第44話 要るだけの印を借りろ
学舎へ向かう道すがら、鍵屋の前を通った。
店先に見本の鍵が並んでいる。大きいもの、小さいもの、溝の複雑なもの、単純なもの。鍵というのは不思議なもので、形そのものに権限が宿っている。持てば開けられる。失くせば終わる。複製されれば困る。貸した相手が何を開けたか、こちらには分からない。
鍵は道具だが、道具の中でも特別に、「持っている間はその力がある」種類の道具だ。
だから、誰に渡すかと、何を開けられる形にするかが大事で、そこを雑にすると後から大いに困る。
当たり前のことを、店先の鍵の列に思いながら歩いていた。当たり前のことは、雑にしやすい。
———
講堂に入ると、机の上に小さな木箱が五つ並んでいた。
それぞれ側面に細い溝が彫ってある。鍵穴を模したもので、差し込む印札の形が合えば留め具が外れる仕組みらしい。三種類の印札も横に置いてあった。ただ番号だけが書いてある。
「今日は鍵か」
「鍵、というか……封印?」
「印が三種類ある。中身が違うんだろうな」
学生がざわつく。リゼは早々に木箱の一つを手に取って溝を確かめていた。印札を当てて、入らないことを確認して、つまらなそうに戻す。
ルドーが前に立った。いつもの低い声で、一言だけ言う。
「問いを立てる」
室内が静まる。
「王宮の術具庫がある。普段は厳しく封じられており、日常の仕事には触れられない。だが修繕が必要になった。封印を一時的に解かねばならない。そのとき、どう通す」
前列の学生がすぐに手を挙げた。
「偉い方に直接やっていただけばいいのでは」
「偉い者が夜中に叩き起こされるのでもよいか」
別の声。
「緊急のときだけ、誰でも触れてよいことにする」
「緊急でないときも触れてよいことになる」
三人目。
「術具庫を扱える人を何人か決めて、常に当番にしておく」
「触れられる者が増えるほど、漏れ元が増える」
四人目。
「強い印を持つ方に、代わりにやっていただく」
「強い印を持つ者がどこにでもいると思っているのか」
講堂に、少し疲れたような笑いが広がる。学生たちもだいたい分かってきている。どの案もルドーが一言で潰す。そういう授業だ。
ルドーが私を見る。
「ユウ」
「はい」
「はいは一回だ」
講堂がくすりとした。いつものやつだ。
木箱を前に引き寄せて、印札を手に取った。
「制度として設計します」
———
表示盤に書く。
姫印借り
「名前から入ります。大権印、あるいはそれに近い強い印を持つ者に、姫がいるとします。この印なら、術具庫であれ薬湯庫であれ、王宮の大半の封印を解ける」
一番彫りの複雑な印札を持ち上げた。
「まずこれを全員に配ることを考えます。配れば便利です。誰でもいつでも術具庫に入れる」
木箱の五つすべてに順に差し込んでみせる。全部の留め具が外れた。
「便利です。でも」
学生が静かになっていた。
「この印を誰かが失くしたら。誰かが悪用したら。うっかり触ってはいけない棚を開けたら。どうなります」
「全部の扉が開く……」
「そうです。一番強い印を常時全員が持つのは、一番壊れやすい状態です」
印札を置いて、別の小さな印札を取り出した。
「では逆に、弱い印から始めます」
一番番号の小さな印札を差し込む。厨房模型の留め具だけが外れた。倉庫は外れない。術具庫は外れない。
「これが普段の仕事の範囲です。必要なものだけ入れる。余計なところには触れない。これを最小裁可と呼びます」
板書した。
最小裁可(要るだけの印)
「問題は、こっちだけでは術具庫の修繕ができない、ということです。じゃあどうするか」
———
ルドーが口を挟む。
「姫に頼む、という案はどうだ」
「そこです」
私は肯いた。
「姫が直接来て操作するか、あるいは姫の名で一時的に強い印を借りるか。このどちらかになります」
「どちらがよいのか」
「姫が毎回来るのは現実的でない。だから、仕組みとして、姫の裁可を借りられる制度を作る。それが姫印借りです」
板書した。
姫印借りの四条件
「この制度を正しく設計しないと、さっき全員に強い印を配った話と同じことになります。だから条件が要る」
———
「一つ目」
木箱の模型に向かって続けた。
「借りられる手を限定する。術具庫の封を一時解く、という用件で印を借りるなら、その印は術具庫だけが開く形にする。薬湯庫は開かない。隣の棚は開かない。そのためだけの印を作る」
板書した。
許し術目録(通してよい手の一覧)
「姫の大権印そのものを貸すのではなく、用件ごとに切り出した印にする。術具庫一度解き印。夜門一回開き印。薬湯庫封解き印。それぞれ別の形で作る」
