを増やしても、外印の総数は増えません。一人ひとりの外から見た個別性はさらに落ちます。追跡も難しくなります」
「では……」
「根本の話をしてもいいですか」
———
板書を書き換えた。
長期の方針
一、根本は新式広印への移行である
・今の通し印の枚数の桁が違う
・一人に一つずつ外印を配れる規模になる
・個別性と直接到達性が戻る
二、ただし今日すぐには移れない
・古い術具が対応していない
・古い継ぎ門も対応していない
・切り替えには時間と費用がかかる
三、だから当面は貸し替えを続けつつ、増える分を新式広印で受ける
・既存は当面そのまま
・新設術具は新式広印対応を優先する
・重要設備から順に切り替えを進める
局長が少し黙ってから言う。
「つまり今の貸し替えは、あくまで延命なのですね」
「そうです」
「延命で回っているから、移行が先送りになる」
「先送りになっています。そして先送りしている間も、接続点は増え続けます。後になるほど移行の重さが増します」
「……分かりました」
———
担当者の一人が言った。
「正直に聞きますが、今の問題は貸し替えを使い始めたのが悪かったのですか」
「違います」
少し考えてから答えた。
「貸し替えは必要でした。外印が足りなくなったとき、全員に一枚ずつ配ることはもう無理でした。貸し替えで延命したのは正しい選択です」
「では何が悪かったのですか」
「貸し替えを延命策として使うのではなく、恒久策の顔で崇め始めたことです。回っているから直さなくていい、と。代償があることを忘れて、記録も管理も雑にしていった」
「延命策のまま使い続けるのは悪いが、延命策として使うのは悪くない」
「そういうことです」
———
リゼが昼過ぎに来ていた。観光局に用事があったらしく、帰りに廊下で会った。
「どうだった」
「まあまあ整理できた」
「全部解決したの」
「してない」
廊下を歩きながら話した。
「記録を整え、重要な術具に専用外印を割り当て、新設分は新式広印で受けることにした。今噴いている問題はある程度和らぐ。ただし根本は、新式広印へ全面移行するまで解けない」
「移行はいつ終わるの」
「長い。古い術具の対応、古い継ぎ門の更新、手間と費用。一気には終わらない」
「じゃあ当面はずっと貸し替えと共存するのね」
「そう」
リゼがしばらく考えてから言う。
「穴の空いた桶に、下から水を足してしのいでる感じか。止まりはしないけど、直ってもいない」
「そう」
「桶ごと新しくするのが本筋だけど、それは重い」
「重い。だから新しい水は新しい桶で受け、古い桶を少しずつ替えていくことになる」
———
夜、リゼの家に戻った。外は冷えていた。
「今日の終わり方は、すっきりしなかったんじゃない?」
「しなかった」
「でもそういうものか」
「そういうものだよ」
椅子に座って続けた。
「全部解決したわけじゃない。ただ、何が延命で何が解決かは言えた。回っているから問題ないと思っていた空気は剥がれた。それで十分だ」
「本筋が見えた、ということね」
「進む向きが分かれば、少しずつでも進める。本筋を知らないまま暫定策に乗り続けるより、ずっとまし」
———
茶を受け取った。温かかった。
通し印は有限だ。足りなくなれば貸し替えで延命するしかない。貸し替えは必要な策だ。ただし、個別性と見通しと直接到達性を削る。その代償を知った上で使うことと、忘れて使うことでは、後の運用が全然違う。
延命策が上手く回るとき、それが解決だと思いたくなる。しかしそれは解決ではない。問題を小さく見えるようにしているだけだ。その間も接続点は増え続け、移行は遠のき、後になるほど重くなる。
今日は根本を解いていない。記録を整え、重要な部分に手を入れ、新しいものが正しい方向へ向くようにした。それだけだ。
しかし嘘の楽観は剥がれた。延命と解決を、もう同じ顔では呼ばない。
進むべき筋は見えた。それが今日の終わりだった。




