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魔法が複雑すぎる世界で、俺だけAIを使える件 〜圏外なのにAIが動くので、呪文をプログラム化して無双します〜  作者: 月の位相
特任講師編

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第38話 遠くの昼は、同じ時ではない

 朝、リゼの家の窓から差し込む光は、昨日より少しだけ白かった。


 春が近いのか、ただ雲が薄いだけなのか、そのへんは私にもよく分からない。ただ、王都の朝は今日も律儀にやってきて、台所にはパンを焼く匂いと湯気と、リゼの「まだ眠いけど起きてはいる」という顔がそろっていた。


「今日は何の厄介ごと?」


 椀を並べながら、リゼが聞く。


 私は卓についたまま、少し考えた。


「まだ厄介ごとは起きてない。たぶん」


「その言い方、もう起きる前提じゃない」


「ここ最近の学校、だいたいそうだろ」


「否定はしない」


 リゼは匙を置き、自分の椀にも汁をよそう。


「で、今日は何の話なの」


「遠くの順番の話」


「順番?」


「王都で起きたことと、離れた港町で起きたこと。どっちが先か、どう決めるかって話」


 リゼが少し首をかしげた。


「普通に、時刻で見ればいいんじゃないの。昼三つとか、鐘何つとか」


「それが、そう簡単じゃない」


「鐘が遅れるの?」


「鐘は届かない」


「ああ、そういうレベル」


 私はうなずいた。


「遠い場所どうしだと、同じ昼三つって書いてあっても、本当に同じ時とは限らない。向こうの時計もこっちの時計も、きっちり同じようには進まないし、伝令も道で遅れる」


 リゼは椀を持ち上げたまま、少し考える。


「つまり、『今まさに同時』みたいなことを、離れた場所どうしでぴったり揃えるのは難しい」


「そう」


「でも仕事は進めないといけない」


「そう」


「面倒ね」


「ものすごく面倒」


 リゼは一口すすってから、ふっと笑った。


「でもあれでしょ。おまえ、その面倒な話を、わりと好きでやる顔してる」


「好きというか……初めて知ったとき、ちょっと感動したんだよ」


「へえ」


「『本当の同時刻は分からなくても、順番っぽいものは作れるのかよ』って」


「胡散臭い魔法みたいな感想ね」


「俺もそう思う」


 私は苦笑した。


「でも、たぶん今日はその胡散臭い魔法の話になる」


「じゃあ帰ってきたら、ちゃんと人間の言葉で説明して」


「おまえ、だいたい俺より先に理解するだろ」


「最初に分からない顔をしてあげるのも同居人の仕事よ」


「高機能すぎるだろ、その役割」


「家賃の代わり」


「まだ言うか」


 リゼは肩をすくめるだけだった。


 家を出るころには、空はすっかり朝の色になっていた。王都の街路を歩きながら、私は今日の講義の流れを頭の中で組み直す。


 時間を揃える話ではない。


 揃わないことを認めたうえで、それでも崩れない順をどう残すか。


 その発想は、初めて見たとき妙に美しかった。


 世界そのものを支配するのではなく、分かる範囲だけ丁寧に守る。そういうやり方は、この世界の魔法よりよほど魔法じみて見えることがある。


———


 講堂に入ると、いつもより少しざわめきが強かった。


 昨日の演習盤庫の騒ぎが、学生の間にもだいぶ広まっているらしい。前の席では初級組らしき学生が、友人に向かって「だから余白に書くなって言ったのに」と小声で言い訳している。人は事故のあとだけ妙に正しくなる。続かないのが難点だ。


 前方には、ルドーがいつものように立っていた。机の上には札が数枚と、細長い木板が三本。妙に簡素だ。こういう日は、だいたい中身が厄介である。


 私が横に立つと、ルドーが講堂を見回して言った。


「今日は、遠くの順の話をする」


 また短い。毎回、説明を節約しすぎである。


「王都と港町。南門と北門。離れた術局どうしで、出来事の先後をどう揃える」


 前列の学生が手を挙げる。


「時告げの鐘を合わせる、でしょうか」


「届かぬ」


 別の学生。


「毎朝、水時計を王都の基準に合わせる」


「ずれる」


 三人目。


「伝令を早くする」


「遅れる」


 講堂に、少し困った空気が流れる。答えるたびに潰されるのだから無理もない。


 ルドーが私を見る。


「ユウ」


「はい」


「はいは一回だ」


 もう様式美である。講堂のあちこちでくすりと笑いが漏れた。


 私は前へ出て、机の上の木板を一本取った。


「離れた場所どうしで、同じ時をぴったり言い当てるのは難しいです」


 木板の端に、白い字で 王都 と書く。二本目には 河港 と書く。


「王都の術局と、河港の術局があるとします。両方で台帳をつけている。たとえば薬材の出入りでも、荷札の更新でもいい。問題は、両方でほぼ同じころに何かが起きたときです」


