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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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第42話 近い道が、早いとは限らない

 朝の王都は、昨夜の雨が少しだけ残っていた。


 石畳の継ぎ目に薄く水が溜まり、荷車の車輪がそこを踏むたび、しゃり、と湿った音を立てる。道は同じように見えても、乾いた石畳と、ぬれた裏路地と、泥を含んだ坂では、足の進みがまるで違う。


 学校へ向かいながら、自然と通りの流れを見ていた。大通りは広いが、朝の荷で少し詰まり気味だ。細い横道は空いているが、水たまりが残っている。門の近くには検め待ちの列もある。


 近い道が、早いとは限らない。


 言葉にすると当たり前だが、当たり前の顔をした厄介ごとはたいてい後で人を殴る。


———

 講堂に入ると、今日は前方に大きな街図板が立てられていた。


 王都の区画図を単純化したものらしく、門、橋、市場、薬院、倉庫街、城壁沿いの道が白い線で描かれている。線と線の交わる場所には小さな丸印。横には、数字の書かれた札が山のように積まれていた。


「今日は地図か」

「また実務っぽいな」

「数字札まであるぞ」


 学生たちがざわつく。こういう、見た目に分かりやすい日は入りやすい反面、途中から急に面倒になる。毎度のことだ。


 リゼも少し身を乗り出して街図板を見ていた。前髪を指でよけながら、どの道がどう繋がっているかを先に追っている顔だ。理解補助役として優秀すぎるのに、本人はだいたい無自覚である。


 ルドーが講堂の前に立ち、いつものように短く言った。


「今日は、道探しの話をする」


 机上の街図板を指す。


「北門から薬院へ、いちばん早く着く道を選べ。問う。何を見る」


 前列の学生がすぐ手を挙げた。


「いちばん短い道です」


「短さだけでは足りぬ」


 別の学生。


「大通りを使います。広いので速い」


「詰まる」


 三人目。


「裏路地です。近道が多い」


「ぬかるむ」


 四人目。


「橋を渡れば早いかと」


「待つことがある」


 講堂に笑いが起きる。どれも一見もっともらしいのに、ルドーが一言で潰していく。そういう授業だと、もう学生たちも分かっている。


 ルドーが私を見る。


「ユウ」


「はい」


「はいは一回だ」


 いつものやつである。講堂が少し和む。


 街図板の前に立ち、数字札を一枚持ち上げた。


「道には、それぞれ重さがあります」


 表示盤に書く。


道の重さ


「長いか短いかだけじゃない。石畳で歩きやすい。坂で疲れる。市場で詰まる。門で待つ。橋で渡しを待つ。そういう『食う手間』を全部まとめて、重さとして見る」


 街図板の線に、順に札を置いていく。


「この大通りは広いけど朝は荷車が多い。重さ六。こっちの裏道は近いけどぬかるむ。重さ五。橋は距離は短いけど渡し待ちで重さ七。城壁沿いは遠回りだけど空いていて重さ三、みたいな感じです」


 前列の女子学生が眉を上げる。


「距離じゃなくて、着くまでのしんどさ全部を数えるんですね」


「そう。目で見て近いかどうかじゃなく、通るのにどれだけ食うか を見る」


「じゃあ、最短路じゃなくて……」


「最軽路、だな」


 うなずいた。


 表示盤に書き足す。


最軽路


「いちばん短い道じゃない。いちばん軽く着ける道です」


 街図板の北門に、小さな青札を置く。


「じゃあ、どう探すか。目の前の一歩だけで決めると外します」


 北門から伸びる道を指し示す。


「ここから見ると、南へまっすぐの道がいちばん近そうに見える。でも、その先で市場に突っ込んで詰まるかもしれない。逆に少し遠回りでも、空いた道をつないだほうが軽いこともある」


