第51話 数で王城は割れません
王宮の配分係の部屋は、半分だけ仕事をしていた。
机の上に広げられた札の束、その半分に数字が書かれ、残り半分が白紙のままだ。術座の端が薄く焦げている。焦げた臭いが、部屋に残っていた。
「昨日の午前から、こうなっております」
配分係の頭が言う。老齢の男だ。疲れた目をしている。
「物資の配分を計算する術です。各倉庫の箱数を人数で割り、受け取り量と余りを出します。それを各組へ配る札に写します。昨日の朝まで、何年も問題なく動いていました」
「昨日から動かなくなった」
「いえ、動きました。ただ……途中で止まった。最初の七組分は出ました。八組目から先が出ておりません」
「八組目で止まった」
「はい。術座が熱を持ち、値が先の受け札へ渡らず」
焦げた術座を見た。手で軽く触ると、まだわずかに温かい。昨日から今日まで、誰も動かしていないらしい。
———
「入力札を見せてください」
係が奥から束を持ってきた。
物資の箱数を書いた札。組の人数を書いた札。それと、各組の名前を書いた札。
束の中を見た。
「どこへ渡すかを記録するため、各組の名前も同じ束に入れております。箱数の隣に人数、その隣に組名、という順番で一束にして術に流します」
「一束に?」
「はい。昔からそういう束ね方をしておりまして」
「箱数も人数も組名も、同じ束に入っている」
「左様です。見れば分かるようになっておりますので……」
ルドーが低く言った。
「見れば分かる、と思っていた」
———
術文を広げてもらった。
長い巻物だ。かなり古い。端が黄ばんでいる。
読んだ。
受け札が三つ並んでいる。
箱数受け。人数受け。組名受け。
書いてある名前は分かる。だが、受け札に「何の種を受けるか」は書かれていない。
「受け札の種が書かれていませんね」
「種、とは……」
「この受け札は数を受けるのか、名を受けるのか。それが書かれていない」
「名前から判断できると思っておりました。箱数受けなら箱の数が入る、と」
「名前は名前です。何の種が入るかの定めではありません」
係が少し困った顔をする。
「違いがありますか」
「大きくあります」
はっきり答えた。
———
「術文の続きを見ます」
巻物を読み進めた。
箱数受けの値を人数受けの値で割る、という手がある。
割る手だ。数の種を二つ受けて数を返す手だ。
だがその下に、もう一つ別の手が続いている。
組名受けの値を、何か別の計算に使っている。
見た瞬間に分かった。
「ここです」
巻物の一点を指で押さえた。
「この手は、組名受けに入った値を使って計算しています。入力束の中で組名が書かれた値が流れ込んでいる。組名は名の種です。ところがこの手は、数の種を受けることを前提にしています」
「……組名が、数を受ける手に入った、ということですか」
「そういうことです」
「でも、組名は計算に使わないはずです。参照するだけで」
「術文はそうなっていません。参照するだけなら、計算に繋がないはずです。だが繋がっている」
巻物を指でなぞった。
「ここです。昔の術師が束の中に組名を加えたとき、参照ではなく計算の流れへ繋いだ。名の種の値が数の手へ渡っている」
———
ルドーが腕を組んで言う。
「何年も動いていた、と言ったな」
「はい。問題が出たのは昨日が初めてで」
「八組目から止まった」
「はい」
「一から七組目のデータを見ろ」
係が帳面を取り出して確認する。しばらくして顔色が変わった。
「一組目……第一番組、二組目……外門組、三組目……以降、七組目まで、すべて組名が数字です。八組目は……王城組。文字です」
私はうなずいた。
「一組から七組まで、組名が数字だった。数字は名の種ですが、数の種に似た形をしています。術はそれで動いた。偶然です。八組目で初めて文字の名前が来た。王城組。数の手に名の種の値が渡った。止まった」
「では今まで正しく計算できていたのは……」
「運がよかっただけです」
係が絶句した。
「数で王城は割れません」
———
ルドーが静かに言う。
「種違いのまま走らせたら、そりゃ燃える」
「はい」
「術座が悪いのではない」
「ないです。筋違いの値を押し込んだのです」
係が頭を下げた。
「……では、どう直せばよいでしょう」
———
机の上に空き札を広げた。
「四つ直します」
「四つも」
「四つです」
板書した。
問題と直し方
一、受け札の種が書かれていない
→ 各受け札に、入る種を明記する
箱数受けは数の種、組名受けは名の種、と明示
二、術文に手の受ける種が書かれていない
→ 各手に、何の種を受けて何の種を返すかを書く
足す手は数の種を二つ受けて数を返す、等
三、術を走らせる前に種合わせをしていない
→ 術前に、受け札の種と渡す値の種が揃っているか確かめる
種違いがあれば術座へ載せる前に止める
四、入力束が数札と名札を混ぜている
→ 箱数と人数の束、組名の束を分ける
同じ束に混ぜて流さない
「四つ目が特に大事です」
係が四つ目を読む。
「束を分けるのですか。今まで一束にしてきたのは、運びやすいからですが……」
「運びやすくて術が壊れるなら、分けるほうが安いです」
———