 三本目の木板に、白い印を二つ打つ。


「王都で一つ、河港で一つ。さて、どっちが先か」


 後方の学生が言う。


「だから、時刻で……」


「その時刻が信用しきれない」


 私は木板を並べて見せた。


「河港の時計が少し遅れていたら? 伝令が道で詰まったら? 曇りで基準の影が狂ったら? 遠くの昼三つと、ここの昼三つは、同じ顔をしていても同じ時とは限りません」


 前列の女子学生が眉を寄せる。


「でも、順番を決めないと困りますよね」


「困る。だから、考え方を変える」


 私は木板を机に置き、黒板代わりの表示盤に大きく書いた。


空の時を当てるな

先に受けた影を残せ


 学生たちが少しざわつく。意味が分からない顔も多い。


「本当の『今』を遠くまで正確に揃えるのは難しい。だったら、全部を知ろうとしない。代わりに、先に起きたことの影が、後の記録に残るようにする」


 ルドーが短く言う。


「影とは何だ」


「その出来事を受けて、後で動いたという印です」


 私は表示盤の端に、新しい言葉を書く。


継ぎ番


「各術局は、自分のところで何か記録するたびに、この継ぎ番を一つ進めます」


 王都の木板に、小さく 一、二、三 と順番を振る。河港の板にも、同じように 一、二 と振る。


「王都で荷札を書いた。番は一つ進む。河港でも荷を受けた。あちらでも番が進む。ここまでは、ただ各局の中で順に数えているだけです」


 学生の一人が首をかしげる。


「それだと、王都の三と河港の二、どっちが先か分からないのでは?」


「分からない」


 私はあっさり言った。


 講堂が少しざわつく。ここで「分からない」と言うのは大事だ。分からないものを分かったふりで塗り固めると、たいていあとで壊れる。


「分からないものは、まだ分からないままでいいです。大事なのは、関係があるものだけは逆転させないこと です」


「関係がある……?」


「たとえば河港が、王都から来た荷札を見て返事を書く」


 私は王都の板に 三 を打ち、その下に小さな札を描いて河港へ矢印を伸ばした。


「王都で継ぎ番三の札を送る。河港はそれを受け取る。そしたら河港は、自分の番がいくつであっても、その札の番より後ろ へ進めてから記録する」


 河港の板に書いてあった 二 の次を消し、四 を打つ。


「こうです」


 何人かが身を乗り出した。


「え、四?」


「はい。受け取った札が三なら、それを見たあとで書く記録は、三より前を名乗っちゃいけない。だから少なくとも四にする」


 前列の男子学生が口を開く。


「自分の番が二でも、三を受けたら四になる……」


「そう」


「飛ぶんですね」


「飛ぶ。飛んでいい」


「なんか、ずるくないですか」


「ずるく見えるけど、目的は数の美しさじゃない。先後を崩さないことです」


 私は表示盤に、簡単な規則を並べた。


一 局で何か起きたら、継ぎ番を進める

二 札を送るとき、今の継ぎ番を添える

三 札を受けたら、その番より後ろへ進めてから記す


「これだけです」


 講堂が、しばらく静まり返る。


 たぶん今、学生たちの頭の中で、単純すぎる規則がじわじわ動き始めている。妙に素朴なのに、なぜか壊れにくそうに見える。そういう仕組みは、理解の最初の一歩がいつも奇妙だ。


 後ろの席から、おずおずと声が上がった。


「……なんか、うまく動きそうな気がします」


「そうだろ」


 私は少し笑った。


「俺も最初そう思った」


 講堂に笑いが広がる。正直な感想だった。


「大事なのは、『受け取ったあとの記録が、受け取る前より前の顔をしない』ことです。河港が王都の札を見て動いたなら、その記録は王都の札より後ろに置く。そうすれば、少なくとも先に渡ったものの影 は順番に残る」