「じゃあ全部見ないと……」


 後方から不安そうな声が出る。


「全部見れば、たしかに分かります」


 数字札を机に置いた。


「でも、ただ闇雲に全部を歩き回るのは重い。だから、いま分かっている中でいちばん軽く着けそうな場 から順に固めていく」


 表示盤に新しい言葉を書く。


見込み重さ

もうこれより軽くならぬ場


 講堂が少し静かになる。だいたいこのへんから、話が面白いか面倒かの境目に入る。


———

 北門から一歩で行ける三つの分かれ場に札を置いた。


「出立点は北門。ここは重さ零です」


 青札に 〇 と打つ。


「北門から一歩で行ける場へ、道の重さを足して見込みを書きます」


 右の道に 四 、中央の道に 六 、左の道に 三 。


「今わかっている中で、いちばん軽いのはどれですか」


「三です」


 何人かが答える。


「そう。じゃあ、まずこの場を固めます」


 左の分かれ場に、小さな黒札を重ねる。


「なぜ固めていいか。ここへ来る別の道があとから出てきても、今の三より軽くなるには、どこかで負の重さでも踏まない限り無理だからです」


 前列の学生が首をかしげた。


「負の重さ?」


「歩いたら元気になる坂とか、待ったら時間が戻る門とかがあれば別だけど、この世界はそこまで都合よくない」


 講堂に笑いが起きる。


「道の重さが全部、零以上なら、いちばん軽い見込みの場から順に固めていけます」


 リゼがそこで手を挙げた。


「つまり、『今の時点でいちばん軽いところ』を先に確定して、そこ経由で届く隣の場の見込みを更新していくのね」


「そう。それです」


「近そうな道を一本決め打ちするんじゃなくて、軽い見込みを少しずつ広げていく」


「うん」


 うなずく。


「この方法だと、目先の近道に騙されにくい」


 左の場からさらに伸びる道へ札を置いていく。


「今確定した場から隣へ行く道が重さ二なら、そこは三足す二で五。別の道で六がついていたなら、五に書き直す」


 札をひっくり返して数字を変える。


「こうやって、より軽い道筋が見つかったら見込みを書き直す」


 後ろの席から声が上がる。


「なんか、じわじわ染み広がる感じですね」


「まあ、そうだな。軽さが外へ広がっていく感じです」


「水みたいですね」


「水よりは几帳面だな」


 また笑いが起きる。


 そのまま二、三手進めて見せる。


「三を固めた。次に軽い四を固める。そこから隣を更新する。次に五を固める。そうやっていくと、薬院へ届く札がだんだん軽くなっていく」


 薬院の丸印の上には、最初 十五 が置かれ、のちに 十一 へ、最後に 九 へと書き直された。


「この九が、北門から薬院への最軽の見込みです」


「最初の十五より、ずいぶん下がった」

「最初に見えた道は重かったのか」

「途中で軽い抜け道が見つかったんだな」


「そう」


 薬院の札を指で叩く。


「最初に一本の道を決め打ちしていたら、外したかもしれない。でも、軽い見込みから順に固めていけば、ちゃんと最軽へ届く」


 ルドーが短く言う。


「近く見えることと、軽いことを混ぜるな」


 沈黙。


「道は顔でなく、重さで見ろ」


 短い。だが今日はかなり効いている。


———

 街図板の横に、少し大きめの別図を立てた。今度は王都全体をもう少し広く切ったもので、門が増え、橋も二本、倉庫街の奥や職人区まで入っている。線も丸印も一気に増えて、見るからに面倒だ。