「種合わせというのは、どうやるのですか」
「術を起こす前に、全体の種の筋を確かめます。各受け札に入る値の種と、受け札が受ける種が合っているか。各手へ渡す値の種と、手が受ける種が合っているか。全部揃っていれば術座へ載せます。一つでも種違いがあれば、載せません」
「種違いがあれば、止める」
「その時点で止める。走らせてから燃えるより、走らせる前に止めるほうがいい」
リゼが以前言ったことが頭をよぎった。人間は混ぜる。だから混ぜるなではなく、混ざった時点で先に止まる仕組みが要る。
「混ぜるなとは言いません」
係を見て言った。
「人間は混ぜます。王城組は数字ではなかった。それだけのことで、何年も動いていた術が止まった。混ぜないように気をつけろ、では足りない。混ざっていたとき、走らせる前に見つけられる仕組みを作るほうが確かです」
「……なるほど」
「種違いは、術を起こす前に落としてください。走ってから見つけるものではありません」
———
直した術文を書いた。
まず受け札に種を書き入れた。
箱数受け 数の種
人数受け 数の種
組名受け 名の種
次に、各手に受ける種と返す種を書いた。
割る手 数の種を二つ受け、数を返す
余り手 数の種を二つ受け、数を返す
最後に、術前の種合わせ手順を頭に加えた。
種合わせ(術前)
一、箱数受けに数の種の値が入っているか確かめる
二、人数受けに数の種の値が入っているか確かめる
三、種違いがあれば、そこで止める
四、揃っていれば術を起こす
「名の値を計算に繋いでいた部分は、切り離します。参照するだけなら、計算の手に渡す必要はありません」
「分かりました」
「入力束は今日から分けてください。数の束と名の束を別々に」
「……この机の引き出しを分ければよいかと」
「いいです。どこで分けるかより、混ぜないことが大事です」
———
午後には、直した術を試し走りさせた。
八組目、王城組。
止まらなかった。
値がきれいに渡って、計算が出た。九組目、十組目と続く。術座は熱を持たない。焦げ臭さもない。
「動いています」
係が小さく声を上げた。
「動きます」
「……七組目まで動いていたのは運だったのですね」
「そうです」
「では、これまでの計算結果も確かめ直したほうが」
「確かめてください。数字名の組がある間は正しかったはずですが、念のため」
係がうなずく。
「……種の話は、今まで考えたこともありませんでした。受け札に何を入れても、値が入っていれば動くと思っていました」
「動きます。ただし種違いの手が起きていても、術はしばらく走ります。問題が出るまで気づかない」
「今回みたいに」
「今回みたいに」
———
帰り際、廊下でルドーが言った。
「種違いを術座へ投げ込むな」
「その通りです」
「値の種を曖昧にするな」
「は」
「意味のない手は、強い術座でも正しくはならぬ」
廊下の向こうを見たまま、ルドーは短く続けた。
「人は混ぜる。だから先に止まる仕組みを作れ」
少し間があった。
「今日一番のまとめです、それ」
「昨日お前が授業で言ったことだ」
「いえ、まとめ方が私より上手い」
「当然だ」
ルドーは歩き出した。私もついた。
———
夜、リゼの家に戻ると、台所から焼いた根菜の匂いがした。
「おかえり。王宮の配分術、どうだった」
「直した」
「なんで止まってたの」
「数で王城を割ってた」
リゼが手を止めた。
「どういうこと」
「組名の束を、箱数と人数と一緒に流していた。普通の組名は数字だったから動いていた。王城組が来た日に止まった」
「……数字の名前を数として計算してたのか」
「偶然動いてただけ」
リゼが少し考えてから言う。
「つまり、術が馬鹿なんじゃなくて、数で計る棚に地名札を突っ込んでいた人間のほうが悪いのね」
「そう」
「でも人間は混ぜるから」
「そう」
「混ぜるな、じゃなくて、混ざった時点で先に止まる仕組みにしないとだめか」
「それが今日の仕事だった」
リゼがゆっくりうなずいた。
「種合わせね。術を走らせる前に、筋が通ってるか確かめる」
「そう。走ってから燃えるな。起こす前に見ろ」
「今日は何年働いてた術?」
「七年ほどと聞いた」
「七年間、たまたま数字名の組しか来なかったのか」
「そう」
「怖い話ね」
「怖い話だね」
———
椀を受け取りながら今日の仕事を振り返った。
値には種がある。受け札にも種がある。術の各手にも受ける種がある。合わない値を流せば意味のない手になる。
それ自体は昨日の授業で説明した。
今日分かったのは、現場がどれだけ自然にそれを無視できるか、だ。
束を一つにするのは運びやすいから。受け札の種を書かないのは名前を見れば分かるから。種合わせをしないのは今まで動いていたから。
どれも嘘ではない。どれも理由になっている。そして七年間、偶然に助けられていた。
偶然は終わる。王城組が来た日に終わった。
良い制約は、偶然を当てにしない。値に種を付け、受け札に種を書き、術前に種合わせをする。面倒に見える仕組みが、現場を燃やさないための先回りだ。
走ってから見つけるのでは遅い。
起こす前に見る。それだけのことだ。
根菜は少し苦かったが、よく火が通っていた。