 ルドーが腕を組む。


「つまり」


「本当の同時刻は要らない。先に伝わったものを、後ろにちゃんと残せばいい」


「よい」


 ルドーは短くうなずいた。


 私は今度は別の図を書く。王都の板と河港の板に、それぞれ矢印なしで印を一つずつ打つ。


「では、これはどうでしょう。王都で継ぎ番五の出来事。河港でも継ぎ番五の出来事。札のやり取りはまだない」


「……分からない」


 前列の女子学生が、さっきより慎重に答える。


「その通り。分からない」


「でも、台帳に並べる必要はありますよね」


「あります。だから、分からないものは分からないまま、あとで並べるための決め を足します」


 表示盤に書き足す。


同じ番で関わりが見えぬときは、局の順で並べる


「たとえば王都を先、河港を後、と決めておく。これは『本当に王都が先だった』という意味ではないです。あくまで、並べ方を固定して揉めないための決め です」


 男子学生が言う。


「じゃあ、本当の順番とは違うこともある」


「ある。でも、それでいい場面が多い」


「いいんですか」


「何でも本当の順を知ろうとして、分からないものまで断定するほうが危ない」


 私はそこで少し声を落とした。


「分からない二つを、神の目で見たみたいに並べるな。分かるところだけ崩さないほうが強い」


 講堂が静かになる。ルドーも何も言わない。


 その沈黙のあと、前の席からぽつりと声が出た。


「遠くの町どうしで『今まさに同じ時か』は揉めるけど、『その札を読んだあとに返事を書いた』みたいな順番は守れる、ってことですか」


 その学生を見る。たぶん本人はたとえ話のつもりではないだろうが、きれいに芯を突いていた。


「そう。それです」


 学生が少し誇らしげな顔をした。


 私は続ける。


「この継ぎ番は、万能じゃありません。本当にどちらが先に起きたかを、いつでも教えてくれるわけじゃない。けれど、先に受けたものを、後で前に追いやってしまう愚かさ は防げる」


「到着が遅い札が、古いのに新しい顔をするのを防げる……」


「そう」


 講堂の空気が、さっきより一段深く変わったのが分かった。完全に理解した者はまだ少ないだろう。だが、何を守ろうとしている仕組みなのか、その輪郭は届き始めている。


 ルドーが口を開く。


「遠いものは、同じ昼でも同じ時ではない」


 沈黙。


「だが、先手が後手を生んだなら、その順は崩すな」


 短い。だが、十分だった。


 私は最後に表示盤の中央へ書く。


真の今を追うな

渡った影の順を守れ


 筆記札の上を、いくつもの筆が走る。


 そのとき、講堂の扉が叩かれた。


 嫌な予感が、最近は本当に礼儀正しい。だいたい講義の締めに合わせて来る。


 ルドーが視線だけで扉を向く。


「入れ」


 入ってきたのは、術務室の職員ではなかった。王城の物流係のような紺色の上着を着た男と、学校の術務室の古株職員が一人。どちらも顔色があまりよくない。


「失礼します。王城の保管局からです」


 紺の上着の男が一礼する。


「要件」


 ルドーの声は変わらない。


「河港の保管局と王都の保管局で、薬材台帳の記録順が食い違いました」


 講堂がざわついた。


 男は続ける。


「同じ薬材箱について、河港では『船積み済み』、王都では『未着につき未入庫』の記録があり、さらに差し替え札と確認札が前後して届いた結果、王都側の台帳では一度消えたはずの荷が戻り、河港側ではすでに出したはずの箱がまだ残っていることになっております」


「到着順に記したか」


 私が聞くと、男は苦い顔でうなずいた。


「はい。届いた順に台帳へ写し、あとから時刻札で見直したのですが、王都と河港で打っている時刻が揃っておらず……」


「当然だな」


 思わず言った。


 男は少し肩を落とす。


「保管局でも、その、今ちょうど同じ話になっておりまして……。王都では『先に届いた札を採るべきだ』、河港では『そもそも河港で先に起きた』と主張していて」


「人はいつも、自分の持ってる順番だけを本物だと思いたがるんだよな……」


 私は小さく息を吐いた。


 ついさっきまで授業でやっていた構造が、もうそのまま王城で燃えている。ずいぶん手際のよい世界である。


 ルドーが言う。


「ユウ」


「はい」


「行くぞ」


「はい」


「はいは一回だ」


 講堂に、半ば緊張、半ば諦めの笑いが広がる。


 私は机上の木板と札をかき集めた。たぶん、現場でそのまま使うことになる。今日は概念だけでは終わらない。たいてい終わらない。


 扉へ向かいながら、表示盤の最後の文が目に入った。


真の今を追うな

渡った影の順を守れ


 まったく、授業で書いた文句が、その日のうちに王城案件になるのだからやっていられない。


 この学校は教育がうまいのではない。


 壊れ方が、教材にちょうどよすぎるだけだ。

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