「さて」


 息をついた。


「ここまでのやり方、正しいです。たぶん外しません」


「たぶん?」


 前列の男子学生が言う。


「重さの書き方がまともなら、という意味です」


「……なるほど」


「道の重さを嘘で書いたら、どんな賢いやり方でも騙される」


 表示盤に大きく書く。


道が嘘なら、探し方も嘘を踏む


「でも今日はそこじゃない。問題は、広い道網だとこれが遅いことです」


 王都全体図を軽く叩く。


「北門から薬院だけじゃなく、南門から工房街、西門から外れ倉庫、東橋から城下宿へ、みたいに毎回これをやるとどうなるか」


「……札がすごい量になりそうです」

「全部の分かれ場に見込みを置くんですか」

「面倒ですね」


「ものすごく面倒です」


 素直に言った。


「正しい。でも、広い街では重い。目的地に届く前に、関係ない横道までかなり調べることがある」


 街図板の左端、薬院と逆方向の区域にまで札を置いて見せる。


「ほら。最軽を保証しようとすると、目当てと関係なさそうなところまで触る」


 リゼが頬杖をついたまま言った。


「つまり、慎重で正しいけど、目当てがはっきりしてるときには少し無駄足も多いのね」


「そう」


 うなずく。


「薬院へ行きたいのに、職人区の奥の見込みまで律儀に書いてる場合がある」


「真面目すぎるのか」


「そう言ってもいい」


 講堂の何人かが苦笑した。正しいが重い。これもまた、いかにも現場が嫌いそうな性質である。


 ルドーが腕を組む。


「では問う。目当てが定まっているとき、全部を同じ熱心さで探るべきか」


 何人かが顔を見合わせる。質問の向きが変わったのが分かったのだろう。


 そこで、街図板の上からひとつの札を取り上げた。


「ここから先が次の話になります」


 表示盤に書く。


正しいが、広いと遅い


「今日のやり方は、最軽を探すための土台です。出立点から、軽い見込みを順に固める。これ自体は強い」


 少し間を置く。


「でも、目当てが決まっているなら、そちらの方角を少しは見てもいいのではないか。そう考えたくなる」


 講堂が静かになる。


 いい顔だ、と思った。たぶん今、何人かはもう「じゃあ薬院に近そうなほうから探ればいいじゃないか」と思っている。そう思った人間からだいたい一度は痛い目を見る。だが、その一歩は必要だ。


「ただし」


 指を立てた。


「そこに雑な見当を混ぜると、また別の壊れ方をします」


 学生たちの顔が引き締まる。こういう一言で、次回の事故の匂いが立つのがこの授業のいつもの作法だった。


———

 そこで、講堂の扉が叩かれた。


 来たな、と思った。最近はもう驚かない。授業で仕込んだ面倒が、その日のうちに本物として届く。学校の壊れ方は相変わらず景気がいい。


 ルドーが視線だけ向ける。


「入れ」


 扉を開けて入ってきたのは、王城の急使運用を預かるらしい若い役人だった。息を切らせているが、単に走ってきたからだけではなさそうだ。後ろには学校の術務室の職員もついている。


「失礼します、講義中に」


「要件」


 ルドーが言う。


 役人は一礼し、抱えていた道図札を机に広げた。王都の街路図に、小さな赤印がいくつも打たれている。


「王城の急使道選びについてです。急ぎの届け先が増え、毎回すべての道筋を丁寧に見ていると遅すぎる、ということで……」


 そこで言いにくそうに一瞬詰まる。


 嫌な予感が、ゆっくりこちらを向いた。


「で?」


 私が促すと、役人は苦い顔で答えた。


「近そうな方角へ寄せる見当札を、現場が独自につけ始めました」


「独自に?」


「はい。『薬院なら東寄り』『倉庫街なら南寄り』といった粗い見当で、望みの薄い道は後ろへ回すやり方です」


「人間らしいな……」


 思わず口から出た。必要を感じて自分たちで工夫し始めるのはいい。だが、だいたい柵の立て方が荒い。


 役人は続ける。


「結果、橋待ちや検め待ちを無視して近そうな道へ急使が偏り、かえって遅れる事例が今朝から続いております。東橋が詰まり、近いはずの薬院行きが城壁沿いの遠回りより遅くなりまして」


 講堂がざわついた。


「見当を使ったのに遅くなったのか」

「近そうな方へ寄せたのに?」

「橋の待ちを見てないのか……」


 息を吐いた。


 なるほど。正しいが遅いので、現場が勝手に目当て側の見当を足した。だが、その見当が雑で、地図の顔だけを見て重さを見ていない。実に人間らしい壊れ方で、実に教材として優秀だった。ありがたくはないが。


 ルドーが言う。


「ユウ」


「はい」


「行くぞ」


「はい」


「はいは一回だ」


 講堂に、緊張と笑いが半分ずつ混じった空気が流れる。


 街図板の横に置いていた数字札の束を抱えた。どうせ現場でまた道図を広げて、軽い見込みと雑な見当の違いを説明する羽目になる。


 扉へ向かいながら、表示盤に残った文が目に入る。


正しいが、広いと遅い


 まったく、授業で書いた弱点が、その日のうちに王城で事故になるのだからよくできている。


 この学校は、知識を先取りして教えているのではない。


 現場が先に壊れて、授業があとから追いついているだけだ。

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