リゼが声を上げた。
「包丁を貸すんじゃなくて、魚を三枚に下ろす手だけ貸せ、ってことか」
「そうです」
「じゃあ次の用件では、また別の限定印を使う?」
「そうです」
「手間が増えますね」
「増えます。でも万能包丁を全員が使い回すより、壊れにくい」
———
「二つ目」
板書した。
合言葉確認(印詞)
「姫が本当に裁可を出したか、借りているのが申請した本人か、確認を入れる。合言葉でも、印詞でも方法は何でもいい。ただし」
ひとつ書き加えた。
無問通し(危険運用)
「殿下のご意向です、という言葉だけで確認を省く運用がある。これを顔パス、あるいは無問通しと呼びます。こうすると、借り手が本当に裁可を持っているか分からない。別の者が印を持ち込んでも通る」
前列の学生が静かに言った。
「止めにくいですね……。偉い方の名前が出ると」
「止めにくい。でも止めなければ制度が消えます」
———
「三つ目」
板書した。
印借り控え
「誰が、誰の裁可で、何のために、どの印を、いつ借りたか。これを必ず残す。後から追えるようにする。残しておかないと、何か問題が起きたとき、誰がどの操作をしたか分からない」
ルドーが言った。
「後から追えない操作は、存在しないも同然だ」
「そうです」
———
「四つ目」
板書した。
刻限付き印(時切れ印)
「借りた印がいつまでも使える状態にしない。一回使ったら切れる。一刻経ったら切れる。用件が終わったら切れる。切れたらまた借り直す」
学生が言う。
「それは面倒ではないですか」
「面倒です。でも、刻限がないと、用件が終わった後も強い印が生きたままになる。その間に余計なことができてしまう」
———
木箱の模型を動かした。
「実演します。薬湯庫の封を解く用件で、姫印借りをしました。本人確認あり、印借り控えあり、刻限付き。限定印の術目録は、薬湯庫の封解きだけです」
薬湯庫の模型に差し込む。外れた。
「目的を果たした。ここで終われば問題なし」
隣の木箱に差し込もうとする。入らない。
「正しく設計された限定印なら、隣の棚は開かない」
ところが、今度は別の印札を取り出した。
「こちらは、術目録が雑な印です。薬湯庫の封解き、と書いてあるが、実際には倉庫全般の封解き、という広い許しが入っていた」
隣の木箱に差し込む。開いた。その隣も。
「借りた印で、余計な扉を開けた。故意でなくても、できてしまった」
室内が静かになった。
「設計が甘かった。目的の操作より広い権限が入っていた。結果、誰も頼んでいない扉が開いた」
———
ルドーが静かに言った。
「姫印は近道だ。だが常道にするな」
私は板書した。
「もう一つ加えます」
借りた大権で、余計な扉を開けるな
「強い印は、持つことより借りる時が危ない。借りた間だけ、普段は届かない場所に手が伸びる。その分、事故が起きやすい」
「だから、目的の操作だけして、終わったら戻すのが原則です」
リゼが腕を組んだ。
「つまり、姫の印そのものが悪いんじゃなくて、何のために借りたのかが曖昧なまま使うと、余計なところまで手が届いてしまう」
「そうです」
「借りた範囲の中だけ動いて、終わったら戻す」
「その通りです」
———
板書を整理した。
姫印借りの原則
一、大権印を常時持たせるな
二、必要なときだけ借りる
三、借りられる手は限定する(許し術目録)
四、本人確認を入れる(印詞・合言葉確認)
五、控えを残す(印借り控え)
六、刻限をつける(時切れ印)
七、借りた印で余計なことをするな
ルドーが最後に言った。
「強い印は、誇るためにあるのではない。ほかの者が持てぬ危険を、代わりに背負うためにある」
学生が静かになった。
「ノブレス・オブリージュとは、何でも通すことではない」
———
そこへ、廊下から足音が来た。
早い。急ぎの足音というのは、歩幅より密度で分かる。石畳を踏む音が詰まっていた。
扉が開いた。王城の紋章を胸につけた若い役人が、息を切らして立っている。
「ルドー殿、ユウ殿。王城よりお呼びがかかっております」
「何事か」
「昨夜、殿下の裁可で南の小門の特別通行が出ましたが……門番の台帳と、実際の通行記録が合わないとのことで。王城側が揉めております」
私は机の上の木箱を見た。
さっき実演した雑な印で開けた余計な扉が、まだそのまま開いていた。
「行きます」
ルドーが杖を取る。
「急ぎか」
「おそらく」
「そうか」
板書を消す暇もなかった